た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

鉢伏会議

2016年10月11日 | essay

 

 議論好きの知人の提案で、ただただいつものように議論するだけでは面白くない、鉢伏山をハイキングした後、山荘の一室を借りて議論をしようということになった。私は議論も山歩きも決して嫌いではないが、両方を一度にやってしまうひらめきはさすがに持ち合わせてなかった。世の中には物好きのさらに上を行く物好きな人間がいるものである。

 日取りは土曜の午前。参加者は四人(よく四人集まったものである)。私を除く三人は一台の車で後から、私は自分の車で一足先に鉢伏山に向かう。おりしも横殴りの雨が降る大荒れの天気で、上に近づくほど、その激しさは増した。霧も立ちこめ、五十メートル先が見えない。ハイキングどころか山荘に辿り着くのも危険な状況を呈してきたので、後続の車に連絡を取ったら、山荘の支配人に昼食の準備までしてもらっていることだし、とにかく山荘を目指そうと言う。

 雨がフロントガラスに打ちつけ、風は車体を揺らし、外の冷え込みが車内にまで浸透する。はっと気づけば、霧の中から大きなトラックが材木を積載して真正面に現れた。慌ててバックを試みるが、道は狭く、霧で何も見えず、このまま退がれば脱輪するかもしれない恐怖に襲われる。

 ようようのことでトラックをやり過ごし、さらに上を目指す。路面は真っ白な霧に没し、自分をどこに導いているのかさっぱり見えてこないが、行けども行けどもさらに先へと続く。路肩に、朽ちた様な立木がぽつぽつと現れては後方に消えていく。ハンドルを小刻みに切りながら、不思議とだんだん心が穏やかになる。ああ、死へ向かう道のりはひょっとしてこのようなものかも知れないなあ、などと考えたりする。

 それでも一時間かけて、何とか死なずに山荘までたどり着けた。もう一台も何事もなかったかのように到着。さすがにハイキングは断念。晴れていたら見事な眺望だという大窓に山嵐が容赦なく雨滴を叩きつける中、我々四人はさまざまな意見を交換し、山荘の主人の作ったビーフシチューに舌鼓を打ち、下山した。

 物好きな連中と触れ合っていると、自分もだんだん物好きさ度合いを増してくるのがわかる。愉しいような、怖いような。 

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