人は見た目が9割, 竹内一郎, 新潮新書 137, 2005年
・「おっ!?」と目をひくタイトル。「人(の価値)は見た目が9割(で決まる)」、と何か挑発的な印象を受けますが、実際の内容は、言語以外の情報を扱う「ノンバーバル・コミュニケーション」の紹介です。人間の見せる無意識な行動についての、「へぇ~、なるほど~」と思うような小ネタが面白い。
・出版された当初ちょっと話題になった本ですが、それはやはりこの表題に依るところが大きいと思います。非言語情報の重要性を説く本が、言語情報のおかげで成功するとはなんとも皮肉。
・「最近では、活字の本よりマンガの方が圧倒的に売れている。その理由は様々だが、私見では「文字だけ」より「文字と絵の組み合わせ」の方が、受け手に理解されやすいからだ。」p.9
・「たとえばまばたき。アメリカ大統領選挙の公開討論では、「まばたきが多いほうが、討論後の勝敗後の印象を尋ねる世論調査では負ける」という法則がある。」p.11
・「本書では、こうした「言語以外の情報」すべてをひっくるめて、「見た目」と捉えてみた。」p.12
・「舞台であれ、映画であれ、マンガであれ、物語を作るうえで最も感動的なシーンには言葉で説明するのではなく、「絵で見せる」という鉄則がある。」p.15
・「私たちの周りにあふれていることば以外の膨大な情報――。それを研究しているのが、心理学の「ノンバーバル・コミュニケーション」と呼ばれる領域である。最近は、言葉よりも、言葉以外の要素の方がより多くの情報を伝達していることが分かってきた。」p.18
・「演劇やマンガを主戦場としている私は、人は能力や性格もひっくるめて「見た目が九割」といっても差し支えないのではないかと考えている。」p.19
・「たとえば、「本をたくさん読む人」が「たくさん勉強している人」という錯覚が生まれる。「本をたくさん読む人」が必ずしも「情報をたくさん摂取している人」ではないのである。」p.19
・「教育の陥穽という観点から、一つ補足する。私たちは、子供の頃小学校の先生に「人を外見で判断してはいけない」と教えられた。それは「人は外見で判断するもの」だから、そういう教育が必要だったのだ。 逆にいうなら、「人を外見で判断しても、基本的には問題ない。ごくまれに、例外があるのみである」といってもよい。」p.20
・「私は、ボイストレーニングの基礎ぐらいは、義務教育に入れてもいいのではないかと考えている。声で損をしている人は、学歴で損をしている人より、遥かに多いのではあるまいか。」p.34
・「男女間で重要なことは、並んで座る時、膝、つま先が相手の方を向いているかどうか、である。お互いに相手の方を向いていればよし。相手と別の方向を向いているようでは、「将来は危ない」と考えたほうがよい。」p.41
・「マンガは詰まるところ「見た目」勝負の文化である。現場にいると、それを痛感する。 ベストセラー小説が原作で、絵も上手なのに面白くないマンガというのがある。それはまさに、紙の上でのノンバーバル・コミュニケーションが有効にできていないからだ。」p.69
・「ノンバーバル・コミュニケーションを意識的に活用している最先端の領域がマンガである。」p.71
・「マンガ家は、映画でいうなら、次のスタッフの能力が求められる。脚本家。照明家。カメラマン。監督(演出)。デザイナー(絵と吹き出しの構図やページのデザイン)。本当に大変な職能である。」p.74
・「芳賀綏氏は『日本人の表現心理 』(中公叢書)の中で、日本人のコミュニケーションの特徴を、次の八つにまとめている。「語らぬ」「わからせぬ」「いたわる」「ひかえる」「修める」「ささやかな」「流れる」「まかせる」――。日本も欧米も、ノンバーバル・コミュニケーションは大切なのだが、その発展形態が異なるのである。それは文化の特質による。」p.92
・「さて、日本のマンガは、基本的に墨一色である。白い紙に黒いインクの一色刷りである。これは珍しい現象である。」p.108
・「千葉(昌之)さんは、読み聞かせには、二種類の間があるといっている。 ひとつは、二秒程度の通常の「間」である。 もうひとつは、五秒以上沈黙が続く「長い間」である。千葉さんはこれを「びっくり間」と呼んでいる。」p.
