ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

最前線物語

2007年01月12日 | 映画


年末から年始にかけて見た映画は、結局この一本だっ
た。
予定だと、五六本だったのだが、いろいろ予期せぬこ
とが起き、こういう結果になってしまったわけだ。
そんな中、何故この「最前線物語」を選んだのかとい
うと、去年後半に、ここ十数年なかった映画館での映
画鑑賞により、イーストウッドの「父親たちの星条旗」
「硫黄島からの手紙」を観てしまってからの、戦争映
画というものの流れの結果なのだ。

「最前線物語」というのは、B級映画の巨匠と言われ
ているサミュエル.フラーの代表作で、リー.マービ
ン主演の戦争映画だ。
名前の通り、最前線(第二次大戦)でのリー.マービ
ン率いる小隊の斥候活動が主に描かれている(ノルマ
ンディー上陸作戦なども)。
この映画の特徴は、戦闘場面の迫力とかリアリティー
とかそういうものではなく、任務を淡々とこなすリー.
マービン演じる一見冷血的な隊長の姿と、それに付い
ていく小隊を非情に追っていくところだ。
つまり、これ見よがしに悲惨さを見せるのではなく、
事実(エピソード)を積み上げて、結果いろんなもの
が見えてくる(見てるほうが想像する)という、他の
フラー作品に共通する、単純に見えてそうではないと
いう映画になっている。
娯楽映画の顔で、実はそれだけではないというのがな
んとも憎い。

今回で四度目の鑑賞なのだが、それにしても、所謂ス
トーリー、覚えてないものだ。
見る度に、「こんな場面あったっけ」が出てくる。
しかし、基本的にストーリーで見ない自分としては、
それも当然だと思う。
重要なのは、何が映ってるかということだから。
つまり、ストーリー(筋)だけで映画を見るというこ
とになると、一回で充分ということになる。
実際、一回で充分という映画の方が圧倒的に多いとい
う事実はあるが、映画はそれだけではないから、人々
を魅了する。
大袈裟に言えば、瞬間瞬間の出会い、か。

だから、その見る時の本人の状態により見方が変わる
のも、それもまた当然だ。
特に、年を隔てて見ると、がらっと評価が変わったり
するものだ。
それは大体、当時見えてなかったものが見える、とい
う新たな発見に起因する。
これも、瞬間の出会いである。

とか何とか、尤もらしい言葉で表現したくなる映画、
実に困ったものでゲス。
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豆大福

2007年01月11日 | 食べ物


京都通の知人より、「豆大福」をいただく。
一応「お見舞い代わり」ということらしく、わざわざ
買ってきてくれたものだ。
それは、東京の高輪近くの「松島屋」という店の豆大
福。
ここは、豆大福好きが一度は押さえるべき店として夙
に有名で(多分)、個人的にも食べたいとは思ってい
たところだ。
プチ夢が叶ったということか(本当にプチだが)。

大きさは、原宿の「瑞穂」より小さめ。
しかし餡子はどっさり入っている。
その餡子の味は、練りに練ったという餡子ではなく、
素朴な餡子の味の、小豆の風味がある粒餡で、本来の
小豆の味がする。
謂わば、原点的な豆大福。
この餡子をもう少し洗練させると「瑞穂」か、といっ
た感じである。
ここは好みで、より素朴な味なら「松島屋」。
もうちょっと洗練なら「瑞穂」。
こんな位置づけで良いのではないか。

東京の護国寺近くに、これまた豆大福好きには欠かせ
ないと言われている(多分)有名店があるが、個人的
には餡子の味が好みではなく(皮の豆は多い)、お気
に入りとはなっていない。
他にも、いくつかの評判の店はあるようだが、それは
おいおい味わうとしよう。
機会があれば。

