た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

サイトウキネン

2006年09月03日 | essay
 市内の著名な音楽会にふとひかれて当日チケットを求めに行った。決して音楽にも音楽会にも詳しい方ではない。しかも朝起きてから色々な雑事にかまけて、三度ばかし諦めかけた。日曜と言えどこんなにやることが山積していれば、とてもコンサートを聴くゆとりなどない。それでも私は相当諦めの悪い男である。どうせなら会場できっぱり諦めさせてもらおうと独りごち、買い物がてらずいぶん遅まきに会場へと出かけてみた。
 運命は怠け者に対し公正厳格らしく、当日チケットはちょうど私の前で完売。これほど苦笑の似合う場面はないと思いながら会場を立ち去ろうとしたら、見知らぬ人に声をかけられた。
 一緒に来るはずの知人が急にキャンセルになってS席が一つ余っている。さきほどから見れば当日券を求めて叶わなかった様子。自分はダフ屋ではないし、かといって恩着せがましいのもかえって失礼だろうから、よかったら元値で引き取ってくれないか、との申し出である。
 ここでなおも運命に礼を失してはいけないと思い、ありがたく購入させていただいた。
 いったん家に帰り、スーツに着替えて出直す。返す返すも、運命に対しては礼儀を尽くさなければいけないからである。

 幕が降り汗が吹き出るほど拍手をした後、券を譲ってくれた人に誘われて裏口へ回った。彼は車で四時間もかかる遠方から毎年この音楽会に来ているのだが、来れば必ずサインをもらって帰ると言う。携帯してきた色紙を一枚譲るから私もサインをもらえと言う。
 音楽会も素人だがサインをもらうのも素人だと改めて自己認識しながら、私はどきまぎして小澤征爾に歩み寄った。


 帰路、色紙を片手に自転車をこいでいると、闇の落ちた川べりから虫の音が聞こえてきた。秋はすぐそこである。だから今日のことは、夏の終わりの思い出になるのだと思った。
 
 
 
コメント
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