た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
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火炎少女ヒロコ 第三話(草稿) ~2~

2015年04月28日 | 連続物語


 織部は身を強張らせた。テーブル席の二人まで、口をつぐんだ。
 男はにこやかに片手を上げた。
 「やあ。織部社長。こんなとこでお会いできますとはなあ」
 織部はひどく動揺した。自分の名前を知っているということは、すなわち、自分が警官であることを知っていることになる。それなのに「社長」とは。だが、相手の男が自分の窮地を救おうと機転を利かせてくれていることにすぐ気付いた。
 「あ・・・ああ」
 「橋爪です。覚えておいでですかな」
 「いやあ、覚えていますとも。お久しぶりですなあ」
 二人は握手を交わした。橋爪と名乗る男は織部の隣の席に「お邪魔しますよ」と言って腰を下ろした。
 「その節は大変お世話になりましたが・・・お元気ですかな」
 「はあ。まあ何とか元気で」
 無精ひげと巨漢は、織部が警察の者だとほとんど確信しつつあった矢先だけに、拍子抜けしたように口を開けて二人を見守った。
 織部は笑顔を見せながらも、全神経をとがらせ、この正体不明の橋爪という男が何者であるか探ろうとした。
 橋爪は手を揉みしごきながら嬉しそうに話を続けた。
 「いやあ、さっきから社長じゃないかな、と思って見てたんですがな。会社とは違って私服でおられることだし、息抜きのところをお邪魔しても、とね。声をお掛けするのを控えておったんですが。ま、それでも、なかなかこうして私的にお会いする機会もないもんですから」
 「いえ。こちらこそ気づきませんで」
 「時に社長」
 橋爪は目を光らせ、ぐっと身を前に乗り出してきた。演技ではない本心からの気迫を、織部は感じた。
 「折り入って、商談があるんですが」
 「商談?」
 「おたくの会社にも絶対得になる話でして。へへ、儲かる話ですよ。まあ───ちょっとここじゃ話しづらいな。へへへ。いかがでしょう。もしよろしければ店を替えて、少々お付き合い願いませんでしょうか」
 織部は背中が汗ばむのを感じた。この男は、すべてを知っている。自分が織部警部補であり、ヒロコの炎上事件を昔から捜査し続け、ヒロコ本人とも面識があることも。その上で、自分に何か交渉を持ち込もうとしている。何者か。いかなる団体に属する者か。警察を相手に交渉を持ち掛けるなど、どんな神経の持ち主なのか。
 織部は躊躇した。返答を迷いながら、彼は、高瀬ヒロコのことを痛切に思った。
 <ヒロコよ。なんてこった。お前さんの知らないところで、世の中はずいぶんお前さんをネタに騒ぎ立てるようになったもんだ! 世の中はお前を殺せと言う。お前を宇宙人扱いだ。この橋爪とかいう男はまた、お前を狙って何を言い出すかわからんぞ。実にうさん臭い男だ。ひどいもんだよ。ヒロコ。ひどいもんだ。お前はただの可愛い女子高生なのになあ。なあ、いったい、今頃どこをうろついてるんだ? 俺は本当に、本当にお前さんを救い出してやりたいだけなのに、もう何にもできやしないよ。管轄を外されたんだ。俺は無能だってさ。おそらく宮渕の野郎の差し金だ。畜生! 俺は何だか、お前に痛切に会いたいよ。お前に会いたい。ヒロコ。今、どこで、何してるんだ?>
 織部は自分に納得させるように頷いた。
 「わかりました」
 彼は猪口に残った酒を吸い上げ、もう一度頷いてみせた。
 「わかりました。付き合いましょう」

