紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

今年も終わり

2006-12-31 14:45:01 | 20・日々のできごと
とうとう、今年もこの日を迎えた。12月31日、おおみそか。
私としては、2006年はよい年であった。山もたくさん登った。あこがれのテレマークスキーで、バックカントリーにも何回かいった。
そして、生まれて初めて4000mを越える山にも登った。
2年ぶりに、新作が2冊出版された。

Blogも、楽しいなあと思いながら続けることができた。
見てくださった方々、コメントを書いてくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。

去年1年でこのBlogを一番見てくれた人が多いのは、

8/09(水) 778 pv 175 ip  じゃないかと思う。

これはどんな日かというと、剣岳に登頂した日。(写真トップ)
175人の人が、アクセスしてくれて、複数回見てくれた人もいるので、延べ778回「紅蓮のポケット」を開いてくれたことになる。ご心配おかけしました。
ふだんは大体100~150人くらいの人が見てくれている。

ちなみに、キナバル登山の日は、

10/26(木) 734 pv 153 ip

長々書いた日より、携帯からアップした時の方が、見てくれる人が多いみたいである。(笑)
そして、来年もよろしくお願いします。

年末の病院探し(追記あり)

2006-12-30 07:17:27 | 11・健康
年末から正月にかけては、なるべくなら病院には行かないですませるにこしたことはない。
開いているところを見つけるのが、ホント難しい。

一昨日、母の病院の看護婦さんに、腫れた手をどこか病院でみてもらうようにいわれなければ、きっと昨日病院には行かなかっただろう。
でも、顔なじみの看護婦さんに、すごく強くいわれたので、一時間もあちこち電話をして病院を探した。
結局、こういう困った時には、やっぱり東山病院。
最初手首がかゆくて、ゾウの足(手?)のようにぱんぱんに腫れてしまったので、皮膚科を探した。けど、調布市内の皮膚科は全滅。どこも休み。
その後、困り果てて、東山病院に電話をして症状を話したら、それなら外科でみてくれるという。やれやれ。

かなり待ったけど、ようやく見てもらえた。菌が皮下組織に入りこんで、日々じわじわと増えているのだった。
そして、手当をしてくれて、抗生剤と消炎剤を出してもらった。
しばらく、毎日来るようにいわれる。
ウン、毎日?  「あの~お正月は?」「もちろん、お正月も来て下さい。」
というわけで、正月も通うようになってしまった。(泣)
手はぐるぐるだし。

(追記)
そして、今日(12月30日)も病院でみてもらった。意外なことに、こんな日はすいているので、大して時間がかからなかった。
昨日まで、浸食し続けた菌がとうとうクスリのおかげで浸食をやめた。
それで、ようすを見て広がらなければ、正月明けに来ればよいという。助かった。その代わり、広がったら、即点滴にいらっしゃいといわれた。
そして、こんな時期だけど「お酒はひかえ目に」、といわれる。ショック(大泣)
と書いて、「ひかえめ」だったっけ? 「ひかえる」だったっけ? わからなくなってしまった。「ひかえめ」と「ひかえる」じゃ、ちがうよ~。

忙しい一日

2006-12-29 07:58:41 | 22・両親のこと
あまりパッとしない日はBlogを書くのをやめようかなあと、ちょっと迷う。
でも、翌年見ると、去年はパッとしない年末だったねと思い出せるので、やっぱり書いておこう。

今年は、年末どこへも行かないことでもあるし、ギリギリ30日まで仕事をする予定だった。
昨日は午前中仕事をしたところで、母の具合が悪くなったと、三日前からお世話になっていた施設から電話。
午後一で飛んで行くと、吐いているので、ノロウィルスにやられたかもしれないといわれる。

病院に連れて行き、点滴をうけている間に、入院することになる。
今入院するということは、正月も病院ということである。ショック。
でも、インスリン注射をしている関係上、1食でも食べられないと、インスリンの量が私たちでは調整できない。

夕方暗くなった頃、全ての入院手続きが終わった。同時に、私もトントンももう病室には入らないようにいわれる。なぜって、ノロに感染するから。
そんなこといわれても、午後中ずっと付いていたし、今さらなのだけど。

そして、きのう母をみてもらった病院の看護婦さんに、私の手首の腫れは、ちゃんと病院で見てもらった方がいいといわれ、今日はこれから、皮膚科を探して、走るのだ。腫れたのは、腱鞘炎の手で、サロンパスでかぶれ、かいたところから菌が入ったそうで、この忙しい時に、泣きっ面にハチだなあ。
そして、今日の午前中も仕事どころではなく、病院に行かなくちゃ。

「この本だいすきの会」

2006-12-27 12:47:46 | 2・仕事の周辺
このBlogにも何度も書いてきたが、各地で子どもたちへの読み語りを続ける「この本だいすきの会」
昨日は暮れの集会が、市川で開かれたので、出席してきた。
沖縄から北海道まで、1000人以上の会員がいるが、きのうの集会には150人以上の人が集まった。



私は、この5年ほど参加していなかったので、きのうは久しぶりに、会員の人たちと話したり、各出版社の編集の人たち、絵描きさん、子どもの本の作家の人たちと会って、刺激を受けてきた。
久しぶりに出席するきっかけとなったのは、今年の3月に京都・舞鶴支部の水野さんと沖縄・竹富島で出会ったこと。それ以来、何とかして今年の暮れには行かなくちゃなあと思ってきた。

