紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

パリ・ドイツの旅・20

2008-08-31 14:34:37 | 5・旅の日記
■ガルミッシュ・パルテンキルヘンまでドライブ

いよいよ最後のドライブとなった日。
この地図の黄色いルートを走った。途中、コメントでbrasil70さんが教えてくれた世界遺産であるヴィース教会、フレスコ画で有名なオーバーアマガウの町、ルートヴィヒ2世のお城、リンダーホフ城に寄って行くことにした。




ヴィース教会は、牧草地しかないような所に、ぽつんと建っている。ここは車がなかったら、絶対に行かなかっただろう。




駐車券を買うトントン。やっとこういうことにも慣れた。




後ろに写っているのは、ミサに行く人たちだろうか。村人たちはみな、似たような格好で、ミサにでていた。




それにしても、昔から、そう人が多くなさそうな、草原の真ん中に、なぜこのような立派な教会を建てたのだろうか。

ミサの最中で、写真撮影は禁止されていたが、中は天井などにフレスコ画が描かれ、ロココ様式の装飾がほどこされていて、すごく豪華であった。ヨーロッパでももっとも美しいロココ様式の教会ということである。

教会のまわりを散策する。どこまでも牧草地が続いている。




オーバーアマガウの町に寄って、昼食。

ここは家々の壁にフレスコ画が描かれていて有名な町。
そんな家をいくつか。描かれているのは宗教画だったり、物語だったり。










その後、リンダーホフ城へ。ぐるっと街道を回ってきたので、遠かったが、実は地図をみると、ここはフュッセンから意外と近いのである。ここもツアー客が多く訪れていた。

庭にある池。白鳥が泳いでいる。



映画では、精神を病んだルートヴィッヒが、退廃的な生活を送っている場所として登場する。

中は豪華だけれど、お城自体は小さく、その後、ノイシュバンシュタイン城が建てられてからは、ここにはあまりいなかったのかもしれない。




庭。



◆パリ・ドイツの旅=10111213141516.171819・20・212223242526272829


湯ノ丸高原は中止

2008-08-30 17:43:57 | 8・山と旅の思い出
今日はくすの木山の会の人たちと、湯ノ丸高原でキャンプをして、明日湯ノ丸山、烏帽子岳に登る予定だった。

そこは、今年4月にテレマークスキーで滑ろうとして、天候悪く流れ、6月に山登りに行こうとして、それも流れた。
3度目の正直となるかと思ったら、2度あることは3度ある。で、今回も中止になった。





ぽっかりとあいた土曜日の午後。一緒に山に行く予定だったOさんや、ちょうど東京に出てくる予定だった塩山在住のWさん、仕事帰りのKさんも一緒に、ちょとおそめのランチ。
思えば、今年の夏は、暑気払いもせず、せっせと山ばかり登っていた。



パリ・ドイツの旅・19

2008-08-29 16:39:19 | 5・旅の日記
■ シュバンガウ散策

ノイシュバンシュタイン城に行った時は大雨だったのに、シュバンガウにもどってきたら、晴れた。

わずか10分で、お城近くのホーエンシュバンガウに行けるので、もう1度行こうかどうか相談した結果、トントンも私も、あのお城はあの霧の時に見るのがふさわしいと考えてやめた。

代わりに近くを散策する。

小さくノイシュバンシュタイン城が見え、その上には、青空が広がっている。




フォルッゲン湖沿いの道をどこまでも歩いていく。






ここいらの散策はほんとうに気持ちがいい。



土手でお休みするトントン。





自転車で走って行く人もいる。泊まったホテルの何軒か先に、貸し自転車屋さんがあった。同じホテルに泊まった日本人が、自転車で、ノイシュバンシュタイン城にいって、その後は、5km走ってオールトリアの国境まで行ってみるといっていた。



その日の夕食は、近くのホテルで食べる。日本人のツアー客がいて、日本人好みの音楽をやっていた。




ポークの煮込み料理。ここでもポークはおいしかった。



いっぱい食べたので、夜また近くを散策する。夜といっても、10時過ぎまで明るいので、夜という感じはしない。






牧場の横を通ってゆく。



煙突からあがる煙が、あたたかい感じ。



翌日は、アルペン街道を通って、ガルミッシュアルペンキルヘンまでドライブすることになっている。
そこが旅の最終目的地。


◆パリ・ドイツの旅=10111213141516.1718・19・20212223242526272829

パリ・ドイツの旅・18

2008-08-28 16:56:22 | 5・旅の日記
■ ノイシュバンシュタイン城(白鳥城)

