昨日は、娘と孫は伊ヶ谷の海。
今日は、夫も一緒に大久保浜に出かけた。私はビミョーに腰痛がでたので、家で安静な暮らし。
今日の大久保浜は、波がすごくて、夫のシュノーケルははずれ、しんじのマリンボードは真っ二つに割れてしまったそうだ。
それでも、少しは波が荒くないところで、泳いだのが、むちゃくちゃ楽しかったらしい。
カメが見られたと、孫は嬉しそう。
カメを追いかけるしんじ。
そして、みんなで夕飯を食べるのも、あと何回もなくなった。
昨日は、娘と孫は伊ヶ谷の海。
今日は、夫も一緒に大久保浜に出かけた。私はビミョーに腰痛がでたので、家で安静な暮らし。
今日の大久保浜は、波がすごくて、夫のシュノーケルははずれ、しんじのマリンボードは真っ二つに割れてしまったそうだ。
それでも、少しは波が荒くないところで、泳いだのが、むちゃくちゃ楽しかったらしい。
カメが見られたと、孫は嬉しそう。
カメを追いかけるしんじ。
そして、みんなで夕飯を食べるのも、あと何回もなくなった。
昨日は、はらはらした夜だった。
福岡から来るはずの2人が、雷雨のせいで、福岡を飛び立てない。
pm10:30に乗る船が出航する時刻は、どんどんせまってくる。
そして、とうとう間に合わせる可能性はゼロになった。
結局、羽田空港に着いたのは、11:40頃。船には乗れないので、調布の家にいくことにしたが、タクシーは長蛇の列。
家に着いたのは、2:00頃だったそう。
ついてない日だったが、飛行機があいていたのは幸いだった。
今日の1便で三宅島にやってきた。
三宅島飛行場。長い旅路でしたね。
しんじが、私の背丈を越えそうになっていた。4人の孫が全員集合して、みんなで昼ご飯。
午後は伊ヶ谷の海で泳いだ。
夕食。
せっかく全員そろったが、山形組は、明日の飛行機で山形に帰る。
にぎやかな8日間、みんなが船に乗って、内地に帰っていった。
静かな日常はもどってきた。
今朝は、ニワトリのエサヤリにみんなでいっている間に、昼ご飯と弁当の支度。
11時ころからは、こうたとあやかちゃん、ゆいとくんが、息子と夫と一緒に、隣の家にもちつきにいった。
12時ころ帰ってきてからは、もうバタバタで、昼ご飯を食べた。
家を離れるので、記念撮影。
幸い1番近い伊ヶ谷港から出港することに決まった。
船を待つ。
橘丸がやってきた。正月3日は、当然のことながら、いつもより乗客が多い。
先日芋掘りにきたSさんが、全員一緒の写真を撮ってくれた。
みんな、乗り込んでいく。
テープをもらったので、投げるしんじとこうた。
そして、だんだんと離れていく。
船のお別れは、楽しいなあと思う。
今日は2家族で、調布の家に泊まる。
だけど、果たして、昨日の航空機事故の影響もあり、娘たちは福岡に帰れるのだろうか?
