拘置所の窓は小さい。おまけに錆びついた鉄格子が幅を利かせているから、そこから入る光はほとんど用をなさない。ただ、まだわずかでもこの世と繋がっていることに気付かされる。繋がっていてもどうせ戻れない「娑婆」なのだから、むしろそんな思わせぶりな繋がり方など無い方がましである。まったく窓のない独居房であれば、潔く人間を辞めてモグラにでもなろうものだ。
自分は人を殺したのだから、何にならされても文句は言えない。できれば、市中引き回しの上磔のような最期を遂げたい。ここは、あまりにも考え事をする時間が多い。
部屋の隅を見遣ると、漆喰がその凹凸に汚れを溜めて、抽象絵画のように見えてくる。もっとじっと見つめていると、やがて人間の顔に見えてくる。どれもこれも怒っている。自分が手を下した人たちの顔かも知れない。実際どんな顔だったか、よく覚えていない。
自分は手際よく次々と人を殺めたから、逆にこうしてじっくりと時間をかけてなぶり殺されるのだ。こうなることは罪を犯す前から覚悟の上だった。これが社会という名を背負った連中のやり口だからだ。ろくでもない奴らだ。窓が小さすぎて、あんまり息ができない。壁と壁に囲まれていると、胸が押しつぶされそうになる。どうせ死刑なら、市中引き回しの上磔のように、賑やかにやって欲しい。
自分はすでに、存在を奪われた。命を奪われるには、あともう少し時間がかかるらしい。