仕事場の隣に空き地がある。七十坪程度であるが、今時珍しい、全く何もない空き地で、そのくせ管理人が草だけはせっせと刈っている。そのおかげか、近隣の住人が頻繁に現れては思い思いの利用の仕方をする。
犬を散歩する人が犬に空き地を走らせる。
近くの保育園が園児たちを連れて虫取りをさせることもあった。犬の糞を踏まなきゃいいが、と私は二階の仕事場の窓から観察したものだ。実際に誰かが踏んだのか、別の理由からか、最近は来なくなった。
中学生くらいの女の子が三四人、ピクニックシートを敷いてランチを食べ始めたこともあった。こんなところで? とびっくりしたものだ。
普段はもっぱら、近くの腕白な小学生たちがチャンバラごっこや三角ベースをして遊んでいる。何もない空き地で棒を振り回して楽しいのかしらと思ってしまうが、それは大人の論理らしい。彼らは結構満喫している。じゃあ、やられたら十秒間死ぬね! とか、だめだめ、そこはファールだって! とか、独自のルールを作り合う声が響く。
昔は、こういう光景があちこちで見られた。また、そういう「ただの空き地」がたくさんあった。今時の更地はあったところですべて売り物件の看板が立っている。立ち入ると不動産屋が怒って飛んできそうである。隣の空き地の管理人は、幸いにして寛容な心を持った方のようだ。
今の時代の街づくりに本当に必要なのは、きれいに整備された公園ではなく、何もない、かつ何をして遊んでもある程度は許される──ドラえもんの話に出てきそうな──空き地ではないだろうか。
現代の「のび太君」たちに相談してみたくなった。
犬を散歩する人が犬に空き地を走らせる。
近くの保育園が園児たちを連れて虫取りをさせることもあった。犬の糞を踏まなきゃいいが、と私は二階の仕事場の窓から観察したものだ。実際に誰かが踏んだのか、別の理由からか、最近は来なくなった。
中学生くらいの女の子が三四人、ピクニックシートを敷いてランチを食べ始めたこともあった。こんなところで? とびっくりしたものだ。
普段はもっぱら、近くの腕白な小学生たちがチャンバラごっこや三角ベースをして遊んでいる。何もない空き地で棒を振り回して楽しいのかしらと思ってしまうが、それは大人の論理らしい。彼らは結構満喫している。じゃあ、やられたら十秒間死ぬね! とか、だめだめ、そこはファールだって! とか、独自のルールを作り合う声が響く。
昔は、こういう光景があちこちで見られた。また、そういう「ただの空き地」がたくさんあった。今時の更地はあったところですべて売り物件の看板が立っている。立ち入ると不動産屋が怒って飛んできそうである。隣の空き地の管理人は、幸いにして寛容な心を持った方のようだ。
今の時代の街づくりに本当に必要なのは、きれいに整備された公園ではなく、何もない、かつ何をして遊んでもある程度は許される──ドラえもんの話に出てきそうな──空き地ではないだろうか。
現代の「のび太君」たちに相談してみたくなった。
今時公園やなんかに作ると問題になりそうだもんなぁ。
熱心な教師が「今日の課外授業はみんなで落とし穴作ります。スコップと軍手はみなさん持って来ましたか」なんてやりそうだけど、俺らの世代の給食の「大根めし」のノリだな(笑)
に加えて、放射能汚染。子どもはますます窮屈だ。
子どもに自由を!
ただ、大根めしは申し訳ないですが、記憶にありません。大根めし? 大根菜めしじゃなくて?
子供に自由、ですか。現代社会が子供たちから奪ったものについて、よくよく吟味すべきときかも知れませんね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313171938
要するに、昔の貧しいお百姓の苦労をみんなで知りましょうっていう大人が企画した”わざとらしい”給食メニューでした。