ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】直観力

2008年07月06日 22時12分12秒 | 読書記録2008
直観力, 新崎盛紀, 講談社現代新書 508, 1978年
・題名を見ると、『第六感』だとか『超能力』だとか人智を超えた力である "直観力" を身に付けるハウツー物を想像してしまいますが、実際は "直観力" を通して見た日本の文化論といった内容で、その話題はかなり多岐に及び多少散漫になっている印象も受けます。「日本人は他国人とは違って、ちょっと特別」という、怖いような、くすぐったいような独自の論を展開。また、余所の書籍からの引用が多く、なるほどと思う小ネタが豊富です。
・「これらの概念の共通項を求めてみると、直観とは「直接に感じ取ること」となるであろう。とすれば、論理とは「間接に理屈でとらえること」にほかならない。」p.5
・「一般に、人間のこころというものを、学者はその得意とする知(知性=考える)の側面から、同じく芸術家や宗教家は情(感情=感ずる)の側面から、政治家や実業家は意(意志=欲する)の側面から、とらえる傾向があるようだ。  わたしはこころというものを、その働きの三つの側面のすべてから、とらえていきたい。つまり、こころは知・情・意全域にまたがる総合的な心理機能である、と解釈したい。」p.12
・「論理とは考えを進める際の一定のすじみちであり、直観とは考える過程をへずに直接に感じとる働きである。」p.15
・「たとえば、ほとんどローマ字や日本のカナ文字のような表音文字だけしかもたぬ欧米の言葉と、表音文字のほかに漢字という表意文字をもち、両系の文字をシステム的にみごとに併用している日本の言葉とは、両者の文字の相違度合いに照応して、両者の論理や直観の思考の方法も、当然に異なってくるはずである。  結論をさきに述べれば、文字という大ざっぱな論理系のなかでも、漢字は直観性を、カナは論理性を表わすということである。」p.25
・「もともと、アナログとディジタルとは、定性と定量とを意味する。これを性格類型にあてはめれば、それぞれ直観型と論理型とに該当する。」p.27
・「人間は一般に、直観型論理型との二つに大きくわかれ、さらに直観型が五官型直角型とに二大別されたように、論理型も速考型深考型とに二大別できるようだ。」p.40
・「将棋の中原名人は「将棋のプロとアマチュアとの違いは」とたずねられて、「負けた試合を覚えているのがプロで、勝った試合を覚えているのがアマだ」と明快に答えている。」p.40
・「現代日本人の悲劇は、話し上手つまり自分の意志伝達の巧者になろうと熱願しているくせに、否、熱願しているがゆえに、あせりのためか、聞き下手の姿勢をくずせぬところにある。」p.47
・「心理学者・岩原信九郎は『記憶力』(講談社現代新書 1976年)で、記憶術の要点を、次の三つにまとめている。  第一は、記憶すべき事項を、いくつかの意味ある単位(チャンク)にまとめて、記憶項目をなるべく少なくすること、第二は、記憶項目はたがいに意味的な関連をもたせること、第三は、記憶事項をできるだけ既知のことと関連づけること(位置づけ)であるとしている。」p.47
・「たとえば、庭に草花などを植える際に、女性は一般に、そのときどきの思いつきで空いた場所に、次々に自由奔放に結果的には雑然と植える。  これに対して男性は、生長後の周辺の草木とのつりあいや、開花時の色どりの調和などを、予想しつつ慎重に位置を選んで植える傾向がある。相対的にいえば、女性は速考的で、男性は深考的だといえよう。」p.52
・「ホイジンガは名著『ホモ・ルーデンス』(中央公論社 1971年)で、「文明は遊びのなかから生まれてきた。もしも、現代文明から遊びの精神が失われれば、文明は存続できないであろう」と述べている。」p.55
・「とにかく、人間は誰にとっても、生命は有限で、しかも誰にとっても、時間は平等に与えられている以上、時間の管理の巧拙は、まさに人生の決定要因であるといえよう。そして、時間管理の巧拙はおおよそ、直観力の強弱と正比例するのである。」p.97