昔だったら、直ぐにそれらの店を踏破しようなどとい
う野心を抱いたところだが、今はちょっと変わってき
た。
目的が、「行った店コレクション」から「自分の好み
の味を味わう」になったのだ。
だから、なんでも新しい店に行きたがるという欲求は
ぐんと少なくなった。
所謂「グルメ気取りの食べ歩き」は、あまりしなくな
ったのだ。
一般的にはブログの格好の題材なのだが、そういうの
はやりたい人に任せて、こちらはそれらの五万とある
信頼性に?の情報の中から、自分のアンテナに引っか
かったものを抽出して、情報として記憶しておく。
そして、何かの機会にそれを検証。
まあ、こんな感じで行くのが、今の自分に合っている
のではないかと思う、2007年なのである。
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冷気

2007年01月09日 | Weblog
昨日今日と、最高気温が2度くらいの状態が続いてい
る。
寒い。
特に足元が。
しかし、真冬日でもないのだから、今から文句を言う
と先が思いやられる。
冬は始まったばかりだが、それ以外でも、折角スタッ
ドレスに換えた曰くつきのタイヤが再びパンクという
か空気抜けを起こし、寒い中交換を余儀なくされた。
全く、不快な出来事が連発する2007だ。

こうなったら江原某にでも相談するか。
いろんなことが連発すると、基本的に人間は、何か悪
い流れを感じ、その元になっている原理的なものを想
定したくなり、その解決のため結果、江原某などに行
き着いてしまう。
明確な原理で全てを説明する、その「明確さ」が、安
心原理につながるのだろうが、なんだかね。
個人的には、そんな、胡散臭い世界にたよるんだった
ら、もっと原始的な自然信仰の方を選びたい。

「山よ、風よ、森の木々たちよ、
君たちは聴いたか、
鳥の囀りを、
鹿の呼吸を、
オコジョの鳴き声を、
目覚めよ、内なる力、
ルシファーライジング」
(最後だけ余計だが、今勝手に思いついた)

なんて感じのほうが、個人的には好ましい。
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雪からバリ

2007年01月08日 | Weblog
大して積もらないと思った雪も、日本全国猛威を振る
った低気圧のせいで、そこそこ積もってしまった。
20センチほどか。
降るのは良いが、後の雪掻きとか考えると、今の状態
だとなおさら気が重くなる。
この程度でこうなのだから、本格的降雪地帯の人の苦
労は、想像を絶するレベルだということだ。
と同時に、暖かい地方に対する憧憬を抱く瞬間でもあ
る。
ゴーギャンがタヒチに抱いたように。

実際ゴーギャンが抱いたのは、もっと天国のような幻
想に近いものだったので、現実的に幻想が崩れたとき
のショックも大きかったことと思われる(以前読んだ
「ノアノア」というゴーギャンの本では、それほどそ
の点には触れてなかったと思うが、実際は幸福に生涯
を終えたわけでも無さそうなので)。
理想郷などどこにも存在しない現実を目の当たりにす
るのは、情報のない当時としては止むを得ないことだ。
幻想を抱くには、正確な情報が少ないほどいい。

そんな当時と比べられないほど細かな情報を得られる
今でも、ついつい人間は「楽園」を夢見てしまい、そ
の違いにその都度呆然落胆する。
そんなことの繰り返しだ。
結局、「見たい」「あると思いたい」という欲求が常
にあるからということなのだろう。

そんな「楽園」願望ではなく、単純に「暖かいところ」
が良いというのは、むしろ肉体的快楽への欲求だ。
心地よい気候(時に度を越えるが)。
それだけのことだ。
で、真っ先に思いつくのは「バリ」なのだが、知り合
いが今年、いよいよ長期の滞在で行くことになったら
しい。
知り合いといっても、歳が80近い「お爺さん」とい
う年齢の人だが、この辺では珍しく、一人でバリや他
の東南アジアにも普通に行ける人で、現地に知り合い
も多く、そういう暮らしにはうってつけの人だ。
特にバリに関しては、現地の人から自分用の家まで作
ってもらってるくらいで、なんら不安がない。
現地に溶け込み、ひょっとしたら日本人と気付かない
位になると思う。

