ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

▲閉店【食】中野食堂 [いろいろ@苫小牧]

2010年08月25日 22時01分13秒 | 外食記録2010
▲閉店 [2018.1.31記]
中野食堂(なかのしょくどう)[いろいろ@苫小牧][食べログ]
2010.7.27(火)17:25入店(初)
注文 とんかつ定食 800円

  
・苫小牧中心部の国道36号線と支笏湖へ続く国道276号線との交差点そばで、車通りが多く賑やかな場所にありながらもひっそりと営業する飲食店。『WonderGOO(旧デンコードー)』よりも100mほど36号線寄りです。私的な好みとして非常にそそられる外観で、前々から気になっていた店でした。
  
・戸をガラリを開けて入ると、店主らしきおじいちゃんが新聞を片手におくつろぎ中。私の姿をみとめると、「いらっしゃいませ~」と、すぐにお仕事モードに。座席はレトロな雰囲気をかもし出すカウンター5席にイス席4卓。

・メニューは定食、丼物、麺類など意外と豊富です。いずれも千円以下と安めの価格設定。土地柄、魚を注文すべきかもしれませんが、ついトンカツを注文。
  
・目測100gのトンカツは、薄い肉ながら歯ごたえは十分。上にかかっているデミグラスソースは "完全手作り" という雰囲気のどぎつさの無い独特の味で、衣自体にもほんのり味がついています。おそらくは数十年変わっていないと思われる、昔ながらの味。
 
・野菜とマカロニのサラダ。
   
・ご飯、豆腐とワカメの味噌汁、ほうれん草のおひたし、キュウリと白菜の漬物。

 
[Canon PowerShot S90]
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【本】日本人のイメージ構造