6月17日。朝起きたら、大雨が降っていた。
トントンが一番行きたいノイシュバンシュタイン城に行く日だというのに、ついてない。と、その時は思った。

ベーシックハイムに泊めてもらった際に、なおこさんの家からインターネットで予約をしていたので、予約時間の30分前までに行けばいいことになっていた。
でも、大雨だし、他に行くところもないので、少し早めにホーエンシュバンガウまで車でいってみると、大雨のせいで人が少なく、時間を早めてもらうことができた。

ドイツの旅に行く前に、映画「ルートヴィッヒ」を見た。結婚もせず、孤独に暮らしたルートヴィッヒが、19年の歳月を巨額の費用をつぎ込んで造ったお城。

大雨なので、歩くのはやめて、馬車で行くことにした。




ガスがわいていて、お城の上の方は、真っ白でよく見えないほど。



いつもより人が少ない。といっても、そこはドイツでも超人気のお城。入場門のあたりには、たくさんの人がいた。
お城に入るのは人数が限られていて、みんな一緒に見て回る。それぞれが自国語の解説の機械を受け取って、聞きながら歩く。



ここに券をいれて入る。城の中は写真が禁止されているので、撮れなかった。




お城から外を見ると、マリエン橋が見える。そこからお城をみると、とてもいいアングルなのだそうだ。




それで、見学が終わった後、雨にも負けず20分ほど歩いていった。
このあたりの地図。




ところが、ガスで真っ白で何も見えない。一緒に来た人たちは、みんな帰ってしまった。




それでも、少しねばっていたら、ぼーっとガスの中に、お城が浮かび上がった。
事故か自殺かわからないそうだけれど、悲劇的な最期をとげたルートヴィッヒ2世をしのぶには、あまりピーカンの天気より、こんなどんよりとした日の方がふさわしい気がした。




近くにあるホーエンシュバンガウ城。ここは予約をしなかったので、見に行かなかった。が、帰ってから「ルートヴィッヒ」の映画をもう一度みたら、やっぱり行けばよかったと思った。ルートヴィッヒ2世の父親がつくった夏の城。ここで楽しい子ども時代を過ごしたそうである。
ルートヴィッヒ2世は、ノイシュバンシュタイン城の建設中、ここから進行状況を見ていたという。




ものすごく寒くて、冷え切ってしまったので、レストランに入って昼ご飯を食べることにした。




暖かいものを食べようといっていたわりには、ビールなんか頼んでいる私なのだった。





近くの湖。このあたりを馬で駆けたのだろうか。




午後になって、晴れてから写したノイシュバンシュタイン城の全形。




◆パリ・ドイツの旅=10111213141516.17・18・1920212223242526272829


今日の野川

2008-08-27 12:41:03 | 携帯・ipadから
携帯を変えたので、初めて写真をアップしてみる。

(追記)

おととい携帯をS社からD社に変えた。番号ポータビリティーのおかげで、会社を変更しても、アドレス帳はそのまま移すことができたので、助かった。
私の電話番号は変わらないけれど、携帯メールアドレスは変更したので、これから徐々に、お知らせしなくちゃ。

今日の野川には、カモのお母さんとヒナが6羽写っているのだけど、写真が小さすぎて見えないね。今年は7月頃ヒナがかえったらしく、こんなにおそい時期でもまだ小さい。

パリ・ドイツの旅・17

2008-08-26 09:21:42 | 5・旅の日記
■ フュッセンに行く

メーアスブルグを出ると、ひたすらフュッセンを目ざした。
湖沿いにはリンダウなど有名な観光地もあったけれど、途中寄り道はせずに行くことにした。

リンダウのあたりで、道がわからなくなり、不安だったけれど、なんとか無事に通過。


そこからは、アルペン街道に入る。



ちょうど、このところの東京の天気のように、冷たい雨が降っている。





このあたりは、バスが通っていないので、こういう景色は、車で通らないと見られない。



途中の小さな町で、昼食をとることにした。




インフォメーション。



ところが、その日は町のレストランはほとんど休みで、唯一開いている所に入った。

ちょうどユーロカップの真っ最中だったので、ウェイトレスさんがこんなかっこうをしていて楽しい。




そうして、再びフュッセンを目ざしたのだけれど、全く迷わずに着けた。
フュッセンから車で10分ほどのところにあるシュバンガウのホテルを予約をしていた。

ホテルの予約は、日本にいる時に、インターネットでした。でも、いってみてわかったのだけれど、車を借りて旅をするなら、現地で探せば、いくらでもいいところがあった。

泊まったホテル。ホテルの窓からは、木の間越しにノイシュバンシュタイン城(白鳥城)が見えた。




ノイシュバンシュタイン城(白鳥城)、ホーエンシュバンガウ城とのご対面。




初日はフュッセンの町を観光。




またここの駐車場に止めるのが、ものすごく難しかった。地下に駐車場があるのだけど、そんな所に入っていってだいじょうぶなんだろうかと思うような場所。
一人ではちょっとコワイ感じ。駐車場の出口。こんな風に地上に出てくる。




