昨日は、川崎駅から大森の善慶寺まで歩きました。
川崎駅から国道1号線の通る都町の交差点まで歩き、
そこからひたすら国道1号線を東京方面に向かって歩く。
東急多摩川線、池上線を越え、千鳥の交差点を右に曲がり、
421号線に入り池上通を大森駅に向かって歩く。
さらに環七通を越え、大森の郵便局を右手に見て左に曲がると
全国義民顕彰連絡協議会総会の会場、善慶寺が見えてきた。
いわゆる百姓一揆とよばれる民衆運動は、
江戸時代の各地で起こった現象ではあったが、
一方さまざまな義民の話を全国各地に生み出した。
善慶寺には大森新井宿義民六人衆の墓がある。
昭和6年には東京都の史跡に指定されたようだ。
それにしても、こういった義民の話がどんな時代背景の中、
どうして全国各地で生まれていったのかが興味ある話だ。
歴史の史実にはないストーリーが、
いかにして創造され、伝承されていったのか。
それを探ることも歴史研究にとって大切なことなのだろう。
それとともに百姓一揆とは何であったかを
今まで作り上げられたイメージが本当に正しいものかを、
再び問い直す時期にも来ているのかもしれない。
私の研究のハーバーフェルトトライベンも、
民衆運動として考えた場合は、共通した部分がある。
制裁活動を行うハーバラーとよばれる彼らは、
武装をしてはいるが、一定の規律を守っていた。
相手に危害を加えるというよりは、むしろ自衛であり、
相手が近づいた場合に、威嚇の手段として武装をしていた。
彼らの行動には、ある種のモラルと、
正義感というものがあったようなのである。
さて、管弦楽曲の紹介だが、最後のイギリス編に入る前に、
番外編として今まで触れていない地域の音楽に触れる。
昨日途中聴いたのは、1917年生まれのユン・イサンの曲だ。
韓国の作曲家であるユン・イサン(尹伊桑)は、
慶尚南道統営に生まれ、大阪と東京で音楽を学んだ。
反日運動で逮捕された時期もあるようだ。
その後ドイツに渡り、そこで教育活動にも携わった。
「光州よ、永遠に!」は1981年の作品である。
管弦楽のために作曲されたこの曲は、
1980年に韓国で起きた光州事件を扱った作品である。
全斗煥が朴正熙の死後、クーデタにより軍の実権を掌握し、
光州でおきた市民・学生の民主化運動に対して、
戒厳令を発布し、武力でこれを鎮圧し、
多くの死傷者が一連の光州事件で出た。
事件における市民・学生と軍部との激しい衝突の様子や、
威圧的な軍部の力が打楽器や金管楽器によって表現され、
人々の民主化の望みが弦楽器で表現されている感じだ。
現代音楽的な作品ではあるが、歴史的事件を扱ったからこそ、
作品には説得力があり聴き手に訴えかけてくるものがある。
それにしてもその作品の代表的な演奏は、
朝鮮民主主義人民共和国国立交響楽団によるもので、
確認できるだけで、2つの録音が残されている。
なぜ、朝鮮民主主義人民共和国なのかはわからないなあ。
川崎駅から国道1号線の通る都町の交差点まで歩き、
そこからひたすら国道1号線を東京方面に向かって歩く。
東急多摩川線、池上線を越え、千鳥の交差点を右に曲がり、
421号線に入り池上通を大森駅に向かって歩く。
さらに環七通を越え、大森の郵便局を右手に見て左に曲がると
全国義民顕彰連絡協議会総会の会場、善慶寺が見えてきた。
いわゆる百姓一揆とよばれる民衆運動は、
江戸時代の各地で起こった現象ではあったが、
一方さまざまな義民の話を全国各地に生み出した。
善慶寺には大森新井宿義民六人衆の墓がある。
昭和6年には東京都の史跡に指定されたようだ。
それにしても、こういった義民の話がどんな時代背景の中、
どうして全国各地で生まれていったのかが興味ある話だ。
歴史の史実にはないストーリーが、
いかにして創造され、伝承されていったのか。
それを探ることも歴史研究にとって大切なことなのだろう。
それとともに百姓一揆とは何であったかを
今まで作り上げられたイメージが本当に正しいものかを、
再び問い直す時期にも来ているのかもしれない。
私の研究のハーバーフェルトトライベンも、
民衆運動として考えた場合は、共通した部分がある。
制裁活動を行うハーバラーとよばれる彼らは、
武装をしてはいるが、一定の規律を守っていた。
相手に危害を加えるというよりは、むしろ自衛であり、
相手が近づいた場合に、威嚇の手段として武装をしていた。
彼らの行動には、ある種のモラルと、
正義感というものがあったようなのである。
さて、管弦楽曲の紹介だが、最後のイギリス編に入る前に、
番外編として今まで触れていない地域の音楽に触れる。
昨日途中聴いたのは、1917年生まれのユン・イサンの曲だ。
韓国の作曲家であるユン・イサン(尹伊桑)は、
慶尚南道統営に生まれ、大阪と東京で音楽を学んだ。
反日運動で逮捕された時期もあるようだ。
その後ドイツに渡り、そこで教育活動にも携わった。
「光州よ、永遠に!」は1981年の作品である。
管弦楽のために作曲されたこの曲は、
1980年に韓国で起きた光州事件を扱った作品である。
全斗煥が朴正熙の死後、クーデタにより軍の実権を掌握し、
光州でおきた市民・学生の民主化運動に対して、
戒厳令を発布し、武力でこれを鎮圧し、
多くの死傷者が一連の光州事件で出た。
事件における市民・学生と軍部との激しい衝突の様子や、
威圧的な軍部の力が打楽器や金管楽器によって表現され、
人々の民主化の望みが弦楽器で表現されている感じだ。
現代音楽的な作品ではあるが、歴史的事件を扱ったからこそ、
作品には説得力があり聴き手に訴えかけてくるものがある。
それにしてもその作品の代表的な演奏は、
朝鮮民主主義人民共和国国立交響楽団によるもので、
確認できるだけで、2つの録音が残されている。
なぜ、朝鮮民主主義人民共和国なのかはわからないなあ。