♦     ♦     ♦


 高瀬ヒロコは、その頃どこにいたか。
 愛するユウスケを燃やし、磐誠会の四人をまとめて灰塵にしたあと、ヒロコは泣きながら森の中を駆け抜けた。悲しみで全身がバラバラに砕け散りそうであった。砕け散りたかった。小枝で何本ものひっかき傷をつけ、足の裏は膿を出し血を流しても、それでも彼女は走り続けた。転ぶたびに、土がべっとりと汗についた。呼吸困難なほど息切れし、前へ進むよりも倒れこむことの方が多くなっても、それでも彼女は走った。走ろうとした。目的地があるわけではなかった。ただ同じ場所にじっと留まることに耐え切れなかった。
 ときに、悲しみのあまり声を上げた。悲痛な呻き声が林間を満たした。まるで野獣のようであった。自分のしたことを、彼女はどうしても許せなかった。磐誠会の四人を燃やしたことに悔いはなかった。彼らみたいな極悪人は、焼け死ぬに値する。だが、ユウスケは。ユウスケはなぜ燃え上がらなければならなかったのか。なぜそれをしたのが自分なのか。自分はなんという取り返しのつかないことをしてしまったのか。ユウスケは果たして無事か。それとも死んでしまったのか。ユウスケがもし死んでしまったら、自分はどうしたらいいのか。
 <どうして、どうして、どうして私なんて生まれてきたの?>
 倒木に苔むすヒノキの森を駆け抜け、小石だらけの小川を渡り、シダを掻き分け、蔦を払い除けた。
 <私はここで死ぬのよ。この森に彷徨って死ぬのよ。だって行くところがないんだもの! 怖い森! なんて怖い森なの? 蛇とか熊とか出てきたらどうしよう? でもいいじゃない! どうせ私はこの森で死ぬんだから! 私はもう人を殺し過ぎたわ。私が死ななきゃ、もっとたくさんの人を殺してしまう。ユウスケ君・・・ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 恨んでるよね。ユウスケ君、生きてたら、絶対私のこと恨んでるよね。高瀬ヒロコ、あなたはもう誰にも愛される資格がないのよ。この森で行方不明になったって、のたれ死んだって、誰一人悲しむ人なんていないわ!>
 だが、自暴自棄に走る一方で、彼女は本能的に出口を探していた。どこまで走っても民家の見えない不安が胸をざわつかせた。急速に宵闇が浸透していく森を駆け抜けるうちに、いつの間にか、死にたい、という願望を、死の恐怖感が凌駕していた。
 ついにこれ以上走れなくなり、彼女は立ち止った。両膝を突き、両手を突いた。心臓がピストンのように激しく鳴る。ぜいぜいと息が切れる。ここがどこだかまるでわからなかった。彼女を包み込む森は、今や急速に輪郭を失いつつあった。ひたひたと迫りくる闇。まるで森全体が、彼女を圧し潰そうとしているかのようであった。
 底知れない恐怖に彼女は震えあがった。
 <怖い───私───私、ここで死にたくない!>
 そのとき、全く唐突に、彼女は自分が誰かに見られていることを悟った。四方を見回したが、薄墨の滲んだような茂みや木立の他は何も見えない。しかし確かに、誰かに見られている。それも、目ではなく、意識で。特殊能力による強烈な意識が自分に注がれていることを、彼女は強く感じた。プラットフォームで自分を突き落そうとする駅員に気付いたときと似ている。ただ、今回の方が数段強力である。殺意は感じない。これは殺意ではない。もっと何か、興味や好奇心に近い感情である。そして、この意識は確かに、自分を手招いている。
 ヒロコは恐れを振り払うため、大きく息を突いた。それから、意識の向かってくる方向に歩き始めた。
 手招く感覚は続いている。熊笹を踏み分け、倒木の下をくぐり、斜面を登った。
 樹木と樹木の間の薄暗がりに、小屋が見えた。
 <小屋?>
 それはずいぶん粗末な造りで、むしろ、枝や葉を山積みにしたもの、と言った方が正確であった。しかし一応は小屋だった。のこぎりの類は一切使われていない。長短さまざまな細い枝を何本も束ねて並べ、壁と屋根(と言うよりは蓋)を形成し、隙間をツガやヒノキの葉で埋めてある。立っているのがやっとのような頼りなげな小屋である。入口は大きな布のようなもので覆われ、中は見えないが、四人入れば一杯だろうと思われた。その中へと、ヒロコを手招きする意識は導いていた。
 こんな山中に人が住んでいるとはとても信じがたかった。しかも生活するには、あまりにひどい住居である。ヒロコは汗を流し息切れしながら佇み、中を覗くのを躊躇った。ひょっと怪物が出てきてもおかしくない雰囲気があった。
 しかし強烈なオーラが、依然として彼女を惹きつけていた。その力はいや増しに増していた。彼女はどうしても中を見たくなった。自分はそもそも死のうとしてるのだから、なにを今更怖がる必要があるだろうか、とも思い直した。ヒロコは決意した。
 彼女は小屋に近づき、入口の布をめくり上げた。

(つづく)



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