紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

「Dear フランキー」を見に行きました!

2005-07-30 07:30:48 | 13・本・映画・演劇・音楽など
めずらしく仕事で都心に出たので、とうとう「Dear フランキー」を見にいった。
場所は渋谷のBunkamura。
あの映画館は、比較的小さいけれど、落ち着いた雰囲気で好きである。

映画は、しみじみとしてあたたかく、ああ見てよかった、と思えるものだった。
見終わって、ほんとうにすがすがしい気持ちになった。
9歳のフランキー役の男の子が、何ともいえずすばらしい。
男の子って、ある時期、あんなにも無防備に、会ったばかりの人に自分を投げ出してしまうんだなあ。というのを、久しぶりに思い出した。
母親は、大人は、傷つくのをおそれて、あんなに簡単には自分を投げ出せない。特に夫の暴力で傷ついているリジーは。

母親のリジーと、難聴の息子のフランキーは、祖母と一緒に、長年暴力をふるう夫から逃げ続けている。
そして、3人はスコットランドの港町にやってくる。
フランキーが難聴なのも、夫の暴力によるものだった。
けれど、リジーは、息子に、父親は船に乗っていると嘘をついている。
フランキーは船乗りの父親に手紙を書いて送り続ける。リジーは、それを受け取って、父親になりきって、返事を書き続ける。
ある日、父親が乗っている架空の船と同じ名前の船が、フランキー達の住む町にやってくる。
フランキーの友だちもそれを知り、その船に乗っているはずの父親がフランキーに会いにくるか賭をする。
困ってしまうフランキー。
それを知ったリジーは、一日だけ、父親になってくれそうな流れ者を探すのだ。
過去も、現在も、未来も、名前すら知らない男性。
フランキーは父親になりすました男性と、一日を過ごす……。(後略)

一番よかったと思ったところは、フランキーと男性が初めて会う場面。
フランキーが男性に対して心を開くその一瞬。初対面の男性に対して溝を飛び越える一瞬が、フランキーのさりげない表情で描き出されていて、秀逸だと思った。
その場面を思い出すと、涙が出る。

久しぶりにいい映画を見て、いい時間を過ごした。
2005年、夏の思い出。

(画像:「Dear フランキー」公式ホームページより)

サイクリングがてら・・・

2005-07-28 19:41:16 | 6.自転車日記
台風が去ってからというもの、日中太陽はギラギラと照りつけている。

今日は午後、隣の市の病院に入院している友人の見舞いに行った。
ちょっと不便な場所なので、車が行こうかと思ったけど、南アルプス山行まで、もう1週間を切った。
トレーニングがてら、ギラギラと太陽が照りつけている中、自転車でいくことにした。

多摩川に沿って、走る。
汗だくになって、片道40分で病院に着いた。
手術後3日の友人は、痛いといいながらも、もうすたすたと歩いている。
人の回復力というのはすごいものだ。

帰りも多摩川に沿って走る。
日が傾いているので、だいぶ気温も下がって、行きより快適。
気持ちのいいサイクリングロードだ。
うっそうとした森を抜けて走る。

まだもう少し走っていてもいいかなと思っているうちに、多摩川の橋に着いてしまった。


トレーニングにもなったし、友人の顔を見て安心したし、ちょっとした小旅行気分を味わえた午後であった。

映画を見たい!

2005-07-27 07:41:27 | 13・本・映画・演劇・音楽など
沢木耕太郎さんの映画評は、ほんとうにうまいなあと思う。
もうだいぶ前になるけれど、朝日新聞で月に一回掲載している「銀の森へ」を読んで、あらためてそう思った。

その時とりあげていた映画は「Dear フランキー」
私は映画は大好きなのだけど、一年にそう何回も見に行かない。行けないというべきか。
でも、たまにどうしても、映画館という空間に身を置いて、ある時間、その映画のこと以外いっさい何も考えずに見たくなる。
その時は、自分もその映画の中に入り込んだような気持ちになって、感情移入して見る。

