peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市博物館の「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第2回(大東方面)その8 2015年10月18日(日)

2015年11月15日 | 史跡、名所、

(上)石清山観福寺の山門

(上)観音堂(福聚堂):寛保3年(1743)建立(再建)で、木造聖観音立像が祀られている。現在、寺の中で一番古い建物。観音堂に架かる階段橋。観音堂と本堂を結ぶ廊下の途中に、金毘羅、文殊堂が並んでいる。

(上)観福寺本堂:建久2年(1191)の開山と伝えられているが、本堂は昭和25年に再建された。御本尊は不動明王。(下)本堂の「寺額」は、唐風の高格気品あふれる書風であるが、貞享元年(1684)、木菴禅師の後を継いだ京都宇治黄檗山の高泉禅師が同2年に書いた直筆で、これを刻んで寄進した人は、猿沢旧城主及川国次である。

(上)右側にあるのが五輪塔

 石清山・観福寺(せきせいざん・かんぷくじ)真言宗智山派。大東町猿沢字野田前37番地」

1~3mほどの石灰岩の押流層が重なり合い奇峰となっており、その上に総欅造りの観音堂が建てられている。観音堂を取り囲む石灰岩の岩面には一枚ごとに仏の称号を1字30㎝角の大きさに平仮名や漢字で、行書や草書で刻まれているほか、多数の石塔、石碑がある。

観福寺の開山は平安末期と伝えられているが、この場所は縄文の昔から、「神仏の宿る神聖な場所として村人の祈りの場所だったろう」とも言われています。境内に入れば自然と心が安らぎます。

境内の磨崖碑、観音堂のあたりに重なっている岩石の一つ一つに、仏の名や祖師の名を色々な文字で刻んである。

天明6年(1786)6月、ここを訪れた菅江真澄は「はしわの若葉」に次のように記している。「観福寺というささやかな寺あり、その傍らに高き岩ども群れ立てるところあり、それに虹の如き橋を掛け観音を安置(まつる)。その堂の前に至れば、ここらの岩のおもてにアラカン(阿羅漢)尊者また仏菩薩の名号をしるし、また古歌(うた)詩(からうた)えりたり、また西行法師などむかし今の世人をもえりたり、いかなるよしかと問えば、唯うちたわむれてせしこととも、あやしきものなり。こけむして見えねど苔をはだくれば、苔の下にあらゆる人の面像(おもがた)出るをいへり、昔よりせし事と見えたり」[主催者が配布した資料より]


一関市大東町摺沢のサルビア・レウカンサ  2015年9月18日(金)

2015年11月15日 | 植物図鑑

2015年10月18日(日)、一関市大東町摺沢の県道19号線(一関~大東)、今泉街道)沿いにあるキリンヤ大東店に隣接する民家の庭に植栽されているサルビア・レウカンサが紅紫色の花を穂状に沢山つけていました。

サルビア・レウカンサ シソ科 サルビア属 Salvia leucantha

別名:アメジストセージ、メキシカンブッシュセージ。メキシコ、中南米原産の半耐寒性多年草。宿根性のサルビアです。長い花茎に沢山の花を穂状(すいじょう)につけ、下から咲いていきます。ビロード状の紫色の萼片から白い唇形の花を咲かせるものが基本種ですが、花も萼も紫の’ミッドナイト’や葉の縁に白色の斑が入る斑入りの品種などもあります。

管理:日当たりと水はけのよい場所で育てます。草丈が高くなるため、梅雨~8月上旬に切り戻しますが、8月中旬を過ぎて切り戻すと開花しないことがあるので注意。寒冷地では、冬は鉢上げして室内に入れます。[西東社発行「色・季節でひける花の事典820種」より]