徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

明治の三名人と薪能

2017-07-16 20:25:27 | 音楽芸能
 日中のうだるような暑気さめやらぬ夕方、新町の書店に立ち寄った後、横手の妙永寺にある櫻間伴馬の墓に参った。
 櫻間伴馬(さくらまばんま)とは、維新後低迷を続けた能楽を復興させた立役者として、初世梅若実、十六世宝生九郎とともに「明治の三名人」の一人に数えられるシテ方金春流能楽師である。熊本出身の一地方役者ながら、その卓抜した技で観客の喝采を博した。喜寿を迎えた明治四十四年以降は「左陣」を名乗った。伴馬の墓は没した東京の池上本門寺にもある。
 標柱には次のように記されていた。
 天保六年(1835)七月十三日、金春流能大夫の家に生まれ、初め伴馬と称し、晩年左陣と改めた。安政三年(1856)松井佐渡に伴われて上京、能の大家中村平蔵に師事。帰国後千数百番を舞い、明治十三年(1880)上京後も千五百回演能、うち天覧・台覧能の出演も十数回に及び、明治の三名人と呼ばれた。大正六年六月二十四日、八十三歳で没した。

▼櫻間伴馬(左陣)と妙永寺(横手1丁目)の左陣の墓
 


※毎夏恒例の「出水神社薪能」が下記のとおり開催されます!
◆第58回出水神社薪能
【期 日】平成29年8月5日(土)
【時 間】18時~20時30分
【場 所】水前寺成趣園内能楽殿
【出 演】金春流
【番 組】舞囃子「融」
     狂言「鬼瓦」
     能「嵐山」

▼第55回出水神社薪能より能「土蜘」

舞踊団花童 & はつ喜 特別舞台 始まる!

2017-07-15 16:23:32 | 音楽芸能
 今日から桜の馬場城彩苑の湧々座で「舞踊団花童 & はつ喜 特別舞台」が始まった。3月に前シーズンが終わって4ヶ月ぶりの再開だ。千葉や東京や山口の花童ファンの皆様も遠路駆けつけていただいた。ありがたいことだ。あやのさんのお祖父様とも久しぶりにお会いできた。本丸御殿で公演が行われていた頃、いつも大広間の畳に並んで座り、観ていたことを思い出した。あんな日がまた戻って来るだろうか。
 今回は「七夕おどり」と題して、七夕にちなんだ演目を中心に華やかな舞台が繰り広げられた。次回は8月4日(金)、浴衣おどり(盆おどり)と題して行われる。















北岡神社祇園まつり

2017-07-13 23:30:29 | イベント
 かつて「祇園さん」とも呼ばれた北岡神社は、熊本では藤崎八旛宮と並ぶ古い由緒を持つ社で、承平年中(930年代)に、京都の祇園社(八坂神社)を飽田国府に勧請したことに始まる。その後、祇園山(花岡山)に、さらに正保四年(1647)に北岡山に遷座した。かつては、藤崎八旛宮例大祭にもひけをとらぬ大規模な神幸行列が行われていたという。





はじめの一曲 ~ 田村 ~

2017-07-12 22:20:44 | 音楽芸能
 今では年に4回はナマの能舞台を観るようになった僕が、最初に興味を持った能の演目がこれ。この「田村」は2000年に他界した僕の父の想い出の曲。と言っても父は能「田村」を観たことはない。父がまだ4、5歳で、泰勝寺の長岡家に日参していた頃、よく屋敷で謡曲のお稽古が行われており、父も謡の末席に侍らせられていたという。数ある曲の中でもこの「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節はいまだに憶えているという話をよく聞かせられたものだ。父の死後、この能「田村」を一度観てみたいと思ったのが、能にハマるきっかけとなった。

 下の映像は、昨年8月6日に水前寺成趣園能楽殿で行われた「出水神社薪能」における金春流の能「田村」。後シテ(坂上田村麻呂の霊)を務めるのは田中秀美さん。


【詞章】
いかに鬼神もたしかに聞け。昔もさるためしあり。千方といっし逆臣に。仕えし鬼も。王地を侵す天罰にて。千方を捨つればたちまち亡び失せしぞかし。ましてや間近き.鈴鹿山。ふりさけ見れば伊勢の海。ふりさけ見れば伊勢の海。阿濃の松原むらだち来たって。鬼神は。黒雲鉄火をふらしつつ。数千騎に身を変じて山の。如くに見えたる所に。あれを見よ.不思議やな。あれを見よ不思議やな。味方の軍兵の旗の上に。千手観音の。光をはなって虚空に飛行し。千の御手ごとに。大悲の弓には。知恵の矢をはげて。ひとたび放てば千の矢先。雨あられと降りかかって。鬼神の勢に.乱れ落つれば。ことごとく矢先にかかって鬼神は残らず討たれにけり。有難し有難しや直に咒咀諸毒薬念彼。観音の力を合わせて.すなわち還着於本人.すなわち還着於本人の。敵は亡びにけりこれ.観音の.仏力なり。

