昨日は横浜から和田町までを二人で歩きました。
一緒に歩く人がいると、ふだん歩くルートも別の意味合いを持つ。
あっという間に目的地に着いてしまうぐらいに、
途中話すことは尽きないという感じである。
その中で思うのはそれぞれの人間にはそれぞれの生き方があり、
それを同じようには体験できるものではないが、
その話を聞くことで自分の世界を広げることもできるし、
逆に元気づけられるところもあるから不思議である。
和田町の炭やで美酒に酔いながら、ブルックナーの
音楽の話題にも楽みながらあっという間の時間を過ごした。
今回とりあげるのは1856年生まれのタネーエフ(タニェエフ)の作品。
モスクワ音楽院でピアノと作曲法を学んだあと、
演奏家として活躍する一方、教育者としても活躍し、
ラフマニノフやスクリャービンなどの逸材を育てたようである。
カンツォーナはクラリネットによる作品で、
1883年に作曲されているのが原曲であるが、
今回はロストロポーヴィチのチェロ演奏による版で聴いてみた。
冒頭からピアノの演奏で始まるその曲は、
悲しい感じで始まり、チェロも囁くような旋律を弾く。
人生の悲哀感を感じさせながら、つかの間の幸せを表現している。
8分足らずの短い中でチェロが朗々と歌う音楽は、
何かを伝えたりないような感じを残しながら、
最後静かに終わるだが、人生もそんな感じなのかもしれない。
やりたいことを人生の中でやりとげることはできるのだろうか。
そう思うと今を精一杯に生きるという友人の言葉を、
しみじみそうだなあと感じたりもするのである。
一緒に歩く人がいると、ふだん歩くルートも別の意味合いを持つ。
あっという間に目的地に着いてしまうぐらいに、
途中話すことは尽きないという感じである。
その中で思うのはそれぞれの人間にはそれぞれの生き方があり、
それを同じようには体験できるものではないが、
その話を聞くことで自分の世界を広げることもできるし、
逆に元気づけられるところもあるから不思議である。
和田町の炭やで美酒に酔いながら、ブルックナーの
音楽の話題にも楽みながらあっという間の時間を過ごした。
今回とりあげるのは1856年生まれのタネーエフ(タニェエフ)の作品。
モスクワ音楽院でピアノと作曲法を学んだあと、
演奏家として活躍する一方、教育者としても活躍し、
ラフマニノフやスクリャービンなどの逸材を育てたようである。
カンツォーナはクラリネットによる作品で、
1883年に作曲されているのが原曲であるが、
今回はロストロポーヴィチのチェロ演奏による版で聴いてみた。
冒頭からピアノの演奏で始まるその曲は、
悲しい感じで始まり、チェロも囁くような旋律を弾く。
人生の悲哀感を感じさせながら、つかの間の幸せを表現している。
8分足らずの短い中でチェロが朗々と歌う音楽は、
何かを伝えたりないような感じを残しながら、
最後静かに終わるだが、人生もそんな感じなのかもしれない。
やりたいことを人生の中でやりとげることはできるのだろうか。
そう思うと今を精一杯に生きるという友人の言葉を、
しみじみそうだなあと感じたりもするのである。