た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

2008年05月02日 | Weblog
・・・・・・・

生は余剰である。

デコレイションである。

生が無くても

宇宙はその美しい規則を保った。

生は余剰である。

ならばなぜ

「生きる意味はあるのか?」と問う代わりに

「意味を超えて生きるこの恵みは!」と驚かないのか。

生は恵みである。

あ・な・た・は・恵みである。

世界はあなたを利用するつもりはなかった。

あなたを生んだのは親という名の他人としても

あなたを生きるのはあなた以外になかった。

あなたの生は、あなたの自由であった。

その恵みに

その余剰に

その意味を超えた不可思議に

どうしてあなたはちっぽけな身分証明書を宛がおうとするのか?

どうしてあなたは分別臭く後始末をつけようとするのか?

どうしてあなたは

今日を生きたことを驚かないのか?

この混沌とした大海の中で

目的とする島もなく

漂流し続ける木切れであっても

また一日分を生き延びたその力強さに

感動しないのはなぜか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これは私の知る人の独白文を目の当たりにして、思わず発奮して書きなぐった返信である。彼は何かしら弱音らしきことを書き綴っていた。それに私のお節介が反応した。しかし実際は、よくあることであるが、他人がそこまで亢奮するほどのことでもなかったのであろう。

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話し相手のいないバーで

2008年05月02日 | 写真とことば
声を出している自分と

     ★

声を出していない自分

     ★

どちらが

     本当の


   自分なのでしょう。
   
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