超常現象というものがあるとすれば、私は小学生のころ、一度だけそれを見たことがある。
あるいは、見た気がした、と言うほうが正確かもしれない。何しろ小学生の低学年の頃のことで、全てが曖昧であると言えば曖昧であったからである。そんなことはなかったのよ、と大人に優しい声で言い含められれば、素直にそうだったんだと納得してしまう年頃である。いい子ね、あなたが見たのは実際のものじゃないの。説明すると難しいけどね、別にあなたには何の問題もないのよ。誰でもときどき起こることなの。ふとした体調とか身体の加減でね、そんな風に、実際には無いものを見た気になることがあるの。難しい言葉では幻覚って言うんだけどね、そういうものが見えた気になったりすることが人にはあるの。でも心配しなくていいからね。あなた自身には何の問題もないんだから──────。
当時、私は片道四キロという、小学低学年にとっては結構な道のりを歩いて小学校に行き来していた。片道四キロもあれば、朝の登校はさておき、帰りの道ともなると相当な遊びをしながら帰宅することが出来る。町中では駄菓子屋を覗き込んだり、本屋で今月の『三年の科学』を受け取ったり、市街地を出て田畑の広がる細い道に差し掛かれば、あぜ道に生える雑草の中に分け入り、「かじっぽ」と地元で呼ばれる比較的甘い汁の出る草を引き千切って噛んだり、紫詰め草の蜜を吸ったり、柿のなる季節にはよその家の柿の木にこっそり登って柿を取ったり、それが渋柿でひどい思いをしたり、雪の積もる季節にでもなれば、用水路に雪をしこたま落として「堰止め」をして水を道路に溢れさせたり、格別道路脇に魅力的なものがない時期には、ただただ、何かのはやり歌を友達とがなったり、いい加減な怪談話を交互にし合って奇声を上げたりと、それなりに春夏秋冬充実した下校時間であったと記憶する。
それでも四キロは少々長すぎるのであって、友達五六人で校門を出たのちに一人減り、二人減って、最終的に私の実家のある集落に一人きりで差し掛かるころには、まとまったことは何も考えられなくなるくらい疲労しているのが常であった。とにかく一刻でも早く家に辿りついてお菓子を食べて炬燵に潜り込みたい、という思いだけで短い脚を前へ前へと進めるのである。
その集落は全戸合わせても三十か四十、間違っても五十には届かないだろう、というくらいの本当の片田舎であって、山々に囲まれた水田地帯は水たまりのようにこじんまりとかたまっていた。
中ほどに「さかえ橋」という橋がかかっていた。子供のころは「栄え」橋だと思い込んでいたが、おそらく「境」がなまったものであろう。両親にも確認していない。橋と言っても砂利道の続きにあり、ジャンプ力のある若者なら幅跳びで対岸に渡れるくらいの細い川に架かっている、丸太を重ねた程度の橋で、自動車は無論通ることのできないごくごく小さな橋である。雪でも積もれば、どこまで踏み場があってどこから先に足を踏み出すと下に落ちてしまうのかわからないという、物騒な橋でもあった。しかしそこを通れば後は家まで三百メートルほどであり、ああ、ようやく我が家が近くなったと心から安堵できる地点でもあったのである。
その日、私はやっぱり一人でそのさかえ橋に差し掛かっていた。上級生と一緒に下校するときもあったが、その日は彼らと同じ時刻に学校が終わらなかったのであろう。とにかく、私は一人であった。小学生と言うのはだいたいが、ランドセルの帯に両手を挿んで俯き加減に歩くものだが、当時の私もご多分に漏れず、そんな恰好で歩いていたに違いない。私はふと顔を起こし、東の方角を見上げた。
