昨日は二俣川から弥生台駅まで歩きました。
途中聴いたのは1864年モスクワ生まれのグレチャニノフの作品。
アレクサンドル・グレチャニノフ(Alexander Grechaninov)は、
CDの解説書によれば、学生時代には教会の合唱団のソリストとして歌い、
14歳からピアノ・レッスンを受け始めた。
1881年には、モスクワ音楽院でチャイコフスキーの友人、
ニコライ・キシュキンのピアノ・クラスに入ったようだ。
その後タネーエフやアレンスキーなどに師事し、
1890年にはペテルブルク音楽院に移り、
リムスキー=コルサコフに師事したようである。
ロシアで1917年に革命が起こったあとは、
ロンドン、プラハ、パリとヨーロッパ各地を転々とし、
最終的にはアメリカ合衆国に移住し、
1946年にアメリカの市民権を獲得して、
その後1956年ニューヨークで亡くなった作曲家である。
交響曲第1番ロ短調作品6は、1894年に作曲された。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポは、
ボロディンなどを想起させる国民楽派の流れを受ける音楽だ。
悲しげなロシア民謡風の主題はとても印象的である。
途中から金管楽器も加わり荒々しくスケールの大きい感じとなるが、
とにかくロマン派らしい音楽でとても聴きやすい曲である。
第2楽章アンダンテ・ソスティヌート・アッサイは、
ロシア民謡風の音楽で、のどかな牧歌的な音楽である。
ところどころに哀愁がただよい、重々しさもある。
第3楽章モルト・ヴィヴァーチェは、軽快で華やかな曲で、
その舞踏的な音楽は、ボロディン風な印象を受ける。
第4楽章アレグロ・スピリトーソは、フィナーレらしく、
軽快で華やかな曲であり、やはりボロディン風な曲だ。
親しみやすいような旋律が多く、聴きやすい音楽である。
最後は爽快感のある圧倒的な高揚感の中で終わる。
途中聴いたのは1864年モスクワ生まれのグレチャニノフの作品。
アレクサンドル・グレチャニノフ(Alexander Grechaninov)は、
CDの解説書によれば、学生時代には教会の合唱団のソリストとして歌い、
14歳からピアノ・レッスンを受け始めた。
1881年には、モスクワ音楽院でチャイコフスキーの友人、
ニコライ・キシュキンのピアノ・クラスに入ったようだ。
その後タネーエフやアレンスキーなどに師事し、
1890年にはペテルブルク音楽院に移り、
リムスキー=コルサコフに師事したようである。
ロシアで1917年に革命が起こったあとは、
ロンドン、プラハ、パリとヨーロッパ各地を転々とし、
最終的にはアメリカ合衆国に移住し、
1946年にアメリカの市民権を獲得して、
その後1956年ニューヨークで亡くなった作曲家である。
交響曲第1番ロ短調作品6は、1894年に作曲された。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポは、
ボロディンなどを想起させる国民楽派の流れを受ける音楽だ。
悲しげなロシア民謡風の主題はとても印象的である。
途中から金管楽器も加わり荒々しくスケールの大きい感じとなるが、
とにかくロマン派らしい音楽でとても聴きやすい曲である。
第2楽章アンダンテ・ソスティヌート・アッサイは、
ロシア民謡風の音楽で、のどかな牧歌的な音楽である。
ところどころに哀愁がただよい、重々しさもある。
第3楽章モルト・ヴィヴァーチェは、軽快で華やかな曲で、
その舞踏的な音楽は、ボロディン風な印象を受ける。
第4楽章アレグロ・スピリトーソは、フィナーレらしく、
軽快で華やかな曲であり、やはりボロディン風な曲だ。
親しみやすいような旋律が多く、聴きやすい音楽である。
最後は爽快感のある圧倒的な高揚感の中で終わる。