4月10日
季節は人を翻弄し、人は季節に恨み節
もとはと言えば誰のせい さすがの姉ちゃも呆れ顔
4月13日
それはともかく、
近日、短編『林の向こうに(仮題)』公開予定!
4月10日
季節は人を翻弄し、人は季節に恨み節
もとはと言えば誰のせい さすがの姉ちゃも呆れ顔
4月13日
それはともかく、
近日、短編『林の向こうに(仮題)』公開予定!
リフトに乗った時から、異常はわかっていた。
名木山ゲレンデで味わっていた快適なコンディションが嘘のようであった。山肌を滑り来る巨大な霧にリフトごと囚われたかと思うと、あっという間に別世界になった。前を向けないほどの猛烈な吹雪である。三月とはとても思えない。真冬の嵐である。気温は一気に十度下がり、我々三人はリフトのポールにしがみついて、なすすべもなくガタガタと震えた。前方のリフトが風で左右に揺さぶられているのが見える。このままではリフトが止まる、と思った。事実我々が乗っている間に二度ほど、あまりの強風のために一時停止した。それでもなんとか終点までたどり着き、我々三人はパノラマゲレンデの上に降り立った。
しかしいったいどこに、そのゲレンデがあるのだ?
何も見えなかった。我々は完全に選択を誤った。大自然は一層勢いを増したかのように、横殴りにゲレンデを吹き飛ばしていた。視界は五十メートルもない。危険だ、止めましょう、と同行の二人に呼びかけようとしたら、そのうちの一人の背中が吹雪に消えた。滑走を始めたのだ。
手遅れだ、行くしかない。
滑ると言っても、足元の雪が舞い上がるほどの強風で、スキー板のコントロールすらままならない。ずり落ちるようにして数十メートル下がったら、暴風はいよいよ勢いを増し、竜巻の中心に巻き込まれたような状態になった。もはや自分の足下すら見えない。完全なるホワイトアウトである。
考えていることすら掻き消す轟音。体ごと持っていかれそうな暴風。全身に突き刺さる氷雪。
一体どの方角に進むべきかも覚束なくなり、怖くて尻もちをついた。動けない。冬山の遭難とはこうしてなるのだろう、と頭の片隅で思った。しかし降りなければならない。何としてでも。二人が心配しているだろう。そもそも彼らは無事なのか?
一ターン、二ターンしたら立ち尽くす、といったこわごわした滑り方で、ようやく比較的風の弱い地点まで降りて来た。視界が徐々に回復する。
遠くにかすかにヒュッテが見えた。助かったのだ───。
「ここ、ここ! ほらこっちに座れ、馬鹿、向かい合わせじゃなきゃ話が出来ないじゃないか。ヒデジ、お前相変わらず馬鹿だな。 でもほんと久しぶりだなあ! 二十年ぶりか。え? そんなに経ってないか」
威勢よく次々と繰り出す言葉とは裏腹に、彼の細面はまるで何かを恐れるかのように強張り、紅潮していた。
一方でヒデジと呼ばれた眼鏡男も、どう対応していいかわからない様子である。仕切り板やテーブルなどあちこちにぶつかりながら席に着いた。
ぶかぶかのセーターと傷んだ皮ジャンがテーブルを挟んで向き合う。
カウンターに立つ蝶ネクタイの老人は、仏頂面に目を細めて二人を見やった。
店の壁には、黒ずんだ白肌美人のポスター。色褪せて抽象画に変じた静物の絵。棚の上で埃を被るコーヒーミル。日に晒された紫煙。
表通りの喧騒も、この店内までは届かない。
「しょ・・・しょうちゃん、元気だった?」
「ああ、元気じゃねえよ。だって俺もお前も、もう四十五だ。びっくりするな、四十五だぜ? なあ。笑っちゃうよな」
しょうちゃんは長い腕を伸ばし、「ほんと久しぶりだなあ!」と言いながらヒデジの肩を叩いた。そしてもう片方の腕をカウンターから見えるように高く上げた。
「マスター、ホット二つ! お前もホットでいいな?」
「ええと、ぼく、コーヒーはあんまり飲まないんだ。お腹がいたくなるから。ええと、ええと・・・紅茶がいいな」
皮ジャンは呆れたようにセーターを見つめた。 「何だいお前。コーヒー飲めないのか」
「飲めるけど、うん、なるべく午後は飲まないようにしてるんだ」
