ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

▲閉店【食】ミニレストラン キッチン [洋食@苫小牧]

2011年01月27日 22時00分05秒 | 外食記録2010
▲閉店 いつの間にか閉店 [2018.1.31記]
ミニレストラン キッチン(Mini Restaurant Kitchen)[洋食@苫小牧][Yahoo!グルメ]
2010.12.16(木)14:20入店(初)
注文 チキンカレー 750円

 
・苫小牧西部ののぞみ町を通る双葉三条通(バイパス通)沿いにある小さな洋食店。苫小牧南高校より100mほど西側です。
   
・それほど新しい建物ではありませんが、こぎれいにしてある店内はイス席5卓にカウンター5席。BGMはクラシックの小品集。店に入ってみると、店主のおじさんが一人、暇そうに新聞を読んでいました。

・メニューはカレー、スパゲティー、ピラフ、定食などいずれも千円以下の価格帯。チキンカレーを注文してみると、「"チキンカレー" ですね」とわざわざ念をおされたのですが、メニューを見ると「キッチンカレー」と「チキンカレー」と、うっかりすると取り違えそうな品が並んでいました。
  
・いかにも "洋食屋" というイメージの、もっちりしたルーのカレー。甘味も感じられますがやや辛口で、上品な雰囲気の味です。具材は溶け込んでいて確認できず。ご飯はやや粘り気のあるご飯でした。
 
・チキンカツはカラリと上手に揚げてありますが、肉質はやや固め。見た目よりもボリュームがあり、お腹いっぱいになりました。
 
・付属のサラダ。

・付け合せの盛り合わせ。福神漬け、らっきょう、紅ショウガ。


[Canon PowerShot S90]
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【本】メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか

2011年01月27日 19時10分08秒 | 読書記録
メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか, 明川哲也, 文春文庫 あ-48-1, 2008年
・自殺志願者である、しがない調理師と言葉をしゃべる不思議なネズミたちとの大冒険。読み始めはその世界観を把握できず大いに惑いますが、直に慣れました。謎めいた暗号のようなタイトルも物語を読み進むと、これ以外のタイトルは無いように思えてきます。前半は話の目新しさも手伝ってなかなか盛り上がりますが、後半は話が加速してやや尻つぼみの感あり。
・"明川哲也" と聞いてピンとこなくとも "ドリアン助川" と聞けば、「どこかで聞いたような……」という人も多いのではないでしょうか(私もその一人)。物語中、著者の持つ人生訓めいた言葉が随所にちりばめられており、興味深い言葉も多々含まれています。そんなメッセージ色濃厚な作品。
・「おそらく私は岩場に打ちつけられたクラゲのような、ひどく始末に負えない破砕物である。」p.8
・「マルセロ知ってる。タカハシさんは憂鬱の砂嵐と戦うために、メキシコに行くしかない。メキシコで四つの宝を手に入れて、砂嵐の呪いを燃やす。マルセロ知ってる。その四つの宝でタカハシさんの娘や多くの人が助かる」p.89
・「「まずは言葉遣いに気をつけることじゃ。幾つになろうが、どういう地位につこうが、言葉遣いを形だけで終わらせず、魂を入れよ。言葉はすべてのはじまりじゃ。形だけの言葉は砂ひと粒の重みもないが、そこに魂が入れば言葉は畑になり、多くの穀物を育てる。ワシはそう思う。言葉とはそういうものじゃ。言葉はあてにならん。しかし言葉ほど大事なものはないぞ、もしかして」」p.99
・「お前さんは一度死んだも同然なのじゃから、いちいちの感情でものを言うのではない。感情でものを言って何かが解決したという試みは、元祖哺乳類二億一千万年の歴史を振り返ってみても一度もないわ。」p.105
・「しかも日本の自殺者は毎年三万人を超え続けていますから、この十年で三十万人が消えてしまったと考えていいでしょう。これは旧共産圏と並んで、いきなりのトップクラスです。特に女性と若者の自殺率に関しては世界でも一位か二位というところでしょう。」p.138
・「こうやってWHOの資料を見ると、旧ソビエト連邦やチェコなど、短調で重い交響楽を好んで聴く国の自殺率は高い。」p.141
・「1980年、メキシコの自殺率は十万人あたり1.7となっています。これは文句なく世界最低、いや、世界で最高にハッピーということになります。(中略)しかし、まあ、メキシコが世界最高のハッピーであることには変りないわ。最も鬱から遠い国なんじゃからのう。だいたいメキシコ人にハゲはおらんしのう。おらんというわけではないが、他国に比べ、極めてハゲが少ない。こんな国は他にはないぞ、もしかして。」p.143
・「日本の酒はよいな、もしかして。あっはー、ワシはマグロのヅケで飲むのが好きじゃ。ビタミンEと鉄分が多いからのう。脳みそを活性化させるドコサヘキサエン酸も魚にはたっぷり含まれておる。そういう意味では、刺身や寿司は日本人の偉大な発明じゃよ。」p.161
・「しかしメキシコ人は、いや、もっと正確に言うならば先住民インディヘナとスペイン人のメスティソ(混血民族)は本当にハゲが少ないのだ。世界一低い自殺率と何らかの関係があるのだろうか。つまりメキシコ人はハゲないし、自らは死なないのである。これはいったいどういうことなのだろう。国民の所得はおしなべて低く、アメリカからはあれだけひどい待遇を受けながら、それでもいつも笑っている。ストレスを吹き飛ばしている。ハゲも吹き飛ばしている。その秘密は何なのか。だからこそ私たちはメキシコに伝わる四つの宝を探しにきたわけだが……」p.185
・「チーズとチョコレートを薄くスライスし、それぞれをチキンではさみこむ。そう。私が作ろうとしているものは日本人にはお馴染みのチーズチキンカツと、おそらくはまったく馴染みがないであろうチョコカツなのだ。チョコとカツである。甘いチョコと香ばしいカツ。言葉の響きだけでは、これほど相性の悪い取り合わせはないような気もする。しかし食べてびっくり、好きな人はやめられなくなるほどツボに入ってくる味わいなのだ。明るい陽気な舌先になる。私が知っている限りこのチョコカツを売り物にしているのは高田馬場のとんかつ屋だけである。」p.188
・「……料理は足していくんじゃねえ。足してきゃ、味が緩む。引き算なんだよ。まず最初に最高の味と見栄えを頭に叩き入れる。それが見えてなきゃいけねえ。そこから先は引き算さ。見えてるものを再現するために何をすべきか、何をしたらいけないのかを考えていく。料理ってのはなあ、音楽や絵や映画と一緒さ。やる前にすでに見えてないと大したものはできねえ。見えてないやつには無理なんだ……」p.196
・「収拾のつかない明暗。芸術家の基本はそれらとの対峙にある。私個人のレベルで言えば、画家や音楽家に対するまっとうな尊敬はそこから生まれている。自分の耳を削ぎ落としたゴッホの例を出すまでもなく、そこに足を浸していない芸術家など芸術家たり得ないという感覚が私にはある。表現者が心の闇に蓋をして何を生み出せるというのだろう。闇を覗くひどく不安定な自分さえも作品に変えられるからこそ彼らは芸術家なのであり、それを絶対に気付かせない努力をしているからこそ、私たち調理師は職人と呼ばれるのだ。」p.222
・「なに、苦悩がそれぞれの主観に由来するのであれば、吉や不吉、恐い恐くないも主観の問題じゃろう。すべては自分の周囲をどう捉えるか、或いは自分自身をどう捉えるかという認知の問題じゃて、もしかして。おっと、これは精神医学用語じゃがのう。一にも認知、二にも認知、三、四がなくて、五に認知じゃ。」p.235
・「「幼きフォレノは生きるために笑うことを覚えた。親や大人の顔色を窺い、誰にでも人当たりよく、親切にしていればたいていのできごとはやり過ごせるということも学びよった。皮膚一枚下にはハリケーンを抱え込んだままじゃったからのう、外側だけでも穏やかに保たんとフォレノは生きていくことができんかったのじゃろう。しかし、バランスは崩れる。内心の荒廃はどんどん進んでいきおった。なぜなら人間はみな、自分という存在に対する解釈を他者への定規としても持ち出そうとするからじゃよ」p.238
・「「いや、なに。思考を持つというのも一種の病かもしれんと思うてのう。もしもこのフォレノが丘に咲くコスモスであったら、その方がよほど幸せだったかもしれんな」」p.240
・「「さよう。脳はブドウ糖で動くコンピュータみたいなもんじゃからのう。ブドウ糖が不足しておると、いつも眠っておるような状態になる。現実と夢の区別もつかんようになるんじゃ。それを阻止するのがアドレナリンなんじゃよ」」p.274
・「ネズミたちに導かれ、助けてもらいながら、私はこれまでの人生の中で考えたこともなかった方向に進み出そうとしているのかもしれない。厨房の料理人ではない。もっとでっかく、ずっと大きく、地球の料理人になろうとしているのだ。市場から仕入れてくるものだけを対象とする料理人ではない。目指すべきは有史以前の時の流れまでを調理する時空の料理人なのである。」p.292
・「動脈硬化や癌や、あるいは生きとし生けるものならばすべて避けることのできない老いでさえ、実は酸素のせいなのかもしれません。酸素があるから呼吸できる。しかし酸素があるから私たちには死があるわけです。」p.346
・「色というものは単に美しいからそこにあるんじゃない。色の正体は……実は血や肉が酸化していくことを防ぐ物質なんだよ。活性酸素を叩きのめすのは色なんだ。色のあるものを食べないと、釘が錆びていくように人間の身体もぼろぼろになってしまう。身体がぼろぼろに朽ちていけば、心のバランスを保つことも難しくなる。錆びた釘で打った本箱がいつか壊れてしまうように、酸化していく中で人は時に鬱を抱えることもある。持って生まれた才覚、鍛え上げた感覚ですら鈍らせてしまうことになる。」p.347
・「トマトの赤の正体。それはリコピンという物質です。この物質は皆さんの身体の酸化を防ぐ強力なもので、マイナス因子を身体から排除する働きがあります。その結果、精神安定にも非常に役立つ。」p.348
・「「お前さんたちが神とともにあったからじゃよ。神の前では誰もが敬虔になる。つまりお前さんたちは、神の力を借りて殺戮さえ行ったということじゃよ。信ずるがあまりのう」  「ボラボラ、お言葉ですが……殺戮を認めている宗教など滅多にありませんよ」  「むろん、殺しを認める宗教は少ないじゃろう。しかしのう、その宗教を守るためという大義名分が付いた時はどうなのじゃ。十字軍の歴史を紐解くまでもあるまいて。米国の大統領は戦争が起きる度に教会で祈りを捧げるわい。スペイン人がアステカの人々を根絶やしにしよった時、その最たる理由は彼らが反カソリックであるということじゃった。神を己のための守護神だと勘違いしている間、エテ公は殺戮を続けるじゃろう。即ち、お前さんたち人間は、まだまだ神に対する理解が足りんということじゃ。聖書を読む知恵を授かったお前さんたちが、聖書をばりばりと噛み砕いてしまう山羊よりも殺戮好きだとは、ホホホッ、皮肉な話じゃのう」」p.375
・「私はまず、通常の赤いサルサロハを作るために楕円形の調理用トマトと玉ねぎの皮を剥き、それを細かく切り刻んで刃先で叩いた。ついでコリアンダーも細かく細かく。とにかくサルサを作るときは細かくが基本なのだ。そこにガーリックを少々。これも細かく。そしてもちろん細かく切り刻んだトウガラシ。サルサロハならセラーノ、緑のサルサベルデならハラペーニョがいいだろう。これらすべてをボウルの中に入れ、やはりメキシコ料理には付き物のライムを絞ってその汁をたっぷりと振りかける。ここからが私流、いや、サルサの作り方を教えてくれたカルロス流である。汁を搾り取った後のライムの実は捨てず、緑色の外皮を刃先で糸のように削ったものを混ぜていくのである。日本料理で言えば、里芋と飯鮹の炊き合わせに山椒の葉や柚子の皮を乗せる粋に等しい。たったこれだけのことで庶民中の庶民料理とも言えるサルサが、一段優雅になって輝きだすのである。さらにここからがカルロスの真骨頂。少量ではあるが、砂糖を入れるのだ。サルサは作った直後よりも冷蔵庫で二~三時間冷してからが食べごろ。具のそれぞれが互いに影響を及ぼし合い、そして落ち着くためには少々の時間が必要だからである。」p.386
・「「さよう。生きるということは別離の連続じゃて。それがわかっておるなら、せめて言葉を交わせる時には言葉を、それが無理でも微笑みぐらいは交わすべきじゃのう。ワシらはいずれ、あっという間に消えてしまうのじゃから」」p.423
・「たとえば日本では、鴨川と桂川に挟まれた京都です。あれら二つの川は地表の、つまり目に見えている川ですが、実は京都の街の下は巨大な貯水湖になっています。だから京都ではふんだんに水を使える酒の文化が発達し、陽照りの時でも多くの人間を生かすことができたのです。」p.464
・「私がもしもモミの木だとしたら。  私は何を望むだろう。  数百年もの間、同じ斜面に立ち続け、同じ景色を見て、良い天候の日ばかりではなく、雨風の荒れ狂う日や陽照り、あるいは地下水まで枯渇してしまうような地獄を味わいながらも、そこに居続けなければいけないのだとしたら。  私はある日、ふと動きたくなるのではないだろうか。」p.470
・「「料理人は複数の店を持つものではありません。どんなにレシピを徹底させていても、調味料のグラム数まで決めこんでいても、他人任せになってしまうと味は揺らいでいくものです。多くの天才がそれで道を誤りました」」p.509
・「「たしかに科学では涙は液体じゃろう。じゃが、ワシは聞きたい。泣いても泣いても涙が途切れん夜があるわい。ありゃ、どこから出てきよったんじゃい? どこじゃ?」」p.527
・「スペインによってメキシコから略奪されよったトウガラシはのう、アフリカに運ばれ、インドに運ばれ、そこで大衆に愛されよったんじゃよ。インドがトウガラシの発祥地だと思っておる連中はカレー粉を基本に考えるからじゃ。しかしあくまでもペッパーと名の付くものは南米はボリビアから北のアンデス山中、そしてこのメキシコまでが生誕の地なんじゃて。」p.529
・「つまり循環こそが命の本質なんじゃ。原子核のまわりを陽子がぐるぐると循環して物の最小単位である原子ができるように、遠いカナダからやってきおったモナーク蝶がアンガンゲオのモミの木を巡って循環し、そこに巨大な群れというひとつの命を誕生させよったように、そして死後のワシらが粉々の原子に戻り、そこでまた新たな命の素となる循環を見せるように。ところが心はどうじゃい。心とて生命の本質。本来は甘い辛い、辛い甘いの循環をせなんだら腐ってしまうはずじゃのに、近代は恐怖や悲しみから逃れるために却って心を硬直化させてしまう者が跡を絶たん。心の循環が滞っておるのじゃよ。」p.530
