昨日は、ウォーキングは休みました。
今回紹介するのは、1940年生まれのアクパボットの曲だ。
CDの英文による解説によると、アクパボットは、
ナイジェリアのアクワ・イボン州エティナン地区出身である。
若くして並々ならぬ音楽的才能を見せたようだ。
ヨーロッパ人に音楽を学んだ教師から西洋音楽を学んだようだ。
その後イギリスに渡り、ロンドンの王立音楽院で、
奨学金を与えられ、オルガン、トランペット、作曲を学ぶ。
イギリス留学後は、自国の土着の音楽の研究を、
教えたり、指導するためにナイジェリアに戻り、
イフェ大学で教えたようである。
その後民族音楽の研究をアメリカのシカゴ大学、
およびミシガン州立大学で続け、博士学位を授与されたようだ。
出版物によって、彼は西アフリカの土着音楽研究の
第一人者としての評価を得たようでもある。
アクパボットの曲のいくつかは、
アフリカと西洋楽器を一緒に使っているらしいが、
この3つのナイジェリアの踊りの場合は、
西洋楽器しか使っていない。
曲は第1曲のアレグロ・モデラート、
第2曲のアンダンテ・カンタービレ、
第3曲のアレグレットの3曲で構成されている。
しかし、土着的な感じはせず、
聴いてみると西洋的な感じは強い。
解説では、「呼びかけと応答」のパターンと
慣習的なリズムによるモティーフを利用し、
西アフリカ音楽の特徴を伝えているということなのだが、
それは、なかなかわかりにくい。
でも、第1曲の最初は2つの旋律のかけあいから始まる。
このあたりは、「呼びかけと応答」のパターンだなと理解できる。
よくまあこんなCDを持っていたなあと我ながら感心する。
いつ買ったかどうかも忘れてしまったCDの一枚である。
今回紹介するのは、1940年生まれのアクパボットの曲だ。
CDの英文による解説によると、アクパボットは、
ナイジェリアのアクワ・イボン州エティナン地区出身である。
若くして並々ならぬ音楽的才能を見せたようだ。
ヨーロッパ人に音楽を学んだ教師から西洋音楽を学んだようだ。
その後イギリスに渡り、ロンドンの王立音楽院で、
奨学金を与えられ、オルガン、トランペット、作曲を学ぶ。
イギリス留学後は、自国の土着の音楽の研究を、
教えたり、指導するためにナイジェリアに戻り、
イフェ大学で教えたようである。
その後民族音楽の研究をアメリカのシカゴ大学、
およびミシガン州立大学で続け、博士学位を授与されたようだ。
出版物によって、彼は西アフリカの土着音楽研究の
第一人者としての評価を得たようでもある。
アクパボットの曲のいくつかは、
アフリカと西洋楽器を一緒に使っているらしいが、
この3つのナイジェリアの踊りの場合は、
西洋楽器しか使っていない。
曲は第1曲のアレグロ・モデラート、
第2曲のアンダンテ・カンタービレ、
第3曲のアレグレットの3曲で構成されている。
しかし、土着的な感じはせず、
聴いてみると西洋的な感じは強い。
解説では、「呼びかけと応答」のパターンと
慣習的なリズムによるモティーフを利用し、
西アフリカ音楽の特徴を伝えているということなのだが、
それは、なかなかわかりにくい。
でも、第1曲の最初は2つの旋律のかけあいから始まる。
このあたりは、「呼びかけと応答」のパターンだなと理解できる。
よくまあこんなCDを持っていたなあと我ながら感心する。
いつ買ったかどうかも忘れてしまったCDの一枚である。