2010年08月25日 19時00分24秒 | 読書記録
日本人のイメージ構造, 岡田晋, 中公新書 281, 1972年
・"イメージ" をテーマとした日本と、主に西洋との比較文化論的内容の書。写真を撮る際の何か参考になるかと手に取ってみたが、所々興味をひかれる記述はあるものの、そういう点で直接的に参考になる部分は無かった。
・「「人間とは、道具作りである以前に、先ずイメージをつくる者であり、言語製作者であった……」と、ルイス・マンフォードは書いている。」p.ii
・「そして私はさらに、インターナショナルなコミュニケーション媒体として世界をおおい、世界を均等化しているように見える映像文化が、実はおのおの固有な文化を育てた固有なイメージのなかで、独自な屈折と独自な展開を示し、日本においても特有なあり方をつくり出しているのではないか、という新しい問題意識に発展しつつある。たぶんそれは、今後さらに網の目をちぢめ、宇宙をも包容するであろう映像ネットワークの、対人間的、対文化的意味を示唆する問題であろう。」p.iii
・「日本の文化遺産には、奇妙なほどヨコ型のものが多い。絵巻物などはその最たる例であろう。(中略)ヨーロッパ的思考では、基本的にタテ・ヨコで対立する時間・空間概念が、ここでは一つにダブり、<面>としてひろがっていくのである。だから、ヨーロッパ絵画のフレイム、遠近法も、絵巻物にはない。」p.6
・「ヨーロッパの文化をあらわす代表的なイメージは、<塔>のイメージだといってもいいほどである。」p.7
・「だが、<イメージ>とは、ずいぶんあいまいな言葉である。<イメージ>は具体的なものとして、写真や映画やテレビや、人間の視覚に訴える伝達媒体をさす――と同時に、人間の意識がつくり出す想像、心象、幻想を包括する広い概念である。」p.11
・「要するに<イメージ>は、客観的なものであれ、世界と人間、環境と意識を結ぶ関係の仕方なのである。」p.12
・「私はイメージを、意識の生きて活動するかたちだと考える。逆にいえば、人間はイメージを持つがゆえに、意識から文化をつくりうるのである。」p.14
・「日本映画はテンポがおそいとよくいわれる。たしかにおそい、と私も思う。だが、そのおそさは、たんに演出やカメラ・ワーク、つくり方の技術的問題ではない。テンポは映画をつくり出した日本人の、意識の底によこたわる心の風土からくる。いわば、日本人の体質のなかにあるいのちのテンポが、そのまま媒体としてのイメージを決定しているのだろう。おそい、はやいではなく、日本映画のテンポそのものが、外国人にはわからないのである。」p.18
・「理屈ではなく、私達の歴史は、<面>の上につくられた歴史なのだ。  この<面>が、日本人のイメージ構造に、一つの性格を与えたとしても不思議はない。」p.25
・「「フロシキ」ほど、<面>の論理、<面>のイメージを機能化した道具は、世界的にめずらしい。ひろげれば一枚の布(面)である。しかし、それは自由におりたたむことができる。結ぶことによって、さまざまな品物を入れることができる。(中略)「トランク」と「フロシキ」は、ヨーロッパ的意識と日本的意識のイメージにおける違いを示す、もっとも典型的な例である。」p.30
・「黒沢明が『生きる』において描いた日本人の意識、無関心にはじまって「すまない」に終わる渡辺の生涯は、日本的ドラマの一つの典型ではあるまいか。それはたんに、ドラマの問題ではない。私たちの日常行動が、すべて無関心と「すまない」のくりかえしではないか。無関心と「すまない」の行動規範は、日本人の<生と死>、<神>のあり方から生まれる根源的な意識であり、これが日本的イメージの、<面>的構造を支配しているように思われる。」p.78
・「コミュニケーションは人間と人間の関係であり、人間関係は意識の質を決定する。また、コミュニケーションはイメージの交換であり、イメージの構造はコミュニケーションのかたちからつくられる場合が多い。」p.80
・「私たちは天の岩屋戸のシーンに、広く未開社会に行きわたる集団舞踏の形態と、日本の<まつり>が今日まで伝えるすべての要素を、同時にみることができるのである。」p.84
・「ヨーロッパ人は、道を広場に行くための過程と考える。広場が目的地であって、道は目的地に達する手段にすぎない。ところが、日本の<みち>は<みち>として独立している。<みち>を歩くことそれ自体が、一つの目的となる。だから日本の<みち>は、<ひろば>をつなぐ機能的な線ではなく、人間が歩くという行為の延長上に、いわば身体的機能の拡張したものとして発達した。」p.95
・「ヨーロッパにおける<ひろば>の思想と<であい>のコミュニケーション、日本における<みち>の思想と<ふれあい>のコミュニケーション、そこにある人間関係の異質性――私は両者のあいだに、ごく素朴な<ひろば>と<みち>のイメージをみるのである。あの、凱旋門広場と、東海道松並木の違いである。」p.106
・「ヨーロッパの絵画は叫びである。日本の絵画は、むしろ沈黙を選ぶ。」p.117
・「妖怪は、恐怖心の対象化したものとして、人間が未知なるものに与えた人間自身のイメージであり、意識の投影にほかならない。いいかえれば、未知の<鏡>にうつった自分自身のこころなのだ。」p.146
・「映像媒体には、このような点で、今日に生きる私たちの意識から、妖怪を再生させる機能が秘められている。映像を見る楽しさは、妖怪に再会する楽しさかもしれない。そして写真、映画、テレビなどのコミュニケーション媒体が、一面世界の真実を伝えると同時に、ゆがんだメッセージを大衆に与え、大衆をヒステリー状態におとし込もうとする要素もつねにもっていることを、忘れてはならない。」p.163
・「約二千年を通じてでき上がった日本文化は、このような外来技術の、複雑なからみあいの上につくられてものである。(中略)だが、私たちがとり入れ、使っているのは、あくまで技術なのである。文化のかたちとしては中国風、ヨーロッパ風、アメリカ風かもしれないが、かたちの内容――すなわち私たち自身は、どんな時代においても、あくまで日本人であった。  これは思想的状況においても同じである。」p.167
・「文化的には雑種だが、民族的には単一な日本人、民族的には雑種だが、文化的には単一なヨーロッパ人――これは非常にきわだったコントラストである。文化と民族の単一性をを強く主張しあい、そのための紛争が歴史的にたえまなくくりかえされてきた中央ユーラシア大陸の文化圏、文化と民族の完全な雑種性の上に成り立つアメリカ文化圏とも、日本人はいささか違うのである。  この二重性――文化と民族の矛盾した二重構造をとおしてみないと、私たちは私たち自身を理解することができない。」p.168
・「要するに日本人には、主体性がないのではなく、技術なり思想なりを、主体から切り離して見る強固な意識が身についているのである。すべてが手段である。手段は状況に応じて、つぎつぎととり変えればよい。日本人の主体性には、一種の身のこなしのようなものがある。(中略)少々飛躍した言い方をすれば、日本人は生まれながらのファッション人間である。(中略)日本人は意外にしぶとい日本的主体性をもっていて、どんな技術・文明・思想をもち込まれても驚かない。新しいものにいのちを賭けようとする真剣さもなければ、古いものをいのちがけで守ろうとする情熱もない。新しいもの、古いものは自分のいのちではなく、自分はすでに日本人として明白に生きている、あらためていのちを問いなおす必要はない。これが日本人の心の底に定着している行き方であろう。」p.172
・「すなわち、日本人の原点は、技術でも思想でも文化でもなく、ごく単純な事実、自分はなによりも日本人であり、日本人以外の何ものでもない、という点であろう。どんなに足をふみはずしても、右から左へ、左から右へ急転回しても、日本人であることへの、ある種の安定感がある。」p.172
・「日本人の原点は日本人であることだ――たぶん、このような結論は、結論にならないであろう。しかし、それを承知でもう少しつけ加えるなら、日本人の原点は、日本人の体質のなかに、体質を形成している意識のなかに、意識を具体的に示すイメージの展開にみられるのではあるまいか。私はこの角度から、もっとも一般的な日本の歴史と文化をながめ、私たちの周囲に受けつがれているもの、生きているものをとおして、原点としてのイメージ、さまざまな矛盾を内包する日本人、日本人であることの意味を考えてきた。」p.173
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【写】パレットタウン大観覧車(東京・青海)後編