フュッセンの裏通りを歩いてみる。迷路のようで楽しい。







その日は、フュッセンの町で夕食を食べた。


◆パリ・ドイツの旅=10111213141516.17・181920212223242526272829


パリ・ドイツの旅・16

2008-08-24 10:18:00 | 5・旅の日記
■ ドライブ旅行のはじまり


旅に出るにあたって、もう一度フルトバンゲンを訪れた。そして、フルトバンゲンに別れを告げながら撮った写真。




ドライブ旅行では、白鳥城のあるフュッセンを通って、ドイツ最高峰のあるツークシュピッツェの登山基地、ガルミッシュパルテンキルヘンを目ざした。

地図は小さくてわかりにくいかもしれないが、★1のところに滞在した。
フュッセン★3に一日で行くのは、時間がかかって無理だろうということで、ちょうど半分くらいにある、ボーデン湖のほとり★2メーアスブルグで泊まることにした。

メーアスブルグまでのルートはいくつかあったが、初日の失敗にこり、なるべくアウトバーンが走っていない道を選んだ。地図上の太い道がアウトバーンなのである。

そうして、黄色いのあたり、ティティゼーに立ち寄りつつ行くことになった。




途中の牧草地で車を止めて、写真を撮るトントン。




トントンの撮った写真。のどかで広々としている。




すいすいとティティゼーという湖畔の町に到着。



そこのホテルで昼食。




最後のあたりは、どうしてもアウトバーンに近寄るので、入らないように気をつけながら走り、メーアスブルグに着いた。




こんな所をくぐると、中は城下町になっている。。




可愛い建物や店が並んでいる。




メーアスブルグの地図。




ボーデン湖の前で。




そして、私たちが予約したホテルはどこにあるかなあと思って、聞いてみたら、この中にはなくて、隣の町ということだった。ちょっとガッカリ。


ようやくたどり着いた「ホテル・シーローズ」




ホテルのオーナー婦人。




その後、またメーアスブルグの町に行く。駐車場があるので、入れようと思ったが、どうやって代金を払ったらいいかわからない。
そこに、カナダの人がやってきたので、やり方を聞いた。2時間分の駐車券を買って、それを車のダッシュボードの上に外から見えるように置いておけばいいらしい。
こういうことも、言葉が通じない所では、案外難しい。




ボーデン湖。メーアスブルグからは、湖の対岸、スイスのコンスタンツ行きの船が出ている。



その日は、ホテル・シーローズで夕食を食べた。その日まで、ほとんどメインデイッシュまで行きついたことがない。トントンはサラダプレート、私はスープで終わってしまうのだ。でも、たまにはメインを食べようということになった。
あまり写真がうまく撮れてないけれど、ポークソテーはおいしかった。




そして、たまには、朝食の写真も載せてみる。




翌朝には、次の所、白鳥城のあるフュッセン目ざして、出発した。


◆パリ・ドイツの旅=101112131415・16.17181920212223242526272829


パリ・ドイツの旅・15

2008-08-23 09:37:59 | 5・旅の日記
■ トリベルクの町

だいぶ長い間あいてしまったけれど、再びドイツの旅なのである。

トントンからは、だいぶ前にこんなことを書かれてしまった。

「こんなところに・・・紅蓮さんが」


トントンの方は、着々と旅を続けているので、私も追いかけよう。

旅の記録・14までのところは、一番下にリンクさせてある。

私とトントンは、シュバルツバルト(黒い森)地方のトリベルグに滞在し、すぐ近くのフルトバンゲンにいって、時計博物館を見たり、シュバルツバルトさんが以前住んでいた時計屋さんを見に行ったりしたのである。

そろそろ、さんざん手こずったレンタカーで、なんとかあまり迷わずドライブできるようになり、旅を続けるところを書きたいけれど、最後にトリベルグの町のことも少し載せたい。

