た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

レタス

2005年09月27日 | 食べ物
 完全に酔っ払ったおっさんは立ち上がり、レタスを注文した。狭い食堂に、客はおっさんと私しかいなかった。
 「レタスを丸ごと持ってきてくれ。芯だけ抜いてな」
 台所(厨房と言うより、台所というほうがそこは相応しかった)からおばあちゃんが怪訝な顔を見せた。
 「丸ごとなんか食えるかい」
 「いいから丸ごと持ってきてくれって。芯だけ抜いてくれよ。それとマヨネーズ」
 「丸ごと、どうやって食うんかい」
 「いいから持ってこいって」
 おっさんはレタスの玉が目の前に置かれると、子どものように顔をほころばせた。
 「昔レタス工場で働いていたとき、こうやって食ったんじゃ」
 彼はレタスの葉を一枚むしっては、豪快にマヨネーズをかけて口に放り込んでいく。
 「旨い」
 彼は涙目になった。
 「旨いなあ。久しぶりにレタス工場のレタスを食った」
 そんなはずはない。やっぱり相当酔っ払っているな、と思っている私のところへ、彼はレタスの葉を一枚摘んでよろよろとやってきた。
 「兄さんも一つ食ってみろ。旨いぞ」
 私は困惑した。何より衛生面が気懸かりであったが、結局断りきれなかった。酔っ払いの頼みなんて断りきれないし、それに彼の思い出に足で砂をかけるような真似はできない。
 しゃり、と音を立てて、私はレタスを噛んだ。
 旨いとも不味いとも言えなかった。レタスはレタスであった。マヨネーズだけでは幾分物足りない、普通のレタスであった。
 私には彼のような思い出がないせいだろう。
 それも少し寂しい気がした。 
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土地の奇跡に乾杯して(サントリー白州蒸溜所限定販売ウイスキー)

2005年08月16日 | 食べ物
 カテゴリーは「食べ物」の中に入れたが、飲み物の話題。

 夏の始めに、友人がサントリー白州蒸溜所に立ち寄り、そこでしか販売していないウイスキーを手土産に持ってきてくれた。

 これがすこぶる旨い。二人とも殊更ウイスキー党ではないにもかかわらず、まるでワライダケをかじったように愉快になりながら(無論私はワライダケをかじったことがない)グラスを重ねた。写真は、二人して一晩で(と言っても小一時間ほどだが)五分の四ほど空けたシングルモルトのボトルを、私の愛する中古ピアノの上に置いて撮影したものだ。

 なぜあれほどに美味であったか。我々はその夜、売値の五倍の価値をそのボトルに対し見積もったものだ。あれが工場直販だったからか。工場直販というのは、かくもすごいのか。ウイスキーのような、必ずしも鮮度を求めないものにおいても。それとも、久しぶりに再開した我々の気分のなせる精神的な味付けだったのか。

 あれから半月以上経った今となってはなおさら不明に帰すしかないことであるが、ただもし、工場直販が少なからず要因となっていたのだとしたら、そうだとしたら、なんと今日の我々は───遠くの大工場から複雑な流通経路により長い道のりを経てきたものを食する今日の我々は、かつての日本の、家でどぶろくを作り、村で加工を賄っていた時代と比べ、なんと不幸なことかと、これまた勝手に妄想を膨らませたのは、ひっきょう、酒飲みのたわ言か。

 二晩で空になったボトルは今、花瓶として我が家の下駄箱の上で余生を送っている。
  
 
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ソーセージ in キムチ

2005年06月21日 | 食べ物
 最近粗食で食べ物の話題に事欠いてしまう。
 あまり粗食になると料理の腕も落ちるらしく、先日友人に料理を提供したら、「料理が下手なのは罪だ」とまで言われてしまった。かつて「あり合わせ大王」とまで賞賛された私ことあり合わせ料理の天才(往年)はひどく落ち込んだものだ。しかし一言付言しておけば、あり合わせの妙技は実験と失敗の地層のような積み重なりの上に初めて成り立つのであって、ベビーチーズを豚肉に絡めて団子状にしてしまっても、誰もそのアカデミックな試みに文句を言ってはいけないのである。

