2019年10月10日(水)、一関シネプラザ(一関市磐井町一高通り)で上映中の映画「あの日のオルガン」を妻と一緒に観てきました。この映画は、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年、20代を中心とした若手保母たちが、子どもたちの命を守るため、53人の園児を連れ、まだ誰もやったことの無かった集団疎開を敢行した、いわゆる「疎開保育園」の事実を取り上げた小説「あの日のオルガン・疎開保育園物語」(久保つぎこ著、朝日新聞出版発行)を映画化したものだそうです。
これは幾多の困難を乗り越え、託された命を守りぬこうとするヒロインたちの奮闘を描いた真実の物語。大切な命を未来へ繋ぐことを願い、毎日を必死で戦った保母たち。強い信念で時代を切り拓いていった彼女たちの生き様は、時を越えて今を生きる我々を魅了し、大きな勇気と希望を与えてくれます。
ここに登場する年長の園児たちは、現在満80歳の私と同じ歳。昭和14(1939)年3月生まれの私は、この年、満5歳。
当時、私たちは、福島県安積郡富久山町字久保田の町営住宅に住んでいたのですが、昭和19年7月頃、近くにある保土ヶ谷化学や日東紡績富久山工場などを目がけて飛行機から爆弾が落されました。2~1㎞しか離れていない所が燃えていて、辺りを真っ赤に染めていたの覚えています。
この空襲から命を守るために、現在の郡山市郊外の純農村地帯にある母の生家に母と2歳上の姉と4歳下の弟の4人で疎開したのでした。父は2男1女・3人の子どもをもつ身でしたが、敗戦の色が濃くなった戦場に2回目の召集を受けて出征していました。
昭和20年8月、終戦になり、千島・樺太辺りに居た父は五体満足で早期に帰国したのですが、結局、昭和29年3月末までこの母の生家とその傍の隠居家で暮らしたのでした。
映画は、上の歴史年表に記されている「1944(昭和19年)戸越保育園、集団疎開を計画し始める(5月)」辺りから始まっています。「疎開先を探し始めるも難航。戸越保育所と愛育隣保館で、母親たちに説得を始める(6月)」この時の説得の情景が、身につまされました。結局、最後まで疎開に同意しなかった親と子供たちは1945年3月10日の東京大空襲で犠牲になってしまったようです。
20代の若い保母たちが、率先して集団疎開(疎開保育園)を実施したことに深い感動を覚えました。
(上)左:主役の保母たちのリーダーで責任感の強い板倉楓(戸越保育所・主任保母)役・戸田恵梨香、中:堀之内初江(愛育隣保館・保母)役:堀田真由(今後の映画界を牽引する期待の新鋭女優)、右:もう一人の主役、保母の野々宮光枝(愛育隣保育館・保母)役・大原櫻子(女優・歌手としてフィールドお広げている)。
https://www.anohi-organ.com/ [映画・あの日のオルガン:公式ホームページ]
https://cinemarche.net/drama/anohi-organ/ [映画・あの日のオルガン:ねたばれと感想]