ここは、「時計街道」の通る町。
おみやげ屋さんも、カッコー時計をたくさん売っている。お店にいると、ついつい、10時とか、12時とか、きりのいい時間までいたくなる。そうすると、音楽がなって、ダンスを踊るお人形がいたりして、楽しい。
カッコー時計が、ほしいなあと思うけれど、小さい音でも目がさめる私には、無理。30分ごとに目が覚めてしまう。

みやげもの屋さん。時報と同時に、お人形が動き出す。右の人形は、ずっと登ったり下りたりしていた。




トリベルクの時計博物館は、週末休みで入れずに残念だった。




トリベルグにある、有名な滝のある公園を散歩する。




リスが遊んでいる。トントンはリスも撮ったけれど、鳥を見つけては、カメラでとるのに熱中していたのである。




滝の前で。




そして、トリベルグから少しいった所にある、大きなカッコー時計の家を見に行く。世界一大きい? というのだったか。言葉がよくわからないので、ちがっているかもしれない。




道で待っていたトントンが写してくれた写真。




道のトントンを写した写真。




時計の家の中。歯車がでかい。



その時計を見てから、ドライブを開始した。いよいよ車での旅が本格的に始まった。


◆パリ・ドイツの旅=1011121314・15・16.17181920212223242526272829

遭難対策協議会の人のことば

2008-08-22 07:34:53 | 3・山の日記
事故の日に泊まった船窪小屋に、夕方遭対協(=遭難対策協議会)の人が1人駆けつけてくれた。民間の方ということだった。
その方(年齢30代くらいの若い男性)は、北アルプスの槍ヶ岳より北の担当ということで、その日は針ノ木小屋に詰めていたということだった。

小屋で連絡を受けて、現場に駆けつけてくれたのだけれど、私たちが事故のあった所まで、5時間半かかったところを、2時間できてくれたのだった。
その時には、Sさんはすでにヘリコプターで搬送された後だった。
もし搬送されてなかったら、けがの応急処置と、もしビバークすることになるなら、ビバークの手伝いをしてくれたということであった。

その方が、船窪小屋で夜話をしてくれた。

■ 事故を起こさないようにするにはどうしたらいいか考えること。
■ それでも、万が一事故が起こった時には、どう行動したらいいか考えること。


今回の事故で、大事だと思ったのは、登山計画表をきちんと書くことである。
まずコースを子細にわたって書くこと。
それから、メンバーの住所はもちろん、生年月日、血液型。それに連絡先(自宅とできれば家族の携帯番号)なども必要だと思った。

持ち物も、ほとんど使うことがないけれど、ツェルト。あと、それぞれ最低限の医薬品を持つこと。傷などを洗うために、十分な水。
携帯も持っていれば、電波が通じたところで、すぐに警察に連絡ができる。(私は今回の山のあと、電波が通じやすい会社に携帯を変えることにした。)
今回はザイルとカラビナ、シュリンゲを持っていったので助かった。でも、ザイルの使い方がわからない私などは、どうすべきなのだろうか。このへんは今後の課題である。

針ノ木岳~蓮華岳~北葛岳~七倉岳縦走・2(追記あり)

2008-08-20 17:30:02 | 3・山の日記
■8月16日(土)

朝起きると、雨が降っていた。が、食事をしているうちに、あがったので、予定のコースを行くことにする。

6:10  寒いのと、回りの木や草がぬれているので、雨具を着て出発。



まだ少しガスがかかっている。

蓮華岳への道は歩きやすく、とてもよいルート。




このような所を登って行く。




コマクサのこんなにすごい群落は初めて見た。高山植物もたくさん咲いていてよい山だなあと思う。




あたり一面のチングルマの花は終わっていたが、ヒゲ(?)が雨に濡れて、美しい。



7:25  蓮華岳山頂。(2799m)




下には雲海が広がっている。



7:35 下山開始   7月にいった槍ヶ岳が見える。




後ろから来る人を撮る。少し歩いたら、虹の中にブロッケンの妖怪が見えた。




その日行くルートが見える。アップダウンが多い。




小ピークを越える。





このような所を下ってゆく。




『蓮華の大くだり』は、標高差500m以上下る。




クサリ場も通過する。




大下りの途中だったか、岩場をすぎてからだったか、Sさんのストックが、細かい石の間にはさまり、それをとろうとしたところ、折れてしまうという出来事がおこる。力いっぱい引いていたので、折れたとたん、前のめりにころび、右うでの擦り傷と顔面にも擦り傷を作る。ストックは折れたため、私が予備をもう1本持っていたので、貸してあげた。