・「つまるところ、「伝える技術」の最大の目的は、「好き・好かれる」の関係をつくることである。」p.137
・「さて、「何たる偶然」とはどんなゲームか。二人の役者に対座してもらい、片方が相手に質問し、お互いの共通点を十個探すのである。で、共通点が見つかると、二人同時に「何たる偶然!」と叫ぶ。十個見つける頃には、二人の心理的距離は相当縮まっている。」p.161
・「つまり、マナーというものはノンバーバル・コミュニケーションを意識化したうえで、非常に洗練した形で練り上げた結果の産物だということになる。」p.168
・「マナーはあくまでも "文化度" である。経済の豊かさの後にくる。逆に言えば、マナーがなっていない人(会社)にはどこか余裕がないということになる。」p.172
・「辛いことが多い人生を生きている人は、笑いを求める傾向がある、と私は考えている。」p.179
・「一方、「泣く」行為は本能的なものであるように思う。赤ん坊は、泣きながら生まれてくる。何故泣くのか、私に理由はわからない。「悲しみ」という感情とは無縁のことだろう。だが、精一杯、あるいは限界の状態を表わしているのだろう、とは思う。」p.179
かんせい【陥穽】 おとしあな。人をだましたり、失敗させたりするための計略。わな。はかりごと。
・「おっ!?」と目をひくタイトル。「人(の価値)は見た目が9割(で決まる)」、と何か挑発的な印象を受けますが、実際の内容は、言語以外の情報を扱う「ノンバーバル・コミュニケーション」の紹介です。人間の見せる無意識な行動についての、「へぇ~、なるほど~」と思うような小ネタが面白い。
・出版された当初ちょっと話題になった本ですが、それはやはりこの表題に依るところが大きいと思います。非言語情報の重要性を説く本が、言語情報のおかげで成功するとはなんとも皮肉。
・「最近では、活字の本よりマンガの方が圧倒的に売れている。その理由は様々だが、私見では「文字だけ」より「文字と絵の組み合わせ」の方が、受け手に理解されやすいからだ。」p.9
・「たとえばまばたき。アメリカ大統領選挙の公開討論では、「まばたきが多いほうが、討論後の勝敗後の印象を尋ねる世論調査では負ける」という法則がある。」p.11
・「本書では、こうした「言語以外の情報」すべてをひっくるめて、「見た目」と捉えてみた。」p.12
・「舞台であれ、映画であれ、マンガであれ、物語を作るうえで最も感動的なシーンには言葉で説明するのではなく、「絵で見せる」という鉄則がある。」p.15
・「私たちの周りにあふれていることば以外の膨大な情報――。それを研究しているのが、心理学の「ノンバーバル・コミュニケーション」と呼ばれる領域である。最近は、言葉よりも、言葉以外の要素の方がより多くの情報を伝達していることが分かってきた。」p.18
・「演劇やマンガを主戦場としている私は、人は能力や性格もひっくるめて「見た目が九割」といっても差し支えないのではないかと考えている。」p.19
・「たとえば、「本をたくさん読む人」が「たくさん勉強している人」という錯覚が生まれる。「本をたくさん読む人」が必ずしも「情報をたくさん摂取している人」ではないのである。」p.19
・「教育の陥穽という観点から、一つ補足する。私たちは、子供の頃小学校の先生に「人を外見で判断してはいけない」と教えられた。それは「人は外見で判断するもの」だから、そういう教育が必要だったのだ。 逆にいうなら、「人を外見で判断しても、基本的には問題ない。ごくまれに、例外があるのみである」といってもよい。」p.20
・「私は、ボイストレーニングの基礎ぐらいは、義務教育に入れてもいいのではないかと考えている。声で損をしている人は、学歴で損をしている人より、遥かに多いのではあるまいか。」p.34
・「男女間で重要なことは、並んで座る時、膝、つま先が相手の方を向いているかどうか、である。お互いに相手の方を向いていればよし。相手と別の方向を向いているようでは、「将来は危ない」と考えたほうがよい。」p.41
・「マンガは詰まるところ「見た目」勝負の文化である。現場にいると、それを痛感する。 ベストセラー小説が原作で、絵も上手なのに面白くないマンガというのがある。それはまさに、紙の上でのノンバーバル・コミュニケーションが有効にできていないからだ。」p.69
・「ノンバーバル・コミュニケーションを意識的に活用している最先端の領域がマンガである。」p.71
・「マンガ家は、映画でいうなら、次のスタッフの能力が求められる。脚本家。照明家。カメラマン。監督(演出)。デザイナー(絵と吹き出しの構図やページのデザイン)。本当に大変な職能である。」p.74
・「芳賀綏氏は『日本人の表現心理 』(中公叢書)の中で、日本人のコミュニケーションの特徴を、次の八つにまとめている。「語らぬ」「わからせぬ」「いたわる」「ひかえる」「修める」「ささやかな」「流れる」「まかせる」――。日本も欧米も、ノンバーバル・コミュニケーションは大切なのだが、その発展形態が異なるのである。それは文化の特質による。」p.92
・「さて、日本のマンガは、基本的に墨一色である。白い紙に黒いインクの一色刷りである。これは珍しい現象である。」p.108
・「千葉(昌之)さんは、読み聞かせには、二種類の間があるといっている。 ひとつは、二秒程度の通常の「間」である。 もうひとつは、五秒以上沈黙が続く「長い間」である。千葉さんはこれを「びっくり間」と呼んでいる。」p.
・「つまるところ、「伝える技術」の最大の目的は、「好き・好かれる」の関係をつくることである。」p.137
・「さて、「何たる偶然」とはどんなゲームか。二人の役者に対座してもらい、片方が相手に質問し、お互いの共通点を十個探すのである。で、共通点が見つかると、二人同時に「何たる偶然!」と叫ぶ。十個見つける頃には、二人の心理的距離は相当縮まっている。」p.161
・「つまり、マナーというものはノンバーバル・コミュニケーションを意識化したうえで、非常に洗練した形で練り上げた結果の産物だということになる。」p.168
・「マナーはあくまでも "文化度" である。経済の豊かさの後にくる。逆に言えば、マナーがなっていない人(会社)にはどこか余裕がないということになる。」p.172
・「辛いことが多い人生を生きている人は、笑いを求める傾向がある、と私は考えている。」p.179
・「一方、「泣く」行為は本能的なものであるように思う。赤ん坊は、泣きながら生まれてくる。何故泣くのか、私に理由はわからない。「悲しみ」という感情とは無縁のことだろう。だが、精一杯、あるいは限界の状態を表わしているのだろう、とは思う。」p.179
かんせい【陥穽】 おとしあな。人をだましたり、失敗させたりするための計略。わな。はかりごと。