――姉さん、ビールもついでに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分ったろうね」
「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。情ない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶をする。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」
「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎に這入ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
「ねえ」と下女は肥後訛の返事をする。
「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」
「ねえ」
これは、夏目漱石が五高教師時代に、友人で同僚の山川信次郎とともに阿蘇登山した体験をもとに書いた「二百十日」の中の一節。泊まった内牧の温泉宿における女中とのやりとりのくだりである。
当時の恵比寿ビールのブランド力もすごいが、漱石も「とりあえずビール!」派だったのだろうか。ちょっと微笑ましい。熊本人に言わせるとさしずめ「さしよりビール!」てなもんだが、この「さしより」も実はれっきとした標準語。ちゃんと国語辞典にも載っている。また、女中の「ねえ」という返事は、今日ではほとんど使われないが、下男や下女が主人に対して「はい」の意味で「ねい」と答えていたという。「ねい」と同じ意味で「へん」という返事もあったが、こちらの方は僕が子供の頃、物売りのおばさんが使っていた覚えがある。
「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。情ない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶をする。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」
「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎に這入ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
「ねえ」と下女は肥後訛の返事をする。
「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」
「ねえ」
これは、夏目漱石が五高教師時代に、友人で同僚の山川信次郎とともに阿蘇登山した体験をもとに書いた「二百十日」の中の一節。泊まった内牧の温泉宿における女中とのやりとりのくだりである。
当時の恵比寿ビールのブランド力もすごいが、漱石も「とりあえずビール!」派だったのだろうか。ちょっと微笑ましい。熊本人に言わせるとさしずめ「さしよりビール!」てなもんだが、この「さしより」も実はれっきとした標準語。ちゃんと国語辞典にも載っている。また、女中の「ねえ」という返事は、今日ではほとんど使われないが、下男や下女が主人に対して「はい」の意味で「ねい」と答えていたという。「ねい」と同じ意味で「へん」という返事もあったが、こちらの方は僕が子供の頃、物売りのおばさんが使っていた覚えがある。