「へええ。そうか。午後ってなんだ。午前と午後じゃなんか変わるのか。まあいいや、マスター、変更! ホット一つにレモンティー一つ! ヒデジ、お前レモンティーでよかったか」
「ああ、うん」
注文は終わり、二人の会話は途切れた。
(ほら、つづく)
ドアが開くと、羊飼いが羊につける鈴のような音が鳴った。
随分古びた喫茶店であった。漫画本が敷き詰められた本棚の上には、スポーツ新聞や雑誌が無造作に寝そべっている。奥のボックス席からは煙草の煙が昇り、丸みを帯びた窓から入る日差しがその煙を無時間の世界のように照らしていた。BGMはない。店全体からどことなく湿り気を帯びた、コーヒー豆と煙草と菜種油の混ざったようなすえた匂いがした。
小男は戸惑いも顕わに立ち尽くした。
「いらっしゃい」
カウンターから無愛想な老人の声。とほとんど同時に、素っ頓狂な甲高い声がそれに被さった。
「おお、ヒデジ、ここだ、ここ、ここ!」
ボックス席から元気よく腕を振り上げたのは、いわゆる「皮ジャン」、それもビンテージと呼ばれる時期を通り過ぎてくたびれかけたそれに身を包み、ビール色に染まった髪を総立ちにさせたはよいが、年齢のせいか毛の先が痛んでよれよれになり始めた、どうやらひと時代前に相当遊んだとおぼしき中年の男であった。
鼻ひげを若干蓄え、耳にはピアスを嵌めていた。
(たぶんつづく)
高層ビルと高層ビルに挟まれた小さな喫茶店の前を、先ほどから一人の小男が行ったり来たりして通行人の邪魔をしていた。行く手を彼に阻まれた通りすがりの人が、街中でできる精いっぱいの悪意ある目つきで睨んできたことも一度や二度ではなかった。しかしこの小男には何も見えていないようであった。黒ぶち眼鏡のレンズに歪められた、豆粒ほどの目を落ち着かなく動かしながら、顎に手を当てたり腕組みをしたりして、彼はもう二、三十分も、その店に入ろうか止そうかで思案しているのであった。
ときどき悲しげに首を振り、意味をなさない言葉をぶつぶつ呟いた。「いやだって、今さら・・・ふつう、今さら、畜生でも待てよ・・・」
街路樹は今年最後の葉を落とし、街はその枯葉から抽出したような秋色の装いに身を固めた人々で溢れていた。それだけに、群青にオレンジのストライプの入ったぶかぶかのセーターを、多少持て余し気味に着込んだ彼の姿は、それだけで目立った。それに気付いていないのはどうやら彼だけな様子であった。
「ええい、知るか、何で今さら、でもここ・・・コーヒー店?」
彼は拳を振り回して呟き終えると、意を決し、玄関マットでつまづきそうになりながらも店の中に入っていった。
(ぼちぼちとつづく)
両親に捨てられた、という人に出会った。まさかと思ったが、話を聞くと、本当に捨てられたようである。まず父親が家を去り、次いで母親に、父親のいる町で置き去りにされた。お父さんのところにお行き、というわけである。父親は息子との再会を喜ばなかった。父親と同棲していた女はなおさらであった。
冷え切った年の瀬の晩、明かりの足らない飲み屋のカウンターで、ウィスキーグラスを傾けながら私はその話を聞いた。
その人は感情のない目を宙に向け、とつとつと語った。ときに冗談のように口だけ歪めた顔を私に向けながら。
─────暴力を振るわれた思い出しかありませんよ。
そんなことが実際にあるんだ。私はそう思った。どんなことがあっても、人はけなげに生きていくんだ、とも。
いっそのこと雪が降ればよかった。が、雪はなかなか降らなかった。街の汚れも吹き溜まりも、その醜い姿を月明かりに露呈しながら凍えていた。孤独も絶望も、悲哀も、不信も、街のあちこちの暗がりに身をひそめたまま、誰にも温められずに年を越すのだ。
私はウィスキーを口に含んだ。その晩はなかなか酔えなかった。
その人は生涯に何度も引っ越しを繰り返していた。自分を捨てた母がいると聞いた町に引っ越したこともある。もしかしたら会えるかもしれない、と思ったからである。
─────会って、どんな話をするんですか。