9:30  北葛乗っ越しで休憩をとる。危ない所を通りすぎ、やれやれという感じ。




再び北葛岳目ざして登って行く。




10:35 北葛岳山頂(2551m) 

 


山頂で、グレープフルーツを分け合って食べたり、昼食を食べる。





11:00 次の七倉岳に向かって、下山開始。

このような所を下って行く。



11:40 事故発生

濡れた傾斜のある一枚岩の所で、私の前の前を歩いていたSさんが、『ここは滑るよ』と後ろに向かっていう。
言ったと同時くらいに、足を滑らせる。右手にあったシャクナゲをつかんだが、そのシャクナゲが根こそぎ抜けてしまい、思い切り体重をかけてつかんでいた反動で、左側斜面に飛び出すようにころび、そのまま転がりだした。

2-3回転くらいしたら、止まりそうに見えたが、全く止まる気配をみせず、加速度をつけてころがってゆき、その下の急斜面に吸い込まれるようにして見えなくなった。

最後尾を歩いていたM、前を歩いていたNさん、Hさんの3人がすぐにも、道を下りハシゴをおりたあたりから、斜面に分け入って、Sさんを探す。

12:00  Sさんが見つかった段階で、頭から血を流していて重傷なのがわかり、すぐにOさんが救助の要請に、船窪小屋まで駆けて行く。(その前に携帯が通じないかためしたが、全員どの会社の携帯もつながらなかった)

12:35  船窪小屋にOさん到着し、救助要請。


現場に残った人たちは、カラビナ・シュリンゲを持っていた全員が出し、Mが持っていたザイルを使って、NさんがSさんを確保し、他に、男性2人も加わって、登山道までSさんを運び出す。運び出す時は、かなり痛がっていた。
ツェルトを地面に敷いて寝かせ、頭の傷を水で洗って、包帯でおおうと、あとは素人ができることは何もなくなった。日が当たる場所だったので、良流娯さんのオレンジ色の傘を開いて、けがをした頭と顔に日が当たらないようにした。(後で、ヘリコプターが来た時に、オレンジ色の傘が目印となった)


12:35 

その日救助隊がくるかどうかも定かではないので、MとNさんの2人がその場に付き添って残り、あとの人は、船窪小屋を目ざすことになる。ツエルトはMとNさんが持っていた2張りしかなかった。

3人の男性と、良流娯さん、私の5人が小屋に向かって出発する。
Sさんの荷物、カメラやリュックなどは、雨具を除いて5人が持って行く。
その夜はビバークすることになるかもしれないので、余分な水を、残る人たちに置いて行く。


七倉乗っ越しまで下った先は、クサリ場のあるかなり急な道。




1:30 七倉岳山頂。(2509m)

1:40 船窪小屋着。




そこで、先に来ていたOさんから、ヘリコプターは、今前穂に救助に向かっているので、その後こちらに来ることを聞く。
Mさんが、その知らせを持って、再び現場に向かって、出発していった。
小屋にいた私たちが、Sさんの携帯アドレス帳から、ご家族と思われる人を探し、連絡をとる。通じた携帯は、docomoのムーバ、1台のみ。

そのうち、雨が降り出し、雷鳴も聞こえ、ガスもわいてきた。今日中に救出できるか、あやしい状況になる。

2:? ヘリコプターがこちらに向かうという連絡が入ったので、O氏が、それを知らせに、現場に向かう。現場と山小屋の間は、ほぼ1時間の距離。

2:40 ヘリコプターが飛んでくる。

小屋の裏から、七倉乗っ越しが見える。真ん中の白い点がヘリコプター。遠くから見ると、思っていたより急斜面である。




2:50 ヘリコプターが、Sさんを搬送してゆく。その際、雨具、靴はぬがされて置いてゆく。

3:25 病院でSさんの死亡が確認されたとの連絡が山小屋に入る。翌日、大町署で聞いた死因は、肋骨が何本かおれて内蔵を損傷したことによるもの。

ヘリが到着したので、Oさんは現場まで行かずに、山小屋にもどってくる。

4時過ぎ、付き添っていたMとNさんの2人と、知らせにいったMさんが、土砂降りの中、山小屋に到着する。


■ 8月17日(日)

5:35 下山開始。

9:45 登山口


◆針ノ木岳~蓮華岳~北葛岳~七倉岳縦走・・2

計画表