セキツイ動物と言うのは体の中心に骨格があって、体全体を支えている。外骨格の昆虫のようによろいを着て体を支えているわけではない。そんな話を中学生の時理科の授業で聞いた覚えがあるが、なるほどその通りだと最近つくづく思う。ただし体の中心にあるものは骨格ではない。自信だ。自信が体の内側から自分という存在全体を支えてくれていたのだ。そのことを、自信が瓦解してよろめきそうになったときに、初めて意識する。
自分はこんなに自信過剰だったのだ、日頃謙遜と自己卑下を粗品のタオルのように辺り構わず振り撒いているくせに、実際には内に秘めた自信があるからこそ落ち着いていれたし、心穏やかに毎日を迎えられていたのだ。それも崩れ去って初めてわかったことだが、何と根拠のない「空自信」であったことか!
・・・それでも、私は立ち上がって再び歩きださなければいけない。今すぐにも。人を待たせている。骨抜きの体で、クラゲのように、それでも顔を起こし、前を見つめて生きなければならない。
今すぐにも。
人を待たせている。
自分はこんなに自信過剰だったのだ、日頃謙遜と自己卑下を粗品のタオルのように辺り構わず振り撒いているくせに、実際には内に秘めた自信があるからこそ落ち着いていれたし、心穏やかに毎日を迎えられていたのだ。それも崩れ去って初めてわかったことだが、何と根拠のない「空自信」であったことか!
・・・それでも、私は立ち上がって再び歩きださなければいけない。今すぐにも。人を待たせている。骨抜きの体で、クラゲのように、それでも顔を起こし、前を見つめて生きなければならない。
今すぐにも。
人を待たせている。