紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

謹賀新年

2018-01-01 15:03:50 | 23・三宅島のくらし
明けましておめでとうございます

みなさまにとって、よい年明けでしょうか。
三宅島では、船も欠航、よって新聞も来ない、という元日です。

朝食後、みんなでニワトリ小屋にいって、正月のごちそう。ムロアジのアラなどをやる。



だっこするしんじ。



初日にはこわがったこうたも、すっかりニワトリに慣れた。



緑のお野菜、明日葉をしんじがとってきて、こうたも一緒にやる。



それから、ハウスと露地の野菜畑にいった。

キャベツをとるしんじ。





その後、今日の海を見に、伊豆岬にいった。
この頃はそう波も大きくなかったのだけど、午後の便は欠航。



波を指さして「バーン」というこうた。




大晦日のこと。

昨日は私は体調が悪く寝ていたのだけど、4時ころ、突然家中の家中の電気が消えた。
ブレーカーを見ると、落ちてはいない。

大晦日なので、無理かなあと思い、電気屋さんに電話をした。

暗い中電話をする夫。



もし電気が復旧しなければ、ただ暗いだけじゃなくて、エアコン、石油ストーブ、電気ストーブ、全部使えない。
おまけに風呂も入れない。けっこうおそろしい状況だった。

せめて手元が見える間に食事の支度をしようと、台所に立つ娘。



けれど、しばらくして、東電の2人と電気屋さんがきてくれた。
電線が切れたとのこと。
復旧したときには、ホッとした。ここで今暖房器具がないのは、厳しい。

それから、少しして、テレビが壊れたのがわかった。
電線が切れたときに、壊れたとのこと。
それ以降テレビは見られないので、紅白歌合戦もなにも見られない大晦日だった。

でも、昨日のおそろしい状況を考えると、テレビくらい見られないのはどうってことないね、と思えた元日であった。
今日は体調もまあまあとなり、元日になってから、お煮しめやなます、などを作っている。