昨日は、二俣川から西谷まで歩いた。
途中聴いた曲は1792年イタリア生まれのロッシーニの序曲集。
ロッシーニは、生涯の中で39もの歌劇を作曲したが、
37歳を過ぎてからは、歌劇を作曲していない。
その後オペラ界から引退した彼は、
フランスで年金生活を送るようになり、
器楽曲や宗教曲を作曲するようになったようだ。
歌劇「セビリャの理髪師」序曲は、
2分近くの序奏あと、有名ないくつかの旋律が次々登場する。
その軽快で明るい音楽は、聴き手をあきさせない。
オペラ・ブッファの名作の一つとされているこの歌劇、
作曲は2週間で行われ、序曲が間に合わなかった事情から、
歌劇「イギリス女王エリザベス」の序曲を転用したらしい。
序曲のリサイクル使用ということだろうか、
歌劇「セミラーミデ」は、1823年に完成した。
その歌劇の舞台は、古代のアッシリアのようだが、
その序曲の序奏でのホルンの吹奏などは、ドイツ風である。
その後の様々な旋律はイタリア的であっても、
曲自体の重厚な感じはドイツ風である。
「赤と黒」の作品で有名な作家スタンダールは、
この作品をドイツ風の騒々しい音楽と評したらしい。
そういうのも分からないでもない。
でも最後のクライマックスの築き方といい、
ロッシーニとしてはかなり力を注いだんだろう。
歌劇「アルジェのイタリア女」は1813年の作品。
若い時期の作品で、この時ロッシーニは21歳。
序曲は軽快な音楽で、甘美な旋律は親しみやすい。
歌劇「ウィリアム・テル」は1829年の作曲。
彼はこの歌劇の後、歌劇を作曲するのをやめたのだが、
その序曲は円熟した彼の作曲の技術を感じさせる。
室内楽のような夜明けを描写する序奏に続き、
嵐の描写が全合奏によって行われ、
そのあとのどかな牧歌風の音楽になる。
最後のスイス独立軍の行進については、
テレビでもよく使われたのであまりにも有名である。
そういう意味でも、通俗的な感じがしてしまうのだが、
各奏者の高い演奏技術が試されているような気もする。
まだまだ他の序曲も聴いたが、書くのはこのくらいにしよう。
でも「ウィリアム・テル」のあと彼が室内楽などの作品を
作曲するようになったのは、その序曲を聴くと分かる気がする。
この序曲の作り方をみると、彼の関心も
管弦楽から室内楽に移っているように感じるからである。
それにしてもこの「ウィリアム・テル」だが、
今はドイツの読み方の「ウィルヘルム・テル」を
使うようになってきているらしい。
でもこのウィリアム、フランスではギョーム、
イタリアではグッリェルモと呼ぶらしい。
だから、フランス語で上演される時は「ギョーム・テル」、
イタリア語で上演される時は「グッリェルモ・テル」、
読み方で面倒くさい話にはなったが、
4カ国語共通で、「テル」と呼ばれることには違いない。
途中聴いた曲は1792年イタリア生まれのロッシーニの序曲集。
ロッシーニは、生涯の中で39もの歌劇を作曲したが、
37歳を過ぎてからは、歌劇を作曲していない。
その後オペラ界から引退した彼は、
フランスで年金生活を送るようになり、
器楽曲や宗教曲を作曲するようになったようだ。
歌劇「セビリャの理髪師」序曲は、
2分近くの序奏あと、有名ないくつかの旋律が次々登場する。
その軽快で明るい音楽は、聴き手をあきさせない。
オペラ・ブッファの名作の一つとされているこの歌劇、
作曲は2週間で行われ、序曲が間に合わなかった事情から、
歌劇「イギリス女王エリザベス」の序曲を転用したらしい。
序曲のリサイクル使用ということだろうか、
歌劇「セミラーミデ」は、1823年に完成した。
その歌劇の舞台は、古代のアッシリアのようだが、
その序曲の序奏でのホルンの吹奏などは、ドイツ風である。
その後の様々な旋律はイタリア的であっても、
曲自体の重厚な感じはドイツ風である。
「赤と黒」の作品で有名な作家スタンダールは、
この作品をドイツ風の騒々しい音楽と評したらしい。
そういうのも分からないでもない。
でも最後のクライマックスの築き方といい、
ロッシーニとしてはかなり力を注いだんだろう。
歌劇「アルジェのイタリア女」は1813年の作品。
若い時期の作品で、この時ロッシーニは21歳。
序曲は軽快な音楽で、甘美な旋律は親しみやすい。
歌劇「ウィリアム・テル」は1829年の作曲。
彼はこの歌劇の後、歌劇を作曲するのをやめたのだが、
その序曲は円熟した彼の作曲の技術を感じさせる。
室内楽のような夜明けを描写する序奏に続き、
嵐の描写が全合奏によって行われ、
そのあとのどかな牧歌風の音楽になる。
最後のスイス独立軍の行進については、
テレビでもよく使われたのであまりにも有名である。
そういう意味でも、通俗的な感じがしてしまうのだが、
各奏者の高い演奏技術が試されているような気もする。
まだまだ他の序曲も聴いたが、書くのはこのくらいにしよう。
でも「ウィリアム・テル」のあと彼が室内楽などの作品を
作曲するようになったのは、その序曲を聴くと分かる気がする。
この序曲の作り方をみると、彼の関心も
管弦楽から室内楽に移っているように感じるからである。
それにしてもこの「ウィリアム・テル」だが、
今はドイツの読み方の「ウィルヘルム・テル」を
使うようになってきているらしい。
でもこのウィリアム、フランスではギョーム、
イタリアではグッリェルモと呼ぶらしい。
だから、フランス語で上演される時は「ギョーム・テル」、
イタリア語で上演される時は「グッリェルモ・テル」、
読み方で面倒くさい話にはなったが、
4カ国語共通で、「テル」と呼ばれることには違いない。