 さてソーセージinキムチである。
 食費を切り詰めようとするときにいつも感慨深く思い出す料理である。温かいご飯の上にキムチを乗せ、さらにその上に、ゆでたソーセージを乗せるだけ。欲を出せば、その上にごま油をわずかに垂らす。
 この単純な料理が一番旨いと教えてくれたのは、昔アルバイトをしたことのある焼肉屋の店長であった。特上ロースや骨付きカルビ、ユッケに生レバーにテールクッパ。数々の高級食材を扱いながら、彼は自分の「まかない飯」はいつもキムチとソーセージだけで済ませていた。三分で豪快にかきこみ、深いため息をついて満足の意を示すのである。
 私も何度かいただいた。なるほど美味しい。アルバイトをやめて十年が経ったが、料理が面倒になるといまだにそのレシピを頼る。ただし素材に注文があって、ソーセージは安いもので十分だが、キムチはある程度しっかりしたものでないと期待外れに終わる。それにしても調理の単純さに疑問を感じるほど食が進む。料理というのは結局これくらい謙虚な方がいいのだ、などと一人勝手に神妙な気分に浸ったりする。

 その焼肉屋は、小さいながら良心的な値段で美味しい肉を出していたので、開店数年でずいぶん流行っていた。しかしO157や狂牛病の騒ぎが重なり、そうなると小さい規模の店から首を絞められるのが世の習いらしく、店長は首を絞められる前に自分でそれを予感して店をたたんでしまった。
 まことに残念でならない。
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梅わさび

2005年05月30日 | 食べ物
 梅の酸味とわさびの辛味と、和を代表する二つの刺激が溶け合い、なかなかに印象に残るよい味。写真は白飯の上に乗せているが、わさびの繊細な香りを楽しむためにはもう少し別な楽しみ方を工夫した方がよいかもしれない。酒の肴とか。
 考えてみればお茶漬けには梅とわさびを混合したものがあるではないか。おお、お茶漬けはよいではないか。お茶漬けは白飯と微妙に違い、熱いお茶により香りが増幅され、味が全体に染み渡る。よしよし。最近懐の都合により粗食が続いているが、こういう粗食なら大いに結構。よしよし。しめしめ。めしめし。

 安曇野等々力邸隣のわさび専門店で購入。お茶と漬物のサービスがあり、ゆっくりと味見しながら買い物できる。
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炭水化物系の食品のなかで、ジャムが合うのはパンだけであるのはなぜか。

2005年05月20日 | 食べ物
白米、おこわ、うどん、そば。ひやむぎ、ラーメン、スパゲティ。
これらの主食品にことごとくジャムが合わないのはなぜか。
答えはパンのみに付随する「焼く」という行為にある。
だって焼いたお餅にもジャムは合うんですもの。
では焼き飯にジャムは合うって言うのですか?
その真偽は一切味付けせずに炒めたご飯に
ジャムを乗せたとき明らかになる。
集え勇気ある実証主義者達よ!
私にはその勇気がない。
コメント (10)
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野沢菜わさび風味

2005年04月15日 | 食べ物
松本に移住したばかりの私がいまだ食していなかった一品だが、先日松本に遊びに来た友人が買って置いていってくれた。食べてみるとこれがなかなかうんなかなかなかなか。わさびの風味がつくだけでこれだけ上品になるのかと感心した。まるで単なる村の寄り合いの宴会に浴衣姿の乙女が晩酌をしに現れたようなもので、と、いやこれは発想が古めかしいし男女平等。しかしやっぱりわさび風味は旨いのであって、あまりの感心に、自分の娘が生まれたら「わさび」と名づけようと思い立った。しかしその前に結婚しなければならず、そのさらに前に結婚してくれそうな人を見つけなければならず、ううん、何だか、わさびが目に沁みてきた。
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即席めんを

2005年04月06日 | 食べ物
つけ麺にして食べることにかけては誰にも負けないクオリティーを持つと自負している私は阿呆であろうか?