・「英人ハマトンは名著『知的生活』で「時間を空費させる最大の敵は、下手な勉強だ」と含蓄ある警句を発している。」p.98
・「たとえば、作成に約30時間を要する論文ならば内容による多少の違いはあるが、おおむね五時間ずつ六日間で執筆を完了するのが、仕上がりがもっともよい。」p.99
・「読書や講義の内容を、後で役立たせるために、メモをしておくことは重要である。学生時代の私が天才ゲーテの行動に予想外に驚嘆したことの一つは、彼の執拗なメモとり癖であった。」p.105
・「寸暇継考法とは、生活時間全体を一貫して、当面するテーマを常に射程内におきつつ、その間隙、すなわち通勤・食事・入浴などの間に生じる寸暇を惜んで、思考を継続する技法である。」p.106
・「寸暇継考法はわたしの体験からいえば、書斎や事務室で、長時間じっと思考を続けるやり方よりもはるかに能率のあがるばあいが多い。これは集中的な思考を続行できる時間の限度は、普通の成人のばあい、おおむね15分だという、心理学的に実証された事実からも、納得がいく。」p.108
・「実は日本人の一大欠点は、五世紀初頭の『論語』伝来いらいの、また明治開国以降は滔々たる洋書の流入による、書物に頼る他律的な思考にあるようだ。」p.109
・「ソ連の生理学者・セーチェノフの「積極的休憩説」はなかなか面白い。彼は「右手が疲れたときには、ただ休んでいるより、その時に左手を使った方が、後での右手の能率は高まる」と述べている。換言すれば、読書・計算・暗記などの思索的な知的仕事(おもに脳の左半球の機能)に疲れたら、それをやめて音楽・散歩・スポーツなどの感覚的・運動的な情的営み(おもに右半球)に耽り、しばらくして知的仕事にたち帰れば、そのあいだなにもしないでいた時に比べて、知的業績は、著しくあがるという理屈になる。」p.109
・「「人生の真の目的は、無限の人生を知ることである」(トルストイ)。」p.118
・「システムとは1969年のアポロの月面到着いらい使われ始めた言葉で、今や一般の常識に定着した観がある。システムを定義づければ、「多くの部分がお互いに関連しあいながら、全体として共通の目的を志向している体系」となろう。」p.130
・「実は、人間にはもともと「委任したがらぬ心理」がある。だが、この素朴な心理を克服してこそ、はじめて立派なリーダーになれるのである。」p.146
・「実は、現在までに国の内外で、大小無数の想像力育成の技法が開発されてきたが、これらの技法のうちで、わたし自身が活用してきわめて有効だったと感じているものは、ブレーン・ストーミング法、KJ法、入出法、消去法などである。」p.150
・「また、一見、中国原産かと思われる扇子や、中華料理の食卓の回転盤なども、実は日本の発明品だという――扇子は平安後期の貴族の考案とか。これらの発明品の基底には、二千年来、蓄積された温帯稲作の広汎な技術、たとえば、四季ごとに使いわける大小無数の農機具の製造技術などがあることは疑いを容れない。」p.154
・「だが、日本の歴史を通観して、最大の発明品は二種のカナ文字と五十音表と『源氏物語』ではなかったか。」p.155
・「さいきん、洋弓つまりアーチェリーの射方は、射撃と同じく論理的で、直観的な弓道、つまり和弓とは非常に異なること、つまり外観は似ているが、中身はまったく対照的であることに気がついた。それぞれ長い歴史と風土を背負って発達してきた和弓と洋弓とが、日頃の直観と論理という民族性の決定的な差異を、集約的に表象していることに、尽きぬ興趣が感じられる。」p.158
・「日本人型の脳から生まれる創造業績が、世界人類の混迷からの脱出への突破口となることも、あながち夢ではあるまい。」p.166
・「西方の動物系紋章に対する日本の植物系紋章は、照葉樹林の影響と見なすのが自然であろう。」p.170
・「日本が今後、世界文明へ貢献すべき態容は、異文化圏たる欧米のいき方をまねても、日本語を使うかぎりは、かならず限界がある。やはり、日本流儀、たとえば回転レシーブ精神で堂々と立ち向かうべきではないか。」p.178
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