た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

小説

2009年10月01日 | essay
 思い出というのも不思議なもので、思い出ですらない思い出────失われた時間とでも言うべきものが、案外忘れがたく脳裏に去来する。失われているのだから、もちろんそんな時間は実際には存在しなかった。存在し得た(けど失ってしまった)時間である。もしあのときあのまま去らずにいたら、とか、もしあのときあのまま行っていたら、などなど。人は失われた時間の入口に、何度も足を運ぶ。それ以上進めないことがわかっていながら。底なしの沼の淵まで何度も近づいて眺めたくなる衝動があるとすれば、おそらくそれと同じである。
 花を一輪手にしていれば、それを沼に投げ入れる。花はしばし水面に波紋を描いて留まる。

 花を投げ入れるだけで気が済まない人は、沼の事を文字に起こす。それが世に出れば小説となる。
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