新聞をめくる音がかさかさと鳴る。柱時計が午後二時を指す。
摺ガラスから差し込む五月の陽射しは老婆のいる炬燵まで届かない。老婆はまるでそれだけが自分に残された最後の仕事でもあるかのように、新聞をめくっては読み、読んではめくり続けている。
皺は深い。シミと相まって、火星の裏側のような不気味な様相を呈している。老眼鏡の上の落ち窪んだ眼窩と、そこに光るけち臭いほどに小さな瞳が、彼女の意志の頑なさを物語っている。
老いて縮んだ我が身を丸ごと包めそうなくらい大きな新聞を、彼女は鼻先で一枚、また一枚とめくる。
炬燵の端で猫が、にやあと鳴いた。
老婆に劣らず老けた猫である。使い古したタワシのような毛並みをしている。老婆は猫の鳴き声も聞こえなかったように新聞をめくり続ける。
半世紀前に夫に先立たれ、女手一つで息子二人を育て上げた。八十を過ぎてなお執念のように新聞に目を走らせる姿は一種荘厳でさえあるが、どれだけ新聞をめくっても、彼女の知りえないことはもちろんたくさんある。
一つは、長男夫婦が自分の死んだ後、この家を取り壊して賃貸アパートにしようと目論んでいることである。赤茶けたトタン屋根の建物で、十坪ほどしかない。二十年前に煙草屋を閉めてからは、通りを行く車の排気ガスにただただ晒され続けてきた。老婆は長男夫婦と仲が悪い。彼らが自分に早く死んで欲しがっているであろうことくらいは先刻承知である。が、まさかすでに不動産屋に話をつけて、アパートの設計図まで仕上がっているとは思っていない。
長男夫婦は川を挟んだ隣町に住む。事務機器を取り扱う専門店を営んでいるが、最近羽振りが悪い。おまけに長男がフィリピンパブに入れ込んでいる。よって手っ取り早く、家賃収入で将来の不足分を補おうと画策しているのである。
「何しろおふくろは頑固だからな」長男は苦虫を噛み潰した顔で言う。「老人ホームに移れって言っても絶対聞かねえ。そっちの方が安全だし、家族も安心だからって説得するんだけどよ」
「あなたが優しいからよ」長男の奥さんは少し亭主を見下して言い返す。「そりゃお母さんは今のままがいいでしょうに。あなたはいいわよ。フィリピンで憂さ晴らししてさ。二日おきに掃除に行くのも、病院の送り迎えも、あたしだし。お母さん、嫁にはそうしてもらって当然だくらいに思ってらっしゃるのね」
「俺らがこれだけ尽くしてんのにな」長男は、自分も責められたことはまったく無視して言葉を続けた。「感謝の一言もねえ。それが腹立つ。それでいざ死ぬときによ、正輝のやつに土地と家を譲る、何て言い出しかねんぞ。とんでもねえばばあだよ」
「あなた」奥さんは真顔になった。「それだけは嫌よ。それだけは絶対嫌。どうしてこんなに面倒見てあげてさ、不機嫌な顔されても我慢して耐えてるのに、どうして肝心なとこだけ正輝さんに横取りされなきゃいけないの」
正輝さんというのは次男である。ちなみに老婆は、この次男が目下大変な状況にあることを知らない。内向的で陰湿な長男と違い、どちらかというと自由奔放でからりとした性格の次男は、高校を中退後、ミュージシャンを目指すと言って上京した。一年目で結婚し、二年目で夢を諦め、シェフ見習いとして働き始めて今に至る。たまにしか帰省しないこともあり、老婆はどちらかというと長男より次男の方を気にかけてきた。
しかし正輝さんは大都会の真ん中で、現在、これ以上はなかなかお目にかかれないほどの不幸のどん底にいる。スナックとキャバクラを梯子して、酔った勢いで調子に乗って口説き落とした相手がヤクザの女であることが露見した。結果ヤクザにつけ狙われる羽目になった。妻にも浮気がばれ、彼女には食器をほとんど割られた上で離縁された。職場にも二週間顔を出していない。おそらく順当に行けば遠からず職を失い、この世界に居場所も失い、最後は命まで失うだろうと、彼自身確信に近いものを感じている。
