た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

10月16日

2009年10月19日 | essay
 犯罪で一番むごいのは、その手段でも結果でもなく、それが内に含む悪意である。法は犯罪を裁けても、悪意を裁ききることはできない。その部分に関しては、どうしても人が人を裁かざるをえなくなる。

 秋晴れで時間が空いたので、自転車をこいで映画を観にいった。愛娘の命を奪われた男が犯人に求める刑罰、というものがテーマで、なかなか鑑賞後の気分を重くさせる映画であった。女鳥羽川に沿った陽の当たる道を自転車で戻りながら、上述のようなことをつらつらと考えた。たぶんこの考えはどこか間違っている。

 裁く、という言葉の使い方とか。裁くということが何なのか、普段ほとんど考えたこともないのだ。


(写真は上高地で、本文とは何の関係もありません。映画は『さまよう刃』。)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする