ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【食】食堂 こんの [いろいろ@札幌]

2011年09月16日 22時03分09秒 | 外食記録2011
食堂 こんの [いろいろ@札幌][食べログ]
2011.7.2(土)11:30入店(初)
注文 正油ラーメン 700円

 
・定山渓中心部の商店街の一角でひっそりと営業する店。定山渓の中心を流れる豊平川にかかる月見橋より約100m離れた場所です。
  
・昔ながらの雰囲気で雑然とした店内はカウンター6席、イス席1卓、こあがり1卓。ひとのよさそうなおやじさんと、陽気でおしゃべりなおばちゃんのご夫婦で店を賄っています。聞いたところによると、こちらでの営業は40年になるのだとか。

・メニューはラーメン(700円)、そば・うどん、各種定食など。今回は『正油ラーメン(700円)』を注文。
  
・ラーメンは小ぶりな丼で登場。具はチャーシュー1枚、ほうれん草、長ネギ、ワカメ、メンマ、ノリ、ふ、なると、ゆで卵1切れなど。スープを一口飲んでみると、はじめはスーパーのフードコートなどでお目にかかるような安っぽい味に感じられましたが、食べ進むうちに次第に美味しく感じられ、気がつくとスープを全て飲み干してしまいました。昔ながらの雰囲気で、シンプルながら飽きの来ない「もしかして知られざる名店なのかも」と思わせる味です。
 
・西山製のつるつるな縮れ麺は固めの煮具合。チャーシューは歯応えとともに風味もしっかりと感じられ、なかなか美味。
・これで600~650円程度であれば文句無しなのですが、温泉街という場所柄仕方のない値段でしょうか。

 
[Canon PowerShot S90]
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【本】私の好きな世界の街

2011年09月16日 19時04分54秒 | 読書記録
私の好きな世界の街, 兼高かおる, 新潮文庫 か-30-2, 2000年
・私が物心ついた頃には既に、日曜の朝といえば『兼高かおる世界の旅』がいつも家のテレビで流れていました。父親のお気に入りの番組だったようで、一緒になっていつも見ていたものの、その内容についてはさっぱり覚えていませんが、同著者の独特の語り口だけは耳にこびりついています。子供の頃は海外旅行にさほど興味はありませんでしたが、ここ数年でちょこちょこと外を出歩くようになったのでふと興味を持ち、手に取ってみました。本書で紹介されているのは、著者オススメの世界各国の20都市。しかし、著者の旅行歴を考えると、20という数では世界を網羅するにはとても足りないようです。自身、パリ以外は全て行ったことの無い場所についての記述なので興味津々の内容。特に興味をひかれたのはロンドン(イギリス)、サマルカンド(ウズベキスタン)、デリー(インド)。この先どれだけ世界を巡ることができるか分かりませんが、本書より様々な国の様子を想像するだけでワクワクしてきます。
・「余談ですが、いえ、重要なインフォメイションですが、サンフランシスコで中華料理を食べるなら、中華風エキゾティック・ムードに飾りたてていないダウンタウンの新しいビルにできたレストランが、断然美味しくて安いのです。」p.10
・「「最も」という言葉を滅多に言わない私ですが、ヴェネツィアは「世界で最も」という形容詞が堂々とつけられる、最もユニークな都市です。華麗な歴史を持つ美しい都市づくりのみならず、美術の宝庫であり、都市そのものが美術館なのです。」p.22
・「マルコ・ポーロはイタリアにスパゲッティをもたらしたといいますが、北イタリアのここでは海産物と米料理が美味しいのです。ただし観光客相手の店が多いから、どこで食べても満足というわけにはいきません。私なら、混んだレストランで、客がイタリア語で話し、常連のようだったら試してみます。」p.28
・「西オーストラリアの州都パースについて、私は重大な責任を感じています。1969年に初めて訪れて取材し、放映した番組の中で「パースはリタイア後に住むお薦めの地」として紹介したのです。」p.36
・「かつてオーストラリアは州ごとに鉄道の軌道幅が異なっていて、すんなりと横断できませんでしたが、イ・パ号は専用のレールを走るから速く(?)横断できるようになったのです。」p.38
・「フランスでは四代遡って外国人の血が入っていない人は、六人に一人の割合だそうですが、元々紀元前からギリシャ、ローマ、そしてゲルマン、ノルマンと多くの異人種が入って来ているのですから、人種についてさほど関心がないのが当たり前かもしれません。大体、「どこの国籍?」「お父さんは何ジン?」なんて興味を示すのは日本人が多いのです。インド人もすぐききたがりますが。」p.51
・「大スターの演ずる激しい恋物語は、世界に強烈な印象を残したのですから。ハリウッド映画とは、実にすごい力をもった情報産業です。かく申す私も、モロッコの名を覚えたのは映画『モロッコ』のように思います。」p.67
・「かけひきでは、買いたくてもその素振りは微塵だに見せてはなりません。商人に見抜かれたら、こちらの負けです。真剣勝負なのです。私は買いたいものは不思議に見破られるので、彼らの眼力は偉大なものと思っていましたら、後日、買い物をしている私を映したフィルムを見て愕然としてしまいました。子供が見ても明白なほど全身硬直し、欲しくてたまらない真剣な顔つきでパン入れの前に立っていたのです。」p.72
・「ブラジルのインフレは、いつ行っても並大抵ではありませんでした。1961年に、ホテルの玄関前に立っていた闇ドル氏の言い値は、私がホテルのランチに戻ってきた食前より、食後に出てきたときには30パーセントもドル高だったのです。」p.83
・「歴史ある都には、「花のパリ」「ドナウの女王ブダペスト」などとそれぞれ冠がつきますが、ロンドンには「偉大な王」という冠を捧げたいと思います。この30数年ほど、ほとんど毎年ロンドンに行きましたが、いつ行っても抱擁される思いのする、私にとって父のような都なのです。」p.91
・「ほっとした気分で機内に入り、まずシャンパン、そしてディナーとリラックス。この気分が何とも言えないのです。31年間のテレビ海外取材をしていた頃も、日本を出る機内のこの一時が天国でした。」p.117
・「当時のアジアは、マニラにはスペインの情熱、サイゴンにはパリの優雅さ、マカオには静かなポルトガルがあったのです。どの土地も、本国にはないアジアとのミックスの雰囲気があって、エキゾティックそのものでした。」p.154
・「アメリカ料理はまずい、というのが定説であった1960年代、ニューヨークの高級レストラン「'21クラブ」に、川端康成氏、伊藤整氏と食べに行ったことがあります。お二人ともきれいに召し上がり、 「美味しいですね」  とおっしゃり、」p.172
・「だから、もう母をだまさないことにして、"ミュンヘンではビールを" と、堂々と飲ませてみたのです。そのお陰で、一生に一度だけの歌を聴かせてもらったのが、ミュンヘンの空港の思い出となりました。」p.182
・「国が負けても、王朝が滅びても、後世の人を感銘させる技と美を残すほうが、文化度が高い人間、と私は思うのです。今のように、新兵器を造っては破壊ということを繰り返しているほうがずっと異常で狂気ではないでしょうか。」p.184
・「ドイツ人はよく学び、よく遊ぶという、理想的な人間らしい人たちです。」p.189
・「建造物においては「西のローマ、東のサマルカンド」、または「サマルカンドは東方のローマ」と言われるほど、素晴らしい技術と美を残しました。サマルカンドは中央アジアの宝石とも言われたのです。」p.195
・「街の景観はその地の支配者の文化度を示すといえます。」p.196
・「私は旧ソ連に敬意を表したいことが二つだけあります。一つは音楽家やバレリーナを育てたことであり、もう一つは歴史的建造物の手間ひまかかる修理を行ったことです。」p.198
・「オランダの正式国名はネーデルランド(低地)王国です。」p.213
・「サイババとは救世者というような意味で、ヒンドゥ教の大神のひとつ、ヴィシュヌ神の生まれかわりと思われている人のことだそうです。(中略)私はまさか、と思ってことあるごとに今のサイババの写真を見せてきいて歩いたのですが、知らない人が多いのにびっくりしてしまいました。言いかえればインドは広いのです。多人種で言語的多様国家で情報がいきわたらない実情がこんなところでもみられました。」p.260
・「面積は日本の九倍、人口は九億人、人種は公的には約七人種といい、言語は約800種類。嘘八百ではありません、日本外務省の資料引用です。」p.261
・「女の美といえば最近、日本女性の間で話題になっているアーユルヴェーダなるものを試してみました。」p.267
・「私からの強いお願いは諸国の教会、モスク、寺、神社等々を訪れたら、現地の人より謙虚な態度で接してください。現地の人にも好感を与えるかもしれませんが、自分自身も気持ちがすがすがしくなるものです。」p.276
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【鉄】JR有珠駅(伊達)

2011年09月16日 08時00分51秒 | 鉄道記録
JR有珠駅(伊達) 撮影日 2010.10.2(土) [Yahoo!ロコ]

・こちらは伊達市の西部に位置するJR有珠駅です。子供の頃、札幌から虻田(洞爺湖町)の祖母宅へ列車で向かう度に、「洞爺駅まであと一駅!」と、目的地のひとつ手前ということで非常に強く印象に残っている思い出の駅ですが、実際に訪れるのはおそらく初めてのことです。
 
・駅に着いてみると、列車の到着を知らせるアナウンスが流れたため、急いでホームに出てみる。
 
・ほどなくして室蘭方面より一両編成の普通列車がやってきました。
 
・ホームへ入ってきた列車は目の前を通過。
 
・ホームに停車。
 
・列車はパラパラと数名の乗客を吐き出した後、黒い煙をあげながら出発。
  
・列車が去って駅は静けさを取り戻す。
 
・向こう岸のホームへ行くには直接線路を渡ります。以前は二本のレールが走っていたようですが、現在は片方撤去されています。
  
・駅舎の向こう岸のホームの様子。
 
・ホームから見た駅舎と、駅の全景。

・駅名看板。両隣は『洞爺』と『長和』。
  
・駅の風景あれこれ。
  
・駅舎内の様子。

・『発車時刻表』と『有珠駅のりば案内』。

・駅前通の様子。
 
・列車の通過を告げるアナウンスに続いて、長万部方面より貨物列車がやってきました。
 
・貨物車両を引くのは "RED BEAR DF200-56"。
 
・駅を通過する車両。
 
・列車の後姿。

[Canon EOS 50D + EF-S17-55IS]
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