姉の夫、義理の兄が亡くなって、2年がたとうとしている。
去年の一周忌は、三宅島にいたので、いけなかった。
今年の三回忌は私もいくことにし、妹も一緒にいくことになった。
遠いので、山梨から出てきた妹の時間に合わせて新幹線をとると、富山駅についたのは、14:00くらい。
それからタクシーで浄泉寺に向かった。
お経を唱えて頂いて、ご住職様とお話をして、外に出たら、もう夕暮れ時。
車で送ってくださるとのことだったけど、あまりに景色がいいので、歩いて駅に向かうことにした。
新幹線に乗っているときから、剱岳がよく見えた。お寺からも、もっとよく見えた。山頂あたりには、雪がついている。
お義兄さんは、こんな景色を毎日見ながら、育ったのだと思った。
タクシーでお寺に向かうときに、別の白い山が見えたが、薬師岳ということだった。
その昔、薬師岳の下の太郎小屋に泊まったとき、夜外にでると、富山の夜景が見えたのを思い出した。
滑川までの列車は、かわいかった。行き先を間違えて、途中で乗り換えたりしたけど、それも楽しかった。
夕食をとって、ホテルもどると、あっという間に寝てしまった。
翌日早朝起きると、剱岳が目の前に見えた。なんとすばらしいお部屋。
山の向こうから日が昇ると、もう山はくっきりとは見えなくなってしまった。
暑いくらいの日で、帰りに剱岳を見ると、昨日白かったのに、雪がとけて、白いところが小さくなっていた。
その日に、お墓参りにいって、帰ってきた。
コロナが蔓延した年に、法事をキャンセルして以来、初めてお寺にご挨拶に伺った。
このところ、私らも年をとってきたし、女だけの姉妹なので、お墓をこれからどうするかが気にかかっていた。
今日はご住職さまにもお目にかかれて、いろいろ相談にのっていただき、長年の心配から開放された。
そして、山のてっぺんにあるお墓にお参り。
ここのお墓には、私たちの両親と、父の母親だけが入っている。父が複雑な家庭環境だったためだ。
お墓のあたりから眺めた景色。今日は空気がクリアで、山(高尾山のあたりか?)がくっきりと見えた。
両親が眠っているところは、山の上なので、ほんとうに眺めがいい。
けれど、急な階段が上まで続いている。そのために、このような乗り物がある。2人乗り。
用事をすませた後は、いつも楽しみにしている、お墓から歩いて3分の「ミューゲブラン」でランチ。
おいしいフランス料理と赤ワインで、たのしい時間を過ごす。(写真は姉からお借りしました)
3人で会うのも、コロナ以来。
料理のあとは、庭を見せていただいた。
オシャレな名前のクレマチスの花が、いろいろな種類咲いていた。
てっせんに似てるねといったら、ほとんど親戚の間柄らしい。
夫と一緒に、東京にきたのは、1年少し前の、法事以来。
島で生き物を飼っていると、どうしても2人で家をあけるのは難しい。
今回は若者に頼んで、久しぶりに一緒にお墓参りにいくことにした。
船橋駅で、義姉、義兄さんと待ち合わせ。それぞれけっこう遠いところからきたが、1分ほどの時差で出会った。
霊園は、桜の花が咲きほころんでいて、それだけでもうれしい。こんなにたくさんの桜の花を見られると幸せな気持ちになる。
三宅島にいると、お墓参りにくるのも一仕事。とくに、夫も私も病気をかかえていた去年は、東京にきても、病院にいくのでせいいっぱい。
感謝という墓碑(母の字)は、いつみてもいい字でいい言葉だと思う。
帰りは、うなぎやさんにいって、あまりのおいしさに感動。
そして、楽しく4人で会話をして、お開きとなった。
夫は帰ってきてから、食料品を買い込み、8時過ぎには家をでて、今晩の船で三宅島に帰った。
私はそれからゆっくりとサッカーを見た。
もう1年たっだんだなあ、と昨日はしみじみ思った。
義兄の一周忌で、姪が夫のパスカルと共に来日した。
来られるかどうかわからないとき(5月)にチケットをとったそうだけど、見込みはあたって、日本も外国からのお客さんを迎える体制になっていた。
昨日は、私は手術以来、初めて外出をした。
ちょうど昼時で、突然ランチをしにいくことを決めたので、どこも一杯のお客さん。
唯一入れそうなのは、ロイヤルホスト。ファミレスは久しぶりといいながら、入った。
時節柄、栗のパフェと、栗のシフォンケーキを食べたいということになり、そこからメイン料理を選ぶことに。