追っ手から居場所を隠す必要に迫られた彼は、安ホテルと二十四時間営業のインターネットカフェを転々としている。げっそりと憔悴し、無精ひげに覆われ、目は泣き腫らして赤い。
地元に帰り、母親に会いたい、と彼は思う。できれば人生をやり直したい、とも。だがそれを相談できる相手はいない。
そんな次男の苦境を、老婆はつゆほども知らない。もっとも、このことは兄の直輝さん(長男の名前である)もあずかり知らないことであるが。
猫がまた鳴いた。
ついに老婆は、すべての紙面を読み尽くした。新聞を閉じる。冷めた茶を啜り、干からびたナスの粕漬を齧る。もう一口茶を啜ると、新聞を開き、再び活字を読み始めた。
彼女は日に三回、新聞を読むのである。
かさり、と一枚めくられる。摺ガラス越しの陽射しを浴びて埃が舞う。炬燵布団の上で、鳴くのを諦めた猫が身を丸める。
さすがにここまで読み進めた読者諸氏からは、なぜかくも退屈な老人の話をわざわざ取り上げたのかと叱責の声が聞こえてきそうだが、こちらにも言い分がある。社会の片隅に生息するこの老婆が、筆者には現代の何かを象徴している気がしてならないのだ。確かに彼女は、現代人の現代的日常と言えるものから一番ほど遠い存在であろう。が同時に、我々と彼女はとても似通ったところがありはしないか? インターネットで絶えず最新情報を得ることばかり忙しくて、身内や隣人との心の交流すらままならない我々と、新聞を食い入るように見入るこの老婆は、いったいどこが違うのだろうか?──────もちろん大きく違う。老婆は汚い猫を飼っているが、我々はふつう飼わない。
あるいは。あるいはこの老婆の正体が、ひょっとして神様だとすると、どうだろうか? まったくあり得ない話だろうか? 神様は結局、知るだけで何もしてくれないのである──────もちろん、神様は老婆ではない。神様は三度も同じ新聞を読まない。
そのとき玄関のガラス戸がガタガタと鳴った。
豪快に襖が開く。
「ばっちゃ!」
元気な声を張り上げて、孫娘が姿を現した。長男夫婦の次女のみよちゃんである。今年小学四年生になった。白と緑の横じまのセーターに海老茶のスカート。背中には彼女と同じくらいの体積があるのではと思われる大きな赤いランドセル。
「何しに来た!」
上目遣いに孫の姿を認めると、老婆はしわがれ声を上げた。
みよちゃんはそれには答えず、老婆の向かいの炬燵布団に足を突っ込んだ。
「また新聞ばっかり読んで!」
「学校は終わったか?」
「今日たいくの時間に、ドッチボールした。みよ、最後まで残ったよ」
「ドッチボールって何だい」
「ばっちゃ、ドッチボール知らんの?」
「せんべえ食うか」
「おまんじゅう食べたい!」
「せんべえ食え」
「五郎にえさあげた?」
五郎と呼ばれるタワシ色の猫は、みよちゃんに撫でられて咽喉を鳴らした。
老婆はよいこらしょ、と炬燵から腰を上げた。孫娘に茶を淹れるのに、保温ポットのお湯が足らなかったからである。立ち上がっても大して丈が変わらないほどに背が曲がっている。
「ばっちゃ、座って! お湯は自分で入れる」
「いいからせんべえ食え」
そう言いながらも老婆は孫娘にポットを手渡すと、また炬燵に座り込んだ。
隣の台所からみよちゃんの声が飛ぶ。
「ねえ、五郎にえさあげた?」
老婆は炬燵机の上を片付けるのに余念がない。
さすがにいい加減にしたまえ。何ゆえ、かくも食い違ってばかりの年寄りと子供の会話など聞かされねばならんのか、と読者諸氏はほとんど憤慨しながら詰問されるであろう。筆者は冷や汗を拭いながら、恐る恐る弁明する──────もちろん、私はそう思わないからだ、と。
台所で薬缶から湯気が噴き出す音に重ねて、再びみよちゃんの声。
「ねえばっちゃ、五郎にえさ!」
「五郎に? えさ? ああ、あげた!」
「あげた? ほんとに?」
「あげた!」
「いつあげた?」
「あげた! ここ来てせんべえ食え」
「いつえさあげた?」
「あげた!」
「あげた?」
「あげた!」
(おわり)