バリの生活の基盤は、「バリヒンドゥー」だから、決
められた儀式によって日々を過ごすのが基本だ。
生活様式が自己目的化していると、より不安なく暮ら
せるという良い見本かもしれない。
と言っても、近代社会から相対的に見ての話で、実際
のバリは、「市場経済」の波でどんどん変化している。
つまり、「昔は良かった」感が加速していると言うこ
とだ。
そんな神秘的な部分を拡大すると、またまた幻想が広
がるが、単純に「物価が安い」(観光用ではないとこ
ろでは)「暖かい」(同時に蒸し暑い)「人々が穏や
か」(しかし街は汚く野良犬だらけ)を見るなら、充
分心地良いとは言えるのだ。
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バーバー

2007年01月06日 | 映画


正月に、コーエン兄弟の「バーバー」でもゆっくり見
ようと思っていたのだが、件のアクシデントのために
駄目になってしまった。
結局、そのままレンタル屋にUターンだ。
その代わり、白日夢を見たから良いか、という話にな
るわけもなく、依然としてボーっとした状態は続いて
いる。
完治するのに一ヶ月くらいかかると言っていたから、
徐々に徐々にということなのだろう。

あと、録画したイーストウッドの「ブラッドワーク」も
残っている。
八割方見て、残り少しの状態で放置という、なんとも
中途半端な見方で今に至っているが、映画を見る態度
としては如何なものか。
映画に対する冒涜だ、などと映画原理主義者(いるか
知らないが)の声が聞こえてきそうだ。
この一本だけだからまだ良いが、以前は途中のヴィデ
オが三四本たまり、終いには知らずに重ね録画して、
見たいときに行方不明なんてことが数知れずだ。
それに懲りて前よりは気をつけてはいるが、今でもた
まにやってしまう。
どうもその辺の管理能力が今ひとつのようだ。

外は雪。
いきなり話題は変わるが、今現在雪が降っているのだ
が、割りに湿った雪なのでそれ程積もることはなさそ
うだ。
元々当地は、雪に関してはそれほどではなく、それよ
りは寒さがきつい。
昔だと、この時期からは最低気温マイナス十度以下が
何日も続いたものだが、温暖化のせいか大分暖かくな
って、今ではシーズンの間に三四日程度になった。

温暖化もこの点に関しては結構なことなのだが、マク
ロで見たら問題が多いので手放しでは喜べない話だ。
しかし、体は喜ぶ。
頭と体の乖離。

今現在は、半身幽体離脱状態という何とも特殊な状態
なので、ある意味特権化された状態なのかもしれない。
ずっとこの状態のほうが良いかも、などとつまらない
考えも、魅力的に聞こえたり。
個人的には、今まで眠っていたある感覚が覚醒しない
か、などと都合の良いことを考えているのだが、どな
いやろ。
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アクシデント

2007年01月05日 | Weblog
新年早々、最悪な出だしとなってしまった。
生まれて初めて救急車に乗るという体験は、記念すべ
きものと言えなくはないが、出来れば避けたかった。
それに、生まれて初めての骨折も。
考えてみれば、何度と危ない目にあっていたのに(交
通事故を含め)、一度も骨折したことがなかったのが
むしろ不思議なくらいだ。
しかし、とうとう悪運も尽きたということか。

梯子から落ちて顔面を強打、失神して救急車で運ばれ
CTを撮り(これも初)、気がついた時は家。
なんとも不思議な世界で、地に足が着いてないという
か、現実感がない時間を暫く過ごすこととなった。
その落ちて運ばれ検査、そして帰還までの記憶が完全
に抜け落ちているのだ。
自分では何が起こったのか全く判らない。
記憶というのは、こうやって100パーセントなくな
るものかとよく判った。
部分的記憶喪失。
島状記憶喪失?というのは、こんな感じなのだろうか。

結局、頬が骨折しているということらしいが、ずれて
るわけではないので、安静にほっといて自然に付くの
を待つということらしく、何かしらの治療は必要ない
ようだ。
顔面を強打している割には大したこと無かった。
それにしても、一体、どういう風に落ちたのだろうか。
出来れば、一度見てみたいものだ。
スローモーションでもう一度、というやつだ。

しかし、世の中、もっとひどい出だしの人もいるだろ
うから、この程度でいろいろ文句を言ってはいけない。
とは思うが、なんともトホホな幕開けであることは、
間違いない。
好事魔多しが今年のキーワードか。
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