とにかく少ししか見ないので、その映画を思い出す時には、その夏、というかその頃、どんな風に過ごしていたかということまで、一緒になって思い浮かぶくらいだ。

たくさんの映画が見られるわけではないので、そろそろ見たいと思った時がくると、いろんな映画評や、まわりの人たちの評判を聞いて、どの映画をみるか決める。
沢木さんの映画評を読むと、ああ見たい! と思ってしまう。沢木さんは映画評論家ではなく、映画が好きな人なのだ。
だから、映画は試写会で見るよりも、お金を払って映画館で見る方がいいという。
でも、映画評を書くには、封切りと同じ頃、記事を載せなくてはならないので、仕方なく試写会で見ることになる、というような文章を読んだ覚えがある。

というわけで、この夏も1-2本映画を見に行きたいが、どれにしようか迷っている。
「Dear フランキー」にしようかな。どうしようかな……。
「エピソード3」も見たいかな。

(画像:「Dear フランキー」公式ホームページより)

奥山 貴宏 さんのこと

2005-07-26 06:36:29 | 13・本・映画・演劇・音楽など
7月23日の土曜日、
NHK教育テレビ・ETV特集「オレを覚えていてほしい」を見た。

奥山さんは、31歳の時に突然「肺ガン」と宣告され、余命2年と告げられる。
番組は、その彼が亡くなるまでの2年数ヶ月間を追う。自分自身でつづったBlog、読者とのやりとり、友人が撮した映像、周りの人たちの証言などを元に制作されたドキュメンタリーだ。

奥山さんのことを知ったのは、知人の吉田智彦さん(トモさん)のBlog「牛の玉日記」で、そこから、奥山さんのBlog「32歳ガン漂流エヴォリューション」に飛んで、読んだ。
その時すでに奥山さんは亡くなられていた(4月17日没)。

多分一回だけなら、全く知らない人だし、そんな人もいたのか、と思って終わってしまったかもしれない。
けれど、トモさんは、それから何回かBlogに奥山さんのことを書いていた。
その度に、私も少しずつ奥山さんのことが気になっていった。
教育テレビで放映されることを知ったのも、トモさんのBlogからだ。

奥山さんが、亡くなる前日までネットでつづった日記が、今月末までには、「33歳ガン漂流ラスト・イグジット」というタイトルで出るそうだ。
奥山さんの日記は、すでに、「31歳ガン漂流」「32歳ガン漂流エボリューション」として刊行されている。それに続く3冊目の日記。最後の日記になる。

そして、もう1作。小説「ヴァニシング・ポイント」(マガジンハウス)
奥山さんは、闘病中の2年間に4作の本を書き、2作は自分の目で本屋に並んでいるのを見届け、一番世に出したかった小説を手にするのは、亡くなる3日前だった。

テレビで「作家として死ぬのが夢」と語っていた奥山さん。
2年間を全力で駆け抜け、4作の本を残した。テレビを見てから、どうしてもそれらの本が読みたくなった。
この夏には手に入れて、読もうと思う。

PS)写真は、小説「ヴァニシング・ポイント」 トモさんからお借りしました。

◆トモさんの「ヴァニシング・ポイント」奥山貴宏にトラックバック

汽車にのってヨーロッパ旅行・その15

2005-07-24 08:42:50 | 8・山と旅の思い出
■スイス・マッターホルンの麓の町

マントンで四日間過ごした後は、また列車にのっての長旅。
スイスのマッターホルンの麓、ツエルマットを目ざした。
その日は、朝から夕方まで、いろいろな列車にのり続けた。

 

ようやく到着したツエルマットでは、いかにもスイスの山小屋風のホテルに泊まることになった。その旅では初めて、全員で泊まれる2ベッドルーム、台所もついている家族用の部屋だった。

ツエルマットでは、魔の山マッターホルンを見ながら、ハイキングをした。

 
 

