昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは1757年生まれのプレイエルの作品。
オーストリア出身の彼は1770年代にハイドンに数年間師事した。
作曲家として活躍した彼は、1783年にはストラスブールに移り、
1789年には大聖堂の楽長に就任したが、フランス革命の影響で、
教会内での演奏が禁止されることになって、
イギリスのロンドンで演奏会を行ったようである。
その後ストラスブールに戻り、1795年にはパリに移り住み、
楽譜の出版やピアノの製作などの事業に携わったようだ。
この時代の彼は、非常に有名な人物であったようだが、
彼の死後人々から忘れ去られる作曲家となってしまったようだ。
フランスの呼び方ではイグナス・プレイエルと呼ぶ。
弦楽四重奏曲変ホ長調作品2の4の作曲年代は分からないが、
1784年に楽譜が出版されたようだから、
初期の作品であることには違いない。
第1楽章アレグロは、優雅な感じで始まる軽快な曲だが、
冒頭からしてハイドンの弦楽四重奏曲を感じさせる曲である。
曲想や展開の手法からしてもハイドン風であり、
プライエルがハイドンの弟子であったことを納得させる。
第2楽章アダージョは、ゆったりとした中に歌劇を思わせる
アリアの部分を感じさせるような歌う旋律が親しみやすい。
第3楽章テンポ・デ・メヌエットは、短く軽快な曲である。
舞踏的で宮廷的で華麗な曲である。
第4楽章アレグロ・アッサイは、ハイドン風な音楽で、
フィナーレらしい颯爽とした楽章である。
主題が展開される部分は短く、すぐ再現部に入り、
駆け抜けるようにして全曲を終える。
続けて聴いた弦楽四重奏曲変ホ長調作品2の5は3楽章制の曲で、
第1楽章アレグロは、各楽器の扱いが工夫されており、
チェロの扱いもなかなか効果的で軽快な曲である。
展開部での主題の扱い方には彼らしいユニークさがある。
第2楽章アンダンテ・カンタービレは、ゆったりとした曲で、
ヴァイオリンとチェロによって歌われる旋律は優雅である。
第3楽章ロンド、グラツィオーソは、一転して軽快な曲。
ヴァイオリンにより奏される主題は楽しく心地よい。
各楽器の良さが引き出されている感じである。
それにしてもこのような作曲家たちが忘れ去られるくらい、
この時代のハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンの存在は、
大きいものだったんだろうなあとも感じてしまうのである。
途中聴いたのは1757年生まれのプレイエルの作品。
オーストリア出身の彼は1770年代にハイドンに数年間師事した。
作曲家として活躍した彼は、1783年にはストラスブールに移り、
1789年には大聖堂の楽長に就任したが、フランス革命の影響で、
教会内での演奏が禁止されることになって、
イギリスのロンドンで演奏会を行ったようである。
その後ストラスブールに戻り、1795年にはパリに移り住み、
楽譜の出版やピアノの製作などの事業に携わったようだ。
この時代の彼は、非常に有名な人物であったようだが、
彼の死後人々から忘れ去られる作曲家となってしまったようだ。
フランスの呼び方ではイグナス・プレイエルと呼ぶ。
弦楽四重奏曲変ホ長調作品2の4の作曲年代は分からないが、
1784年に楽譜が出版されたようだから、
初期の作品であることには違いない。
第1楽章アレグロは、優雅な感じで始まる軽快な曲だが、
冒頭からしてハイドンの弦楽四重奏曲を感じさせる曲である。
曲想や展開の手法からしてもハイドン風であり、
プライエルがハイドンの弟子であったことを納得させる。
第2楽章アダージョは、ゆったりとした中に歌劇を思わせる
アリアの部分を感じさせるような歌う旋律が親しみやすい。
第3楽章テンポ・デ・メヌエットは、短く軽快な曲である。
舞踏的で宮廷的で華麗な曲である。
第4楽章アレグロ・アッサイは、ハイドン風な音楽で、
フィナーレらしい颯爽とした楽章である。
主題が展開される部分は短く、すぐ再現部に入り、
駆け抜けるようにして全曲を終える。
続けて聴いた弦楽四重奏曲変ホ長調作品2の5は3楽章制の曲で、
第1楽章アレグロは、各楽器の扱いが工夫されており、
チェロの扱いもなかなか効果的で軽快な曲である。
展開部での主題の扱い方には彼らしいユニークさがある。
第2楽章アンダンテ・カンタービレは、ゆったりとした曲で、
ヴァイオリンとチェロによって歌われる旋律は優雅である。
第3楽章ロンド、グラツィオーソは、一転して軽快な曲。
ヴァイオリンにより奏される主題は楽しく心地よい。
各楽器の良さが引き出されている感じである。
それにしてもこのような作曲家たちが忘れ去られるくらい、
この時代のハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンの存在は、
大きいものだったんだろうなあとも感じてしまうのである。