臨終
2011-11-30 | 実父
11/30
この日私は以前からの体調不良で胃の内視鏡を受けることになっていた。
キャンセルしようかとも思った。
父の臨終に立ち会いたいためにキャンセルするというのもどんなものかと、
父はまだ生きているのだ、普通にしていよう、、、
父は自分の「その時」を自分で選びとるに違いない。
弟も、昨夜、「ほな、俺も泊まったらいびきがうるさいから、帰るわ、明日、なるべく早く来る」といって、帰ることになった。
ヒロコさんは、たぶん、「二人とも、父親が今日か明日といっているときに、なんと暢気なことを…」と思ったに違いない。
でも、弟もきっと私と同じ思いだったのではないだろうか。
朝9時に、日赤に着いたとたん、弟から携帯が鳴った。
すぐに、父が逝ったのだとわかった。
弟は冷静に、「もう亡くなったんだから、内視鏡を受けてからゆっくり来ればいい」と言った。
私もそうしようと思った。
昨夜はヒロコさんがひとりで、一晩中ずっと、一睡もせずに父の傍にいて、きっとたくさん話しかけてあげたに違いない。
父は話せなくても、じゅうぶんに語り合ったことだろう。
ヒロコさんは、こんなになってしまった父に「頑張って」とは言わない。
「だいじょうぶよー。」
今、父に言ってあげるのは、その言葉だけだ。
すべての思いがこの言葉にこもっているのが、私にも泣きたくなるほどわかる。
そして、朝、ヒロコさんと交代に弟が来た。
「やっと来たか息子。最後はお前がきちんと看取れ。」
これが、父の逝き方だ。本当に父らしいと思った。
父の病気は最後まで意識があるときいていた。息子の声は聞こえたはずだ。
息子が来たことがわかり、バトンを渡したのだ。
受け取るのは息子以外にいない。
本望だったと思う。
内視鏡検査が終わって、父のところに行ったとき、私はあまり泣かなかった。
悲しみより、よかったね…の、安堵の涙…だったかな。
「お疲れさま、やっと楽になれたね。ホッとしたよね、
昨日は一晩中ずっとヒロコさんとお話できて、最後は息子に看取ってもらえてほんとによかったね。」
もう思い残すことはなにもなかったのではと思える。
お見舞いにいただいた父の大好きな胡蝶蘭の切花が、ゆるやかな日差しの中で、まだ元気に咲いて、やさしく見送ってくれていた。
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