姉は山歩くのは苦手なので、長いコースになると別行動。
私が子どもたち4人を連れていった。
途中、氷河の上で遊んだり、きれいな空気を思い切り吸いながら、歩いた。

私は写真でしか見たことがないマッターホルンを間近に見て、感動したが、子どもたちが一番喜んだのは、羊と触れあえたこと。



かなり重装備の男性に出会ったら、ガイドさんについて、マッターホルンに登ってきたという。わりと年配の人だったので、私でも登れるのかなあ、と思った。帰ってから調べたら、一般ルートなら、ガイドさんにつけば登れるようである。くすの木山の会の人が、その後夫婦で登りにいっていた。

帰りはホテルの人が、駅まで、電動自動車で送ってくれた。この街では、空気を汚さないように、ガソリンを使わない車が走っていた。

最後の日はジュネーブに一泊。
翌日、アイルランドから始まった、長いヨーロッパの旅を終え、日本に帰ってきた。




◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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汽車にのってヨーロッパ旅行・その14

2005-07-23 07:11:01 | 8・山と旅の思い出
■地中海の町・マントン

朝になり、車窓から海が見えてくると、あせった。姉と、どこでおりるか、どうやって相談しよう?

そのうち、列車が地中海沿いに走るようになると、長く止まる駅があるのがわかって、一安心。

ニースで車両を移って、どうするか相談するが、その間にもどんどん列車は進んでいく。
子どもたちは海を見て、興奮していた。

 

そうして、とうとうイタリア国境に近い町、マントンで列車をおりた。
どんな町なのか、何の知識もなかった。

やはり、子どもたちは海が大好き。
朝、一日の食料を調達すると、ゴザをもって海岸に行き、日がな一日、地中海を見ながら、海辺で過ごした。
子どもたち4人は、言葉も通じないのに、イタリアの男の子、フランスの女の子たちともすぐに仲良くなり、砂浜で要塞を作って遊んでいた。合間に、かわるがわる泳ぎに行く。



マントンでは、市場にいったり、私と姉だけジャン・コクトー美術館にいったほかは、ほとんどずっと海。

夜は地中海料理を食べにいったが、旅行中一番おいしかったのが、マントンでの食事。
魚介でだしをとったスープも、パエリャなどの料理も、どれも絶品。
特にスープがおいしかったが、悲しいかな、スープとパンとビールでお腹いっぱいになってしまう。しかたないので、次の夜は、メインディッシュを味わうために、スープはパスするしかなかった。
アイスクリーム系のデザートも、これまでの人生で食べた中で、一番といってもいいほどのおいしさ。
今思い出しても、また訪れたくなる。


◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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汽車にのってヨーロッパ旅行・その13

2005-07-22 06:49:07 | 8・山と旅の思い出
■夜行列車で地中海へ

パリで2日間過ごした後、パリから夜行列車にのって、地中海を目ざした。
あこがれのコートダジュール、海辺の街で4日間過ごすことになっていた。
写真はこれから夜行寝台に乗り込もうとしているところ。

カンヌ、ニース、サントロペ……どこに行くかは風まかせ。
相変わらず、きちっと予定を立てず、列車の窓から街を見て、どの駅でおりるか決めようと思った。

ところが、これには落とし穴があった。

姉一家は、こんなに長い旅をするのは初めてなので、夜行列車では豪華個室に泊まることにした。日本の列車でいうと、A寝台個室。(写真左)
ところが、私と子ども達は、ふつうの列車で十分なので、B寝台。(写真右)

ユーレイルパスの他に、寝台は別料金。
豪華な方は、ベッドメイキングしてあり、部屋にトイレと洗面台がついている。


パリの駅で「それじゃあ、あとで豪華寝台の個室を見に行くね」といって、それぞれの車両に乗りこみ、ちょっと落ち着いたところで、行こうとしたら、B寝台とA寝台の間のドアにはカギがかかっていて、行き来できないようになっていた。

えーっ、おりる駅を決めてもいないのに、一体どうするの……。
車掌さんに、伝言を頼むという手もありそうだが、姉も私もフランス語は簡単な挨拶すらあやしい感じの語学力。

その晩は、どうすることもできないので、寝るしかなかった。



◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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汽車にのってヨーロッパ旅行・その12

