昨日は、横浜駅から和田町駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1953年生まれのファン・ダイクの曲。
オランダ生まれ彼は、南アフリカで活躍しているようなので、
ここでは、南アフリカ共和国の作曲家として紹介しておく。
彼は音楽界で作曲家としての活動だけではなく、
演奏や指揮法を教えたり、
テレビやラジオ放送用の録音などに手がけたりし、
幅広い分野で活躍している人物のようだ。
9歳の時から作曲を始め、
19歳には最初の歌劇「契約」を作曲し、
この作品は1975年にはケープタウン大学の
オペラ・スクールで初演したようだ。
二つ目の歌劇「アフリカーン」は1975年に作曲された。
基本的には作曲家としてよく知られているが、
南アフリカ国立放送協会交響楽団、
ケープ・フィルハーモニー管弦楽団や、
ケープタウン交響楽団などで音楽活動をしているようである。
「サン・クロニクル」はブッシュマン三部作の一つ。
1990年にトランスバール室内管弦楽団で初演された。
この地域の最も古い慣習を代表する原住民
サン族(ブッシュマン)に対する作曲者が抱く魅力と
愛情が音楽によって表現されている。
CDの作曲者本人の解説によると、
彼らは本当に誤解された人たちであるが、
自然環境保護の原則を理解した最初の人たちで、
岩絵に独特な芸術を生み出したり、
子どもや命に深い愛情を示したり、
白人・黒人の搾取や虐殺という歴史に直面しながらも、
すばらしい粘り強さを見せる人々であるということだ。
冒頭からイングリッシュ・ホルンのソロで
ファゴットが絡み合いながら奏される主題は、
聴いているとストラヴィンスキーのバレエ音楽、
「春の祭典」第1部の冒頭と類似し、原始主義的で、
この主題は金管楽器に引き継がれ展開される。
いくつかの主題が登場し、最初の主題を中心に
展開されていくが、バルトークの音楽をも思わせるところもあり、
20分足らずの音楽ではあるが、結構楽しめる曲である。
ヨーロッパ人の喜望峰を発見して以降、
オランダやイギリスから南アフリカにやってきて
サン族はその現代的な文明に接触するようになった。
中にはその現代文明を取り入れた人たちも多くいるようだ。
この音楽は、原始的な生活を送る彼らの生活と、
西洋人が持ちこんだ現代的な文明との間の相克を
音楽で描写しているような気がする。
途中聴いたのは、1953年生まれのファン・ダイクの曲。
オランダ生まれ彼は、南アフリカで活躍しているようなので、
ここでは、南アフリカ共和国の作曲家として紹介しておく。
彼は音楽界で作曲家としての活動だけではなく、
演奏や指揮法を教えたり、
テレビやラジオ放送用の録音などに手がけたりし、
幅広い分野で活躍している人物のようだ。
9歳の時から作曲を始め、
19歳には最初の歌劇「契約」を作曲し、
この作品は1975年にはケープタウン大学の
オペラ・スクールで初演したようだ。
二つ目の歌劇「アフリカーン」は1975年に作曲された。
基本的には作曲家としてよく知られているが、
南アフリカ国立放送協会交響楽団、
ケープ・フィルハーモニー管弦楽団や、
ケープタウン交響楽団などで音楽活動をしているようである。
「サン・クロニクル」はブッシュマン三部作の一つ。
1990年にトランスバール室内管弦楽団で初演された。
この地域の最も古い慣習を代表する原住民
サン族(ブッシュマン)に対する作曲者が抱く魅力と
愛情が音楽によって表現されている。
CDの作曲者本人の解説によると、
彼らは本当に誤解された人たちであるが、
自然環境保護の原則を理解した最初の人たちで、
岩絵に独特な芸術を生み出したり、
子どもや命に深い愛情を示したり、
白人・黒人の搾取や虐殺という歴史に直面しながらも、
すばらしい粘り強さを見せる人々であるということだ。
冒頭からイングリッシュ・ホルンのソロで
ファゴットが絡み合いながら奏される主題は、
聴いているとストラヴィンスキーのバレエ音楽、
「春の祭典」第1部の冒頭と類似し、原始主義的で、
この主題は金管楽器に引き継がれ展開される。
いくつかの主題が登場し、最初の主題を中心に
展開されていくが、バルトークの音楽をも思わせるところもあり、
20分足らずの音楽ではあるが、結構楽しめる曲である。
ヨーロッパ人の喜望峰を発見して以降、
オランダやイギリスから南アフリカにやってきて
サン族はその現代的な文明に接触するようになった。
中にはその現代文明を取り入れた人たちも多くいるようだ。
この音楽は、原始的な生活を送る彼らの生活と、
西洋人が持ちこんだ現代的な文明との間の相克を
音楽で描写しているような気がする。