呑み助二人が調子を合わせ始めた。唐島の舌も滑らかになる。
「行き詰まりです。現代はいろいろな場面で行き詰まりを感じております。発展や進歩を無条件に信じて歩めた時代とはちょこっと様子が異なっている。環境問題しかり。環境問題は宇津木君もいつだったか紀要に書いてましたな。そういうグローバルなところへ行かなくても、日常社会を覗けばそこここに行き詰まりが見える。凶悪犯罪しかり。子どもが子どもを殺したりとか、何だか、昔は到底犯罪を犯しそうになかった層の社会構成員たちが犯罪者に駆り立てられている。それも昔の犯罪と違って、金目当てじゃない。ただ漠然と人を殺したくなったから殺すってんだから、物騒ですなあ。明らかに社会が病んでるんですよ。心に爆弾を抱えたまま、普段は何食わぬ顔をして街を歩いている人が、少なからぬ数いる。広く世界を見渡すと、南北問題は歴然として続いている。宗教対立、民族対立。二十世紀は何も解決しなかったんです。ええ。誇張を許してもらえば、二十世紀は何一つ解決しなかったんですよ。そしてすべてのつけを払わされるべき二十一世紀が来た。『つけ』というのがつまりは、欧米社会主導の世の中の行き詰まりですな。ま、経済的に言やあ資本主義の行き詰まりです」
「そこだ。そこですわ。わしもそこを考えてたんです」
資本主義のビールを飲んでいて何が資本主義の行き詰まりか。するめばかり噛み千切っていて何がわしもそこを考えていた、か。ついでながら解説すれば、人の話を途中で強引に自分の話にすり替えようとするのは、大裕叔父の昔からの悪い癖である。しかし唐島もそこは百戦錬磨で、なかなか素人に主導権を引き渡すことはしない。
「そこをお考えでしょう。そうなんです。みんな、そこを気にするようになってきてはいるんですよ。人々が行き詰まりに気づき始めた。なんかこの世の中がしっくりこない。何かを変えなくちゃいけない気がする。そうしないととんでもないことになる気がする。でも、何をどう変えていいのかわからない。そりゃそうです。人々はみんな、今の社会の常識、という枠組み、これを我々はパラダイム、と言ったりしますけどね。まあ哲学用語です。その常識の枠組みの中で、今の社会を批判しようとしても、無理なんです。難しいんです。野球をしている人が、次の打席にサッカーボールを蹴ったらどうかなんて考えつかないのと一緒です。常識という社会のルールは、意外なところでわれわれの言動をぎゅっと縛り付けています。そこで哲学です」
唐島は旨そうに二杯目のビールを喉に流し込んだ。
「哲学者は、そもそも、という基礎の部分から疑ってかかります。常識を疑います。今の世の中で当然のように思われていることを疑います。疑うことが哲学の仕事の重要な一つです」
「疑うこと」
「ええ」
「ほお」
叔父は急に話の主導権を明け渡してもらって、逆に戸惑っている。
「疑うことですか。ふむ。人に生きる道を指し示すのとは、違いますかな」
「違いますね」
女の笑い声がして、二人の会話は途切れた。
(つづく)
「行き詰まりです。現代はいろいろな場面で行き詰まりを感じております。発展や進歩を無条件に信じて歩めた時代とはちょこっと様子が異なっている。環境問題しかり。環境問題は宇津木君もいつだったか紀要に書いてましたな。そういうグローバルなところへ行かなくても、日常社会を覗けばそこここに行き詰まりが見える。凶悪犯罪しかり。子どもが子どもを殺したりとか、何だか、昔は到底犯罪を犯しそうになかった層の社会構成員たちが犯罪者に駆り立てられている。それも昔の犯罪と違って、金目当てじゃない。ただ漠然と人を殺したくなったから殺すってんだから、物騒ですなあ。明らかに社会が病んでるんですよ。心に爆弾を抱えたまま、普段は何食わぬ顔をして街を歩いている人が、少なからぬ数いる。広く世界を見渡すと、南北問題は歴然として続いている。宗教対立、民族対立。二十世紀は何も解決しなかったんです。ええ。誇張を許してもらえば、二十世紀は何一つ解決しなかったんですよ。そしてすべてのつけを払わされるべき二十一世紀が来た。『つけ』というのがつまりは、欧米社会主導の世の中の行き詰まりですな。ま、経済的に言やあ資本主義の行き詰まりです」
「そこだ。そこですわ。わしもそこを考えてたんです」
資本主義のビールを飲んでいて何が資本主義の行き詰まりか。するめばかり噛み千切っていて何がわしもそこを考えていた、か。ついでながら解説すれば、人の話を途中で強引に自分の話にすり替えようとするのは、大裕叔父の昔からの悪い癖である。しかし唐島もそこは百戦錬磨で、なかなか素人に主導権を引き渡すことはしない。
「そこをお考えでしょう。そうなんです。みんな、そこを気にするようになってきてはいるんですよ。人々が行き詰まりに気づき始めた。なんかこの世の中がしっくりこない。何かを変えなくちゃいけない気がする。そうしないととんでもないことになる気がする。でも、何をどう変えていいのかわからない。そりゃそうです。人々はみんな、今の社会の常識、という枠組み、これを我々はパラダイム、と言ったりしますけどね。まあ哲学用語です。その常識の枠組みの中で、今の社会を批判しようとしても、無理なんです。難しいんです。野球をしている人が、次の打席にサッカーボールを蹴ったらどうかなんて考えつかないのと一緒です。常識という社会のルールは、意外なところでわれわれの言動をぎゅっと縛り付けています。そこで哲学です」
唐島は旨そうに二杯目のビールを喉に流し込んだ。
「哲学者は、そもそも、という基礎の部分から疑ってかかります。常識を疑います。今の世の中で当然のように思われていることを疑います。疑うことが哲学の仕事の重要な一つです」
「疑うこと」
「ええ」
「ほお」
叔父は急に話の主導権を明け渡してもらって、逆に戸惑っている。
「疑うことですか。ふむ。人に生きる道を指し示すのとは、違いますかな」
「違いますね」
女の笑い声がして、二人の会話は途切れた。
(つづく)