2005-07-21 07:09:49 | 8・山と旅の思い出
■パリへ

フランスへ行くのに、ドーバー海峡を船で渡った。そろそろ英仏トンネルの開通が間近な頃で、今船で渡らないと、もうそういう機会はないだろうと思われた。
ロンドンから列車に乗る時に、ユーレイルパスの使用を開始。

船では、のどかな時間を過ごした。大して揺れることもないので、船には弱い私でも安心。それにしても、ここを泳いで渡る人がいるなんて、すごいものだ。と思うほどの距離。

 

その日は、けっこう長旅で、ロンドンを11:30に出て、パリ到着19:30。

その頃、1年間パリで暮らすことになった友人家族Hさん達が、来たばかりでホテル暮らしをしていた。
旅の最初に、パリに着いた時に会った際、Hさんに宿を頼んでいたので、安くて小さな、とてもいいホテルに、私たちの部屋もとってくれていた。おかげで、パリにおそく着いても、宿探しをしないですんだ。

パリで二日間過ごした。パリは次への旅の通過点なので、有名な所だけ行ってみる。
Hさんの娘のNちゃんも一緒に、パリ市内観光。
凱旋門、エッフェル塔、モンマルトルの丘。

 
 


高い所から景色を眺めるのが好きなので、かならず上に登ってみる。





◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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汽車にのってヨーロッパ旅行・その11

2005-07-20 06:35:52 | 8・山と旅の思い出
■イギリスで

アイルランド・エニスの農場をあとにすると、そのまま空港にいって、レンタカーを返し、ロンドンに飛んだ。
ロンドンでの2日間だけ、姉家族と、私たち3人は別行動することにしていた。

姉たちは、ロンドン市内のホテルに泊まって、市内観光をしたいというし、私は、その頃ロンドン近郊に住んでいた友人に会いにゆきたかった。

友人は、以前子連れでイギリス旅行をした時に、お世話になったKさんで、いったん日本にもどった後、またイギリスに住んでいた。
私と子ども達は2日間、Kさんの家に泊めてもらった。親戚の人も二人泊まっていて、にぎやかだった。


近くの公園にいったり、プールでウォータースライダーをしたり、のんびりと過ごさせてもらった。
それに、しばらくぶりの和食に感激。とくに、昼、庭で食べた素麺で、生き返った気分。私も子どもたちも、二人前はぺろりと平らげた。

 



こちらは、市内観光した姉たちの写真。私は3回イギリスに行っているけれど、一度もそういう観光をしたことがない。

 

そうして、3日目にホテルにいって、姉一家と会ったが、子ども達4人は、一体どれほど長い間会わないでいたんだろうというほどの、はしゃぎよう。

そうして、また6人での旅が始まった。



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本棚より 「アーサー・ランサム自伝」

2005-07-18 11:48:08 | 13・本・映画・演劇・音楽など
アーサー=ランサムのことは、何回かBlogにも書いているが、私の好きな本を集めている本棚で一番場所を占めているのが、ランサムの12冊の本である。
そして、本人による自伝がこの本。


今日の朝日新聞の「天声人語」にランサムのことが取り上げられていた。

夏休みの始まりを告げる特別の儀式がある。湖のほとりに降りて行き、片手をそっと湖水につけるのだ。児童文学の名作「ツバメ号とアマゾン号」シリーズを書いたアーサー・ランサムの若き日の回想である。・・・・略
(7/18天声人語より)

全文読みたい方は、朝日新聞のコラムを。

自伝の中でも、「湖沼地方の休暇」の章に書いてある、その一文は特に印象深い。子ども時代のランサムが、夏、ふるさとへもどった喜び、大好きな湖に対面した喜びに満ちあふれている。

ランサムは子どもの心を失わずに、その時の気持ちのまま「ツバメ号とアマゾン号」の本を書いた。ランサムは、一番年下のロジャに、幼い頃の自分の心を投影して、行動をさせている。ロジャが湖に手をつけるところは、大好きな場面である。

梅雨が明けて、本格的に夏に突入した今日。
私のふるさとは、山かな?
いつまでも夏を好きでいたいなあと思う。

アーサー=ランサムとの出会い

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