トップの写真は代表の小松崎進先生。81歳になられたが、今なお精力的に各地を回って、読み語りをすすめている。

このBlogを読んでいる人の中に熱烈なファンがいるので、載せてしまおう。後藤竜二さん。いくつになっても、少年の心を持ち続けているステキな人である。



夜の交流会にも参加した。
そして、夜もおそく、すごい嵐の中を帰ってきた。
また来年も仕事をがんばらなくちゃ。

消しゴムスタンプ

2006-12-26 07:07:52 | 20・日々のできごと
どのBlogから飛んで、誰の知り合いだったか、今となっては不明なのだけど、好きでよく見にいく消しゴムスタンプ系のBlogがいくつかある。
それを見るたびに、いいなあ。ああいうのがほしいなあ。と、自分で作ろうとはせずにつぶやいていたら、とうとう、トントンが私のために作ってくれた。

今日は、その消しゴムスタンプのご紹介。
これはけっこう大きくて、ハガキに押すと、三分の一は埋まっちゃうので、5行お便り用。ちゃんと私の名前も入っている。



手紙の隅っこにちょっと押すとかわいい。

  

手紙の上にずらずらと押したりする。



こんなのもある。

 

他にももっとたくさん作ってくれたのだけど、ごく最近私から手紙を受け取る人は、このような消しゴムスタンプが押してあるでしょう。って、近頃はメールばかりで、特別な時以外めったに手紙も書かないのだけど。

ニセコスキー場

2006-12-24 10:18:39 | 4・テレマークスキー日記
今シーズン初スキー。八甲田にしようか北海道のニセコにしようか、迷った結果、モンベルショップの店員さんのアドバイスにしたがって、ニセコにした。
調布から5:15の始発バスに乗って、7:40の飛行機に乗る。
窓から鳥海山を見ようかな~と思っていたのに、ぐっすりと寝てしまい、起きたら下に真っ白い雪をかぶった山が見えた。何山だろうと思ったけど、近くに湖が見えたので、おそらく十和田湖だろう。
そして、その後は、平らな景色になったので、やはり本州最北の山、八甲田山だったと確信した。

ニセコは初めていったのだけど、すごくいいスキー場だった。広いし、コースは長いし、景色はいいし。
ヒラフの下に泊まっていたので、初日は1時頃着いた後、ヒラフだけで滑った。
目の前に羊諦山。上の方は雲がかぶっていたけど、ダイナミックな光景。
でも、シーズン初めなので、テレマーク姿勢で滑るのが何か不自然な感じ。
手首も痛いことだし、ゆっくりとテレマークターンの練習をしたかったが、急斜面なのでゆっくりと滑っているわけにもいかず、娘もどんどん滑って、あっという間に点になってしまうので、なんとかがんばって付いていく。
上から下まで一気に滑ると、標高差600mくらいだろうか。もう足ががたがたになるほど疲れる。

2日目は、とにかく全てのスキー場を滑ろうと、朝一で一番てっぺんまでリフトで登り、アンヌプリを上から滑る。
その後、東山に移動。東山からの景色はもう最高。倶知安の方の海が遠くに見える。



羊諦山もよく見える。(写真トップ)それで、その日はずっと東山で滑ることにした。

3日目も、東山。一番上に圧雪していない斜面があるので、そこの深雪でバックカントリーの練習。でも、全然滑れない。滑れないけど、楽しい。
午後も1本だけ、一番上の深雪の所から下まで滑って、シーズン最初のスキーは終わった。

夜は近くの居酒屋で。一日目の「かかし」



そのままニセコに残った娘は、2日間バックカントリーツアーに出た。
アンヌプリの裏山と、イワオヌプリ。
パウダーを滑って、もう最高に楽しかったそうだ。その時の写真も載せてみる。





あー、いつかニセコ周辺バックカントリーツアーに行きたい。

12月21日

2006-12-22 12:42:30 | 15・心に残ること
昨日は、パパさんの命日だった。
ママさんからのクリスマスカードで、そのことを知ったのは、スキーに行く前日。

パパさんは昨年、2005年12月21日に105歳と七ヶ月の生涯を閉じた。
体調を崩し、病院に5日間入院しそのまま帰らぬ人となったそうだ。最期までほんとうに見事な生き方をされた方だった。
去年もクリスマスカードを早めに送ってもらって、その時はお元気だったので、そのすぐ後亡くなられたことをつい先日まで知らなかった。
パパさんのご冥福をお祈りします。

20年間本を書いていて、一番お世話になった人というと、パパさんである。
このBlog「パパさんからの手紙」にもパパさんのことを書いた。他にも何度か書いたことがある。

カナダ・バンクーバー郊外にあるパパさんの家には何度かいった。
最初が26歳の時。
二度目が、娘と息子が保育園時代に、1人で取材に訪れた。
三度目が娘が小1、息子が小3の時に3人で、アメリカ旅行の途中で立ち寄った。
四度目が、小6の娘、良流娯さん母娘と4人で。その時もアメリカ旅行の最後に遊びにいった。

パパさんを知ってから、29年間にやりとりした山ほどの手紙を探し出した。



トップの写真は、一昨年送られてきたパパさんとママさんの写真。