能登半島の海の色を私は忘れない。
それは二人で行った唯一の旅行であった。金沢で開かれた学会がその好機を与えてくれた。学会そのものはらっきょの皮剥きのように退屈であったが。らっきょの皮を剥いた経験は私にはない。
六月初旬のよく晴れた午後、弓なりに延びる人気の無い砂浜に、我々は車を乗り付けた。タイヤが砂を噛む音がした。エンジンを停めると浜風がごう、と鳴った。
私も雪音も座席に座ったまま、車から降りようとしない。車窓越しに、まるで古い映画を観ているように白波立つ日本海が広がる。浜風が強い。しかし空は青い。
「誰もいないのね」
雪音が助手席でつぶやいた。よく梳いた短い髪を座席に押し付けて、彼女は海を眺めている。一方の私はハンドルに両腕を乗せ、前のめりになって海を見つめる。太平洋育ちの私に、日本海は大変黒く見えた。
「降りないの」
「降りたけりゃ降りろ」
雪音はしばらく沈黙した。ああ私は、このときの会話を一言一句覚えている。私たちは二人とも疲れていた。
(つづく)
それは二人で行った唯一の旅行であった。金沢で開かれた学会がその好機を与えてくれた。学会そのものはらっきょの皮剥きのように退屈であったが。らっきょの皮を剥いた経験は私にはない。
六月初旬のよく晴れた午後、弓なりに延びる人気の無い砂浜に、我々は車を乗り付けた。タイヤが砂を噛む音がした。エンジンを停めると浜風がごう、と鳴った。
私も雪音も座席に座ったまま、車から降りようとしない。車窓越しに、まるで古い映画を観ているように白波立つ日本海が広がる。浜風が強い。しかし空は青い。
「誰もいないのね」
雪音が助手席でつぶやいた。よく梳いた短い髪を座席に押し付けて、彼女は海を眺めている。一方の私はハンドルに両腕を乗せ、前のめりになって海を見つめる。太平洋育ちの私に、日本海は大変黒く見えた。
「降りないの」
「降りたけりゃ降りろ」
雪音はしばらく沈黙した。ああ私は、このときの会話を一言一句覚えている。私たちは二人とも疲れていた。
(つづく)