・「寂しいという字が書けない頃から、孤独は周囲から離れてしまった個に対して与えられるのではなく、実は生きているものすべてにまとわり付くある種の絶望なのだと知っていた。まわりに誰もいないこともその言葉で表すのであろうが、その本質は生まれた時からすでに背負っている普遍なのだと看破していた。」p.546
・「どうしたって、何があったって、死ぬことなどなかったのです。死の恐怖に取り憑かれることだって、それは確かな生の姿なんですよ。私は自ら首を吊って初めてそのことを知りました。取り返しのつかないことなど世の中には滅多にありません。石つぶてを浴びても後ろ指を差されても、またゼロからやり直せばいいことだったんですよ。」p.552
・「「判断できん時は抵抗してはいかん。呼吸だけできておればええのじゃ。流されても気にせんでええ」  「ボラボラ、どうしてそれを」  「マルセロ知ってる。それは極意。この世に在るための」」p.561
・「「つまりはっきりと言ってしまえば、動物性蛋白質に頼り過ぎる食生活を送っている国は自殺率が高い傾向にあり、鬱病に悩む人が多い。豆類の植物性蛋白に頼る国は貧しい国が多いけれど、このメキシコのように自殺率は低い、ということですね」」p.573
・「「ちょっと待って下さいよ。大豆を食べてハゲたなんて話、これまで耳にしたことがありません」(中略)「ハゲの理由は特定できんじゃろう。おそらくはあらゆる原因が複雑に絡み合ってその現象を作り出しておるのじゃからのう。しかしこのことだけははっきりと言えるわい。インゲン豆を主食とする人々はハゲんのう。」p.577
・「第一の宝のトマトは、エテ公の生活に必要な色との関係を象徴する果実じゃったろう。第二の宝トウガラシは循環の象徴じゃった。そしてのう、第三の宝インゲン豆は、静観、じゃよ。」p.579
●以下『追記』より
・「自殺という終り方が本当に否定されるべきことなのかどうか、ボクはこの物語を書いた後もまだそれを断定できないでいる。」p.619
・「即ち逆の言い方をするなら、ボクは常に自殺の可能性を考えた人間であった。このことを漏らすとみんな意外そうな顔をするが、どんなに明るく振る舞っていても、衝動的に死を考えない日は物心ついてから一日もなかった。ボクは時に、生きるのがとてもしんどくなる。」p.619
・「プロというのは飽きる事がない人間のことだよ。と、ある高名な作曲家に言われたことがある。」p.620
・「食材一本やりで、何とかメキシコの秘密を解くことができないだろうか。」p.623
・「ボクは特別な者にならなくてもいい。高尚な存在や拍手喝采の対象にならなくてもいい。生きることがしんどい性分なら、最後の最後まで生きることだけをやり続けよう。それだけやり遂げられれば、この人生を良しとしよう。それ以上は望むまい。そして本当に最後を迎えた時、自らの物語を振り返ることができれば、ボクはこの世に生まれ出た意味があったのだ。」p.626
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【社】日先神社(東京・猿江)

2011年01月27日 08時00分56秒 | 参拝記録
日先神社(東京・猿江) 参拝日 2010.5.1(土) [Yahoo!地図]

・前出『猿江神社』のそば、1ブロック北側の交差点の一角にも小さな神社があります。
  
・境内正面より。鳥居の社名額や社の様子。家一軒分も無いような広さの境内です。

・境内にたっていた木札。『日先神社』、『摩利支天尊』、『永喜稲荷大明神』の記述がありますが、相互にどういう関係があるのか、詳細不明。
   
・金網でがっちりガードされたキツネ像。おそらくは明治以前作の貴重なものなのでしょう。
  
・手水舎、『社殿改修工事』の碑、石灯籠。
 
・社の戸は閉ざされ、中の様子を覗うことはできません。屋根の装飾には炎をモチーフにしたマークが。
 
・柱の一部は凝った装飾になっています。
 
・境内の外から見た社の様子。

[Canon EOS 50D + EF-S17-55IS]
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