舞踊団花童 & はつ喜 特別舞台

2017-07-11 16:31:42 | 音楽芸能
 舞踊団「花童」とOGのプロ集団「はつ喜」による舞踊公演が、城彩苑湧々座で再開されます。
 今回は「くまもと四季めぐり」と題し、下記日程のとおり、月1回、季節に応じたサブテーマに沿って舞台が展開されます。
 日頃のたゆまぬ稽古で磨き上げた彼女たちの舞台をご覧になりませんか。おこしをお待ち申しあげます。

▼平成29年
  7月15日(土)七夕おどり
  8月 4日(金)浴衣おどり(盆おどり)
  9月17日(日)舟の舞 
 10月14日(土)菊の舞
 11月 4日(土)紅葉の舞
 12月24日(日)事始めの舞(クリスマスショー)
▼平成30年
  1月 8日(月)言祝ぎの舞
  2月 3日(土)くまもと初午おどり
  3月10日(土)ひなまつり絵巻

※いずれの日も、11時から14時からの2回公演となっています。(各回の上演時間は約60分)
※鑑賞チケット 1,500円

クリック拡大してご覧ください



>>> これまでの舞台から <<<




「高慢と偏見」と能楽

2017-07-09 22:20:51 | 文芸


 今月の「100分 de 名著」(Eテレ)はジェイン・オースティンの「高慢と偏見」。10年ほど前に観た映画、キーラ・ナイトレイ主演の「プライドと偏見」の原作だ。今日では近代文学の祖と称えられるオースティンも、当初日本ではあまり評価されなかったようだが、夏目漱石は高く評価して自らの文学の手本にしていたという。大正15年(1926)に日本でいち早く出版された「高慢と偏見」を翻訳したのが、大分県臼杵出身の英文学者・野上豊一郎。東京帝大時代に夏目漱石に師事していた。
 この野上豊一郎のもう一つの顔が能楽研究者。東京帝大時代の明治41年、高浜虚子に誘われて靖国神社の能楽堂で行われた能を鑑賞した。その時「葵上」を演じた、肥後の能役者で、明治の三名人の一人、桜間伴馬の芸に魅せられ、能楽にのめり込むことになる。以後、能の鑑賞と研究に勤しみ、多くの研究論文を物した。今日では「能楽研究の開拓者」とも呼ばれる。東京帝大を卒業した翌年には法政大学の講師となったが、後年、法政大学総長まで務め、今日の「野上記念法政大学能楽研究所」の基礎を築いた。

清正公枠(せいしょこわく)

2017-07-07 20:37:36 | 歴史
 今日、母の代理で玉名市大浜町の母の実家に盆のお参りに行った。大浜橋たもとの「清正公枠」が、護岸工事の後、どうなったか確認していなかったので、ついでに見て来た。「清正公枠」というのは加藤清正が治水対策のために築造したと伝わる護岸のための石積みの構造物のことで、一般的には「石刎(いしはね)」といわれるものだ。この「石刎」は菊池川だけではなく、熊本県内の他の河川でもあちこちで見ることが出来る。また治水技術としては「石刎」だけではなく、「杭刎(くいはね)」や遊水地として「轡塘(くつわども)」(久津和土井とも)などが数多く築造されたという。熊本県水俣市出身の民俗学者・谷川健一の著書「加藤清正:築城と治水」には次のように記されている。

―― 安政二年(1855)に 菊池川絵図方御用懸の井上英右衛門によって作成された「菊池川全図」によれば、菊池川河口より上流14.5kmに位置する八の字堰で有名な白石堰までの区間に、石刎が右岸に14基、左岸に17基、杭刎が右岸に47基、左岸に53基が築造され、最も長い石刎 で48間、杭刎で114間であることが判明した。また、「明治以前日本土木史」によればこの区間に轡塘が8ヶ所築造されている。――

 僕が幼い頃の夏、菊池川河口のこの辺りは、干潮時には広い砂浜が出現し、カニやえびや小魚などと戯れながら半日を過したものだ。久しぶりに見た「清正公枠」はそのほとんどがコンクリートに埋まり、息苦しそうに見えた。