─────自分を捨てたわけを聞きたかった。
その望みはついに叶わなかった。すでに、両親とも他界したからである。その通知だけは、二回ともしっかりと受け取ったという。
その人は、繰り返すが、立派に生きていた。きちんと働き、自分に誇りを持っていた、という意味で。ただ─────
─────ただ、どうしても人を信頼できないんです。
彼はそうつぶやいた。
─────人を信頼できるようになるために、自分は生きているんです。
その晩、雪はついに降らなかった。
私はコートの襟を合わせ、肩を震わせながら帰路に就いた。
先日の日曜日は珍しく芸術鑑賞づくめだった。午前九時からのギター弾き語りを皮切りに、昼過ぎからは演劇、夕方工芸品市の散策を挟んで、夜は大音量のコンサート。さすがにそれだけ続くと、感覚神経が疲れ果てる。感動にも体力がいるのである。
食事を済ませたはずなのに、夜更けに茶漬けをかきこんだ。
箸を置き、嘆息する。
それでようやく、音のない世界が訪れた。
秋空の下、地域の運動会が催された。
私は体育委員である。体育委員は、運動会の選手を集めなければならない。ところが昨今はなかなか人が集まらない。集まらなければ、最後の手段として、体育委員が埋め合わせに回される。という論理で、私は今回リレーの選手に選ばれた。仕方ないから出てくれという。何が仕方ないのか一向にわからない。私の足は速くない。ここ何年も運動をしていない。リレーに選ばれる要素など微塵もないと自信を持って言える。それなのに、出る人がいないから、出ろなんて、そんなことがあっていいのだろうか。
一週間の準備期間に、走りこめるだけ走ったが、一週間やそこらでは、十秒を九秒にできるはずがない。もちろん二十秒をを十九秒にもできない。一体どうするのだろうと途方にくれながら当日を迎えた。
リレーは運動会の花形である。当然最後の種目。疾走順は一番。一番は半周で済むから、一周走る順番から泣きついて変えてもらったのだ。しかし一番手は皆一斉にスタートするのだから、確実に順位がつく。一番を選んで、本当に良かったのか。もう後戻りはできない。
鉢巻きを巻き、バトンを握りしめ、スタートラインに立った時、爽やかな秋風に乗って四方から歓声が沸き起こった。なるほど、これが「さらし者」という存在が味わう気分か、と思うと同時に、実に懐かしい、小学生か中学生の時以来の、得も言われぬ高揚感が沸き起こってきた。運動会だ。これは、あの、緊張と、恐怖と、やる気、と汗、と興奮と、どこか無責任なお祭り気分のないまぜになった、正真正銘の運動会だ。
この感覚を四十を過ぎて再び味わえるなんて、私はなんて幸せ者であり、不幸せ者なのだ。
ピストルが鳴り、硝煙の匂いを微かに嗅ぎながら、私は懸命にダッシュした。無我夢中で手足を振った。
結果は三位。五人中の三番目である。埋め合わせで走ったにしては十分の合格点ではなかろうか。
そう思って自分をなぐさめている。
それでも何だかもっと自分をいたわりたくて、翌日一人で温泉に行った。
秋雨が続く。
近所の老人は小雨が降る中でも杖を突きながら買い物に出る。
私は窓から秋雨を眺める。
子供の頃、秋の匂いと言えば、枯葉積もる山道に落ちた栗の匂いだった。
栗拾いによく行かされた。火箸とビニル袋を持たされて、袋一杯取ってこい、というわけである。家の裏山には何本も栗の木があった。おそらく植えたものではなく、自生したものだろう。栗の木がたくさん生えていれば、当然落ちた栗も無数にある。栗のイガを両足で踏みつけると、開いた口から艶やかな栗の実が顔を覗かせる。少しすえた様な、甘ったるいような香りが鼻を突いた。秋は冷ややかでしっとりとした風が吹き、雪深い冬の到来を肌身に感じながら、物寂しさと、秋の実りやら炬燵やら雪合戦やら、これから始まる新しい季節に対する穏やかな興奮がないまぜになって、幼心にも妙に印象深い季節であった。
あの匂いは、今の生活にはない。
秋雨の中を、杖を突いた老人が小さなビニル袋を提げて戻ってくる。
私は窓から静かに離れる。