「福田」(というのがその集落の名前であった)の西側には比較的小高い山が連なり、その格好は子供心にも気に入っていた。しかし東側となると、丘陵があるくらいで大した山は無かった。そのはずであった。だがその日、さかえ橋から私が見上げると、そこには、今まで見たこともないような高い山が、それこそ富士山のような威風堂々とした格好で聳え立っていたのである。あれ、こんなところにこんな高い山があったっけな、と私は不思議に思った。何より違和感を覚えたのは、その山が実に色とりどりの華やかな色合いをしていたことである。季節は春前であったか秋口であったか、とにかく他の山々は葉もなく地味な色に沈んでいた。ただその山だけが、周りの景色から完全に浮いた形で、ひょっとしたら桜か何かが咲いているのか、と思わせるくらいに派手であった。距離的に考えても一本一本の木々が見えるはずはなく、それだけに異様な感があった。何だろう? あんな山、昨日までは絶対無かった。いや、今朝登校する時だって絶対無かった、と子供心に必死に考えを巡らせながら私は帰宅した。「変な山が見えたよ」くらいは、母親に話したかもしれない。そして万事が現実主義の彼女に、「変な山なんてあるわけないわね」と軽くあしらわれたかも知れない。また私もそこがぼんやりした子であったから、ちぇっつ、確かにあったのになあ、と頬を膨らますくらいはしただろうが、菓子をむさぼっているうちにすっかり山のことは忘れてしまったのである。
再びはっきり意識したのは、次の朝の登校時であった。さかえ橋を反対方向に通りかかった私は、昨日帰り道に見た山がまったく姿を消していることに愕然とした。私はしばらく呆然として立ちすくんだ。え? どういうこと? じゃああれは、やっぱり普段は無い山だったんだ。昨日のあの瞬間だけ、あそこにあったってこと? 本当? 本当にあったの? いや、あった。絶対あった。絶対、絶対にあった。確かにこの目で見たんだもん。でも・・・じゃあ、あれは、一体何だったの?
とてものことではないが、この煩悶を自分一人に留めることは出来なく、私は兄に打ち明けて話した。兄は母親とはまた別な意味で淡泊な人間であったから、「あほだなあ、そんな山がいきなり現れて消えるわけないだろう。お前が見た気がしただけだよ」と馬鹿にされるおそれは十分にあった。それでも私は彼に話した。そのときの彼の返答は、まったく意外なものであった。
「そりゃお前、いい経験したな」
返答はそれだけであった。山が実際あるとか、無いとか、目の錯覚だとか、超常現象だとか、そういう点には一切触れなかった。ただ、彼は、いい経験だとだけ私に伝えた。
○ ○ ○
今でもその思い出を忘れることが出来ないのは、ひょっとしたら、不思議な山を見た事実よりも、そのときの兄の受け答えのせいかも知れない。実際、その一言は、私を大いに救った。私は馬鹿にされるわけでもなく、幼子をあやすように諭されるわけでもなく、自分の体験を一番幸せな形で自分自身に説明するすべを与えられたのである。素敵にきれいな山を見た。それは「いい経験」であった。それだけのことである。たとえそれが私の誤解であっても、はたまた本当の超常現象であっても、そんなことは究極的にはどうでもいいことなのだ。私は日常からかけ離れた素敵な風景に出会えたのだ。それで十分ではないか。
歳月は経ち、私は大人になり、子供たちと接することの多い仕事に就き、現在に至っている。子供たちの話を聞かされる時、なるべくあの日の兄のような発言をしようと心がけている。現実や事実を押しつけるやり方ではなく、かといって嘘で塗り固めた優しさでよいしょするのでもなく、まずは相手の驚きや感動を、肯定する。ただそれだけに留める思いやりを持ちたいと、常々思っている。これが簡単なようで、なかなか難しい。ついつい、大人のおせっかいで、喋りすぎてしまうのだ。
もっとも、いつもあの日の不思議な山と兄の発言のことを心にとめて生きているわけではなく、実を言うと、すっかり忘れかけていた。先日、子供たち相手に雑談をする必要に迫られ、何かしら自分の過去のエピソードで小噺になるものはないかと記憶をたぐっているうちに、ふと思い出した次第である。子供たちには、不思議な山を見た話までに留め、兄の発言については語らなかった。話してもおそらく子供たちには通じなかったであろう。