▼護岸工事後の河岸の様子


▼先端部分だけをのぞかせた清正公枠



▼護岸工事前の清正公枠

熊本と白川

2017-07-06 18:10:01 | 熊本
 熊本もまだ雨は降り続きそうだ。福岡県の朝倉市などは、未曽有の豪雨に見舞われ、大災害となっている。わが熊本市は市内を貫流する白川が命運を握っている。
 「肥後国志」に「白川ハ世々ノ歌書文書ニモ出タル名所ニテ當國三河ノ一也 三河トハ白川黒川緑川ヲ云」と記述され、古来より流域に居住する人々の生活と深い関わりを持ってきた河川である。しかし一旦洪水が発生すれば “暴れ川” の異名があるように、市街地に大水害を起こしてきた。阿蘇根子岳に源を発する白川は、火山が噴出する火山灰が長期間にわたって白川水系の河川に流入し、豪雨の度に大量の泥流となって下流域の熊本平野へ押し寄せ続けた。16世紀末に加藤清正が入国し、初めて河川改修に着手した後も白川では頻繁に洪水が発生した。下の表にあるように熊本の歴史は、白川の洪水との戦いの歴史とも言える。
 さて、今夜も厳重警戒態勢の一夜になりそうだ。
※参考文献 研究論文「熊本・白川における橋梁変遷史(戸塚誠司・小林一郎)」より


▼東区新南部あたりを流れる白川



▼白川水害の歴史

中村勘九郎・中村七之助 八千代座公演

2017-07-05 20:37:51 | 音楽芸能
 歌舞伎の中村勘九郎・七之助兄弟による八千代座(山鹿市)公演が11月に開催されるというニュースが。二人の八千代座公演は11年ぶりだそうだ。その時は観ていないが、さらにその2年前、「五代目中村勘九郎名跡最後の錦秋特別公演」が熊本市民会館で行われた時観に行った。五代目中村勘九郎というのは、2012年に亡くなった十八代目中村勘三郎のこと。この時の演目は、中村七之助の「藤娘」、中村橋之助の「供奴」そして中村勘九郎と中村七之助による「連獅子」だった。現在の勘九郎(当時勘太郎)はケガかなにかで来なかった。あれから13年。歌舞伎の世界もすっかり代替わりしたようだ。今回の演し物は「棒しばり」と「藤娘」らしい。「棒しばり」は狂言で何度か見ているし、「藤娘」は前回も見ている。兄弟が共演する話題の新作歌舞伎「廓噺山名屋浦里」をいつか見てみたいものだ。

▼八千代座



▼長唄「供奴」

玄宅寺舞踊会は丸4年

2017-07-04 20:34:48 | 音楽芸能
 玄宅寺における月イチの花童舞踊会が始まって丸4年になる。われわれは当たり前のようになっているが、よくよく考えてみるとこれは大変なことだ。基本、花童は歌舞伎舞踊。ちょっとゆかた1枚着て踊るというわけにはいかない。わらべ達は自分で衣装や小道具の準備をするだけではなく、髪結い、化粧、着付までも自分たちでこなす。しかも、玄宅寺舞踊会が行われるのはほとんど平日。学校や勤めが終わって駆け付け、短時間で準備を終えなければならない。もちろん親御さんのサポートも大変だ。
 われわれときたら、本堂の座ぶとんに大あぐらをかき、他の人と駄弁を弄しながら始まるのを待つばかり。始まれば遠慮なしにシャッターを切る。しかもこれが観覧無料ときている。最近、申しわけないような気がしてきた。もともとこの催しは、水前寺の活性化を促すことが目的。4年を期にサポーターとしても何か考えなければならない時期なのかもしれない。

▼ある日の演目と衣装、小道具を記載したノート


▼この日のエンディングは「水前寺成趣園」

ジェットストリーム 50年

2017-07-03 17:26:22 | 歴史
 昨日、入院中の弟を見舞いに行く車の中でFM放送を聴いていた。ちょうど「山下達郎のサンデー・ソングブック」(TOKYO FM)をやっていて、「TOKYO FM」の人気番組「ジェットストリーム」が放送開始から、7月3日でちょうど50年になるのを記念し、「ジェットストリーム」を模した番組構成となっていた。
 50年前といえば東京で学生生活を送っていた頃。ラジオは必須アイテムだったが、まだFM放送はなじみがなく、僕が聴くのはもっぱらラジオ関東かFEN(Far East Network)だった。だから学生時代に「ジェットストリーム」を聴いた記憶がない。しかし、それから5、6年後、僕は熊本で勤務していたが、東京出張が多くなった。月に3、4回は日帰り出張をした。いつも帰りは熊本行きの最終便。機内での楽しみはラジオを聴くことだったが、なかでもJALの機内番組に入っていた「ジェットストリーム」を聴きながら、窓の外の夜空や雲海を眺めるのが何よりの楽しみだった。だから僕にとって「ジェットストリーム」は日帰り出張の思い出と一体となっている。
 この「ジェットストリーム」は、東海大学の実験放送「FM東海」が最初に始めた番組。この実験放送は東海大学の創立者で工学博士でもあった松前重義(熊本県嘉島町出身)の方針により始められたもの。「ジェットストリーム」は熊本にもゆかりの深い番組なのである。