しかし、生麺かと疑うほどのコシを持たせるよう絶妙のタイミングで茹で上げ、竹ひごで編んだざるで麺のお湯を切り、濃い目に溶いた粉末スープにすり胡麻をたっぷりふりかけ、箸で腕一杯高く麺をつまみ上げながら音を立てて一口啜るとき、私は私の質素な台所を、龍の浮き彫り付きの太い柱の林立する高級中華飯店の厨房と見紛えてしまうのを、どうすることも出来ないのだ。
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野沢菜あさりしぐれ煮

2005年04月03日 | 食べ物
 郊外のワイナリーでワインをしこたま試飲した後、調子付いて試食したら驚くほど美味しくて買い求めた。200グラム八百四十円なので高いとは思ったが買い求めた。緊縮財政の身では高いなあやっぱりと、売り場をうろうろしながら手に取ったり戻したり、五、六分は優に考えあぐねたが、結局買い求めた。
 表書きには秘伝の佃煮とある。さぞ秘伝であろう。まだ封は開けていない。東京から友人が来たら開けるつもりでいる。
 
 ところで、ワインの試飲はどれだけ重ねると酔っ払うのだろうか。私の察するにそれは杯の数ではなく、店員の視線をどれだけ感じながら飲むかにかかっている。
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朝鮮人参卵

2005年03月25日 | 食べ物
 一見おでんにあるような普通のゆで卵。割ると黄身まで変色している。朝鮮人参に漬けたものか。

 小さな中華料理屋で食べた。小さな中華料理屋にそんな珍奇な食べ物があるとは、どうせラーメンと餃子とチャーハンくらいだろうと高をくくっていたので、しかも百円という珍味を食するには思いがけない安さであるので、私は喜び勇んで注文して食べた。定食を食べ終わる頃にその珍なる一品の存在に気づいたので、わざわざご飯を一口分だけ残して、追加注文して食べた。
 まあそうこうして朝鮮人参卵とやらを食べたわけだが、一口噛むと、ああ、腐っている、と直観した。しかし我慢して二口三口噛むうちに、私は自分の直観を打ち消した。これは腐っているのではない。そのような風味がしただけなのである。
 世の中には不思議な食べ物がゴマンとあるもので、かびたチーズも正にそうだが、かびの臭いがしても美味しかったりする。この朝鮮人参卵も然り、腐った味が最初に口を襲ったが、よくよく噛むと美味であった。なにかだんだんとても美味しい気がしてきた。癖になりそうな予感がした。私の味覚がおかしいのか、その小さな中華料理屋がおかしいのか、あるいは何もおかしなことはないのか、いずれかであろう。

 この記事は、以前、「にんにく卵」と間違えて表記して掲載した。どうして朝鮮人参とにんにくを間違えたかわからない。第一、臭いが全然違うではないか。私の思うに(思っている前に早く謝罪すべきである。ごめんなさい)、どうしてこのような勘違いが起こったかと言うと、その大きな原因はやはり、昨今巷を賑わす「にんにく卵黄」の存在にあるであろう。
 しかし何よりも原因は、無論、私の粗忽に尽きるのであり、重ねてごめんなさい。
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飲むヨーグルトのレンジ入れ

2005年03月04日 | 食べ物
 とりあえず上記のような名前をつけてみたが、正式名称はおそらく存在しない食べ物である。私の風変わりな知人(ハーフバーガーの男ではない)から伝え聞いた。飲むヨーグルトをレンジに入れて加熱すると、液体部分とゲル状の部分が分離する。スプーンでそのよぼよぼのゲル状部分を食べると、その歯ごたえが耐えようもなく美味しいのだと言う。私は久しぶりに度肝を抜かれた。そして私は自分がまだまだ未熟だと悟り、忸怩(じくじ)たる思いをした。世の中には飲むヨーグルトをレンジでチンする人もいる。そんなことも知らずに、三十年有余も生きてきたとは。それで世の中のことを大抵わかったつもりでいたとは。
 
 彼女(女!)に言わせれば、飲むヨーグルトでなければ本物の食感は醸(かも)し出せないのであって、普通のヨーグルトだと役不足だと言う。私の知ったことではない。
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