私の唯一経験したと記憶する、「超常現象」の話は、これだけである。
あるいは、見た気がした、と言うほうが正確かもしれない。何しろ小学生の低学年の頃のことで、全てが曖昧であると言えば曖昧であったからである。そんなことはなかったのよ、と大人に優しい声で言い含められれば、素直にそうだったんだと納得してしまう年頃である。いい子ね、あなたが見たのは実際のものじゃないの。説明すると難しいけどね、別にあなたには何の問題もないのよ。誰でもときどき起こることなの。ふとした体調とか身体の加減でね、そんな風に、実際には無いものを見た気になることがあるの。難しい言葉では幻覚って言うんだけどね、そういうものが見えた気になったりすることが人にはあるの。でも心配しなくていいからね。あなた自身には何の問題もないんだから──────。
当時、私は片道四キロという、小学低学年にとっては結構な道のりを歩いて小学校に行き来していた。片道四キロもあれば、朝の登校はさておき、帰りの道ともなると相当な遊びをしながら帰宅することが出来る。町中では駄菓子屋を覗き込んだり、本屋で今月の『三年の科学』を受け取ったり、市街地を出て田畑の広がる細い道に差し掛かれば、あぜ道に生える雑草の中に分け入り、「かじっぽ」と地元で呼ばれる比較的甘い汁の出る草を引き千切って噛んだり、紫詰め草の蜜を吸ったり、柿のなる季節にはよその家の柿の木にこっそり登って柿を取ったり、それが渋柿でひどい思いをしたり、雪の積もる季節にでもなれば、用水路に雪をしこたま落として「堰止め」をして水を道路に溢れさせたり、格別道路脇に魅力的なものがない時期には、ただただ、何かのはやり歌を友達とがなったり、いい加減な怪談話を交互にし合って奇声を上げたりと、それなりに春夏秋冬充実した下校時間であったと記憶する。
それでも四キロは少々長すぎるのであって、友達五六人で校門を出たのちに一人減り、二人減って、最終的に私の実家のある集落に一人きりで差し掛かるころには、まとまったことは何も考えられなくなるくらい疲労しているのが常であった。とにかく一刻でも早く家に辿りついてお菓子を食べて炬燵に潜り込みたい、という思いだけで短い脚を前へ前へと進めるのである。
その集落は全戸合わせても三十か四十、間違っても五十には届かないだろう、というくらいの本当の片田舎であって、山々に囲まれた水田地帯は水たまりのようにこじんまりとかたまっていた。
中ほどに「さかえ橋」という橋がかかっていた。子供のころは「栄え」橋だと思い込んでいたが、おそらく「境」がなまったものであろう。両親にも確認していない。橋と言っても砂利道の続きにあり、ジャンプ力のある若者なら幅跳びで対岸に渡れるくらいの細い川に架かっている、丸太を重ねた程度の橋で、自動車は無論通ることのできないごくごく小さな橋である。雪でも積もれば、どこまで踏み場があってどこから先に足を踏み出すと下に落ちてしまうのかわからないという、物騒な橋でもあった。しかしそこを通れば後は家まで三百メートルほどであり、ああ、ようやく我が家が近くなったと心から安堵できる地点でもあったのである。
その日、私はやっぱり一人でそのさかえ橋に差し掛かっていた。上級生と一緒に下校するときもあったが、その日は彼らと同じ時刻に学校が終わらなかったのであろう。とにかく、私は一人であった。小学生と言うのはだいたいが、ランドセルの帯に両手を挿んで俯き加減に歩くものだが、当時の私もご多分に漏れず、そんな恰好で歩いていたに違いない。私はふと顔を起こし、東の方角を見上げた。