このファミレスは、1つ1つカロリーが書いてあるのがいい。
3にんで久しぶりのおしゃべりを楽しんだ。旅行中のパスカルとは会えないまま、三宅島に渡る。
今度はぜひ、ゆっくり三宅島にもきてほしいものだ。
白内障の手術をして1週間、術後ののんびりした時間はきのうで終わった。
今日はこれから台所の大掃除をして、午後ガス台と換気扇の工事をしてもらう。
今日は、午前中大掃除と断捨離で終わった。GWだというのに、地味に過ごしている。
GW明けに、九州にいこうと思っているので、今のうちに家の中を片付けたい。
午後プールにいこうと思ったら、すごい大雨が降っていた。
夫から電話があり、もし飛行機が出るようなら、荷物を載せたという。
連絡がくるのを待っていたら、午後荷物がきていますと飛行場から電話があった。
飛行機に乗せるのは、一番早く荷物が届くけど、大雨でもなんでも飛行場までいかなくてはならない。
雨具の上下をきていても、びしょ濡れになった。それでも、午後の便は欠航になったということで、ギリギリ届いたのだった。
伊豆諸島へ飛ぶ飛行機が何機も、雨に濡れていた。
家に帰ってから荷物をあけてみると、このような野菜と卵が入っていた。
里芋と枝豆とイチゴは、早速今日頂いた。
三宅島に移ってから、夫と一緒に都内にいくのは、法事、葬儀くらいで、いつもどちらか残ってニワトリの世話をしている。
昨日は義母の7回忌の法要をとり行ったので、三宅島の若い農業従事者のかんべくんに、ニワトリの世話を頼んだ。
これを頼めないと、どちらかが残って世話をするしかないので、とても助かった。先月もお世話になったので、2ヶ月連続で感謝です。
朝9:15に家を出て、阿弥陀寺で11:30より法要。着いてすぐに、建物の写真を撮ろうとしていると、法衣を召された方が通りかかって、ツーショットで写してくださった。
あとで、その方がお経を上げてくださったので、恐れ多いことだと思った。若いお坊さんだった。
じきに義姉、義兄も到着し、4人で法要の席にのぞんだ。
それが終わったら、船橋市の墓地にお墓参りにいくことにしていた。
義兄の車で連れて行ってもらった。途中で、昼ご飯の時間になり、ウナギを食べた。めったに食べられないので、すごくおいしかった。
写真掲載の許可がまだおりてないので、小さいのを載せてみたが、これもあとで取り下げるかもしれない。
そして、三輪家のお墓参り。三宅島に行って以来、めったにお墓参りもできず、いつも義姉さん、義兄さんにまかせっきりで、申し訳ないことだと思っている。
いつもありがとうございます。
帰りの車で、私の姉のダンナさまが73歳で亡くなった話になり、私たちも年齢的にいつどうなるか分からないという話になった。
浄土真宗では、生前に戒名(法名)をつけてもらえる。義母も亡くなる2ヶ月前につけてもらっていた。
11月の報恩講という席でつけてもらえるそうなので、一緒につけてもらおうということになった。
さて、今日私は三宅島に帰る。
明日の船には、娘やお嫁さんや孫達が乗る予定である。なぜこんなに早く来ることになったかというと、週末から来週にかけて、天気が荒れそうだからだ。
おそらく船は欠航すると思われる。
なにも片付けや掃除をしていないので、今日、明日はそれに追われる。でも、みんなで会えるのは嬉しい。
今日は姉と、姪のAちゃんと一緒にランチをした。
姪がフランスから来たのは、約1ヶ月前のことだった。
パリを発つ頃、父親が亡くなったり、来てからは亡くなった後の手続きなど、姉を手伝って、奔走してくれた。
せっかくの来日里帰りだったのに、ほんとうにおつかれさまでした。
三宅島だって、もしものときには遠いと思うのに、このコロナ禍の時代、海外はくらべものにならないくらい遠い。
来週フランスに帰るので、その前に1度食事をしようということになった。
中華料理のランチコースを頼んで、コロナを気にしつつ小さい声で(ほんとうか?)しゃべり倒した感じ。
次回来日するときには、パスカルも一緒にぜひ三宅島にきてほしい。
前回三宅島にきたときは、まだ開墾中だったが、あれから広々とした畑になった。
それにしても、吉祥寺の街は、すごい人出。ランチの店も予約でいっぱいだったし。
そういうことを、三宅島にいると忘れてしまうね。