2010年08月25日 08時05分09秒 | 撮影記録2010
パレットタウン大観覧車(東京・青海)後編 撮影日 2010.1.18(月) [HomePage][Yahoo!地図]
・日本最大級の観覧車搭乗記、後編。
 
・徐々に高度を上げつつあるゴンドラ内より。
 
・眼下には観覧車に隣接する商業施設や臨海のビル群などが見えます。
 
・それにしても上の方まで来ると予想を越える高さです。男性特有のある特定の臓器がキュッ!と縮み上がる思い。
 
・都心方向の眺め。上に来るとだんだん視界が開けてきます。

・そろそろ頂上部で、あまりの高さに少々落ち着きを無くす。全面透明の『シースルーゴンドラ』なるものもありましたが、普通のにしておいて正解でした。
 
・115mの頂上部からの眺め。
 
・ゴンドラを支える支柱が直立し、頂上部まで来たことを示す。
 
・東側に見える特徴的な建物。これはホテルのようです。
 
・北側の工事現場と広大な駐車場。いずれこちらもビルで埋め尽くされるのでしょうか。

・ビルの向こうに見えるレインボーブリッジ。
 
・高度が落ちてくるとホッとします。

・観覧車から無事生還し、大地を踏みしめる。西の空には夕日が。

・巨大商業施設『VenusFort』前から見た観覧車。お台場の商業施設にいくつか入ってみましたが、こちらの『VenusFort』はダントツの客の入りでした。人気のお店のようです。

・ゆりかもめに乗ってお台場を後に。写真はその車窓から見た夕日。

[Ricoh GX200]
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