「福田」(というのがその集落の名前であった)の西側には比較的小高い山が連なり、その格好は子供心にも気に入っていた。しかし東側となると、丘陵があるくらいで大した山は無かった。そのはずであった。だがその日、さかえ橋から私が見上げると、そこには、今まで見たこともないような高い山が、それこそ富士山のような威風堂々とした格好で聳え立っていたのである。あれ、こんなところにこんな高い山があったっけな、と私は不思議に思った。何より違和感を覚えたのは、その山が実に色とりどりの華やかな色合いをしていたことである。季節は春前であったか秋口であったか、とにかく他の山々は葉もなく地味な色に沈んでいた。ただその山だけが、周りの景色から完全に浮いた形で、ひょっとしたら桜か何かが咲いているのか、と思わせるくらいに派手であった。距離的に考えても一本一本の木々が見えるはずはなく、それだけに異様な感があった。何だろう? あんな山、昨日までは絶対無かった。いや、今朝登校する時だって絶対無かった、と子供心に必死に考えを巡らせながら私は帰宅した。「変な山が見えたよ」くらいは、母親に話したかもしれない。そして万事が現実主義の彼女に、「変な山なんてあるわけないわね」と軽くあしらわれたかも知れない。また私もそこがぼんやりした子であったから、ちぇっつ、確かにあったのになあ、と頬を膨らますくらいはしただろうが、菓子をむさぼっているうちにすっかり山のことは忘れてしまったのである。
再びはっきり意識したのは、次の朝の登校時であった。さかえ橋を反対方向に通りかかった私は、昨日帰り道に見た山がまったく姿を消していることに愕然とした。私はしばらく呆然として立ちすくんだ。え? どういうこと? じゃああれは、やっぱり普段は無い山だったんだ。昨日のあの瞬間だけ、あそこにあったってこと? 本当? 本当にあったの? いや、あった。絶対あった。絶対、絶対にあった。確かにこの目で見たんだもん。でも・・・じゃあ、あれは、一体何だったの?
とてものことではないが、この煩悶を自分一人に留めることは出来なく、私は兄に打ち明けて話した。兄は母親とはまた別な意味で淡泊な人間であったから、「あほだなあ、そんな山がいきなり現れて消えるわけないだろう。お前が見た気がしただけだよ」と馬鹿にされるおそれは十分にあった。それでも私は彼に話した。そのときの彼の返答は、まったく意外なものであった。
「そりゃお前、いい経験したな」
返答はそれだけであった。山が実際あるとか、無いとか、目の錯覚だとか、超常現象だとか、そういう点には一切触れなかった。ただ、彼は、いい経験だとだけ私に伝えた。
今でもその思い出を忘れることが出来ないのは、ひょっとしたら、不思議な山を見た事実よりも、そのときの兄の受け答えのせいかも知れない。実際、その一言は、私を大いに救った。私は馬鹿にされるわけでもなく、幼子をあやすように諭されるわけでもなく、自分の体験を一番幸せな形で自分自身に説明するすべを与えられたのである。素敵にきれいな山を見た。それは「いい経験」であった。それだけのことである。たとえそれが私の誤解であっても、はたまた本当の超常現象であっても、そんなことは究極的にはどうでもいいことなのだ。私は日常からかけ離れた素敵な風景に出会えたのだ。それで十分ではないか。
歳月は経ち、私は大人になり、子供たちと接することの多い仕事に就き、現在に至っている。子供たちの話を聞かされる時、なるべくあの日の兄のような発言をしようと心がけている。現実や事実を押しつけるやり方ではなく、かといって嘘で塗り固めた優しさでよいしょするのでもなく、まずは相手の驚きや感動を、肯定する。ただそれだけに留める思いやりを持ちたいと、常々思っている。これが簡単なようで、なかなか難しい。ついつい、大人のおせっかいで、喋りすぎてしまうのだ。
もっとも、いつもあの日の不思議な山と兄の発言のことを心にとめて生きているわけではなく、実を言うと、すっかり忘れかけていた。先日、子供たち相手に雑談をする必要に迫られ、何かしら自分の過去のエピソードで小噺になるものはないかと記憶をたぐっているうちに、ふと思い出した次第である。子供たちには、不思議な山を見た話までに留め、兄の発言については語らなかった。話してもおそらく子供たちには通じなかったであろう。
私の唯一経験したと記憶する、「超常現象」の話は、これだけである。