きのう、今日と、家の風呂場の改装工事をしている。そのため、お風呂が使えない。昨日は、夜娘が仕事から帰ってくるのを待って、調布の温泉か銭湯に行くことにした。
近くには、ここらではわりと有名な 深大寺温泉ゆかり がある。
どこに行こうかなあと思っていたら、Oさんという友だちが、『深大湯』 もいいですよ。とすすめてくれた。
「8時過ぎに行ったので空いていて、露天風呂は貸し切りみたいでした。夜空を眺めながら入っていると、時間の流れが止まったような気がします。」とメールをくれた。
その言葉にひかれて、9時過ぎに家を出た。深大湯の前は、よく車で通る。今は銭湯といってもマンションみたいな建物。3階にふつうのお風呂があって、風呂の中にある階段を上ると、屋上が露天風呂。
人もいなくて、ほんとうに静かだった。
そして、空を見上げると・・。まん丸い月が。なんか工事であわただしい一日で、うっかりしていたけど、きのうは十五夜だったのだ。月を見ながら、しずかーに、しずかーに夜のひとときを過ごしました。しあわせ。
ps) Oさん、どうもありがとう。とってもよかったよ!
写真は満月のがないので、anikobeさんから「十四夜」の月をお借りしました。それにしても、満月よりちょっと欠けているのまでわかるよく撮れた写真です。(anikobeさんのところに直リンク)
★カフェテラス「十四夜」 にトラックバックします。
おととい、Blogに、
自分のホームページに置いてある画像を、とうとう直接Blogに載せることができなかったことを書いた。そして、
「何がまちがっているのか、どうもわかりません。
もし、わかったら、どなたか教えて頂けますか?
よろしくお願いします。」
と書いたところ、むっしゅさんが丁寧に、かつ明快に説明してくれました。
「他の鯖の画像ってUPできる? 」
(この鯖っていうのがなんかプロっぽいですね・笑)
答えは「できる」ただし、私が画像を置いた、geocities ではダメということです。
それじゃ、いくらがんばっても、できないわけだなあ。
それで、私はもう一つplalaのホームページも持っているので、そこでできるか試してみることにした。結果は下の通りで、plalaならOKなのでした。
<>
http://www.geocities.jp/miwahiro2002/image/raku4.jpg
(geocities)
http://www8.plala.or.jp/miwahiro//image/raku4.jpg
(plala)
◆Oui! monsieur! ~むっしゅの戯言~
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自分のホームページに置いてある画像を、とうとう直接Blogに載せることができなかったことを書いた。そして、
「何がまちがっているのか、どうもわかりません。
もし、わかったら、どなたか教えて頂けますか?
よろしくお願いします。」
と書いたところ、むっしゅさんが丁寧に、かつ明快に説明してくれました。
「他の鯖の画像ってUPできる? 」
(この鯖っていうのがなんかプロっぽいですね・笑)
答えは「できる」ただし、私が画像を置いた、geocities ではダメということです。
それじゃ、いくらがんばっても、できないわけだなあ。
それで、私はもう一つplalaのホームページも持っているので、そこでできるか試してみることにした。結果は下の通りで、plalaならOKなのでした。
<>
http://www.geocities.jp/miwahiro2002/image/raku4.jpg
(geocities)
http://www8.plala.or.jp/miwahiro//image/raku4.jpg
(plala)
◆Oui! monsieur! ~むっしゅの戯言~
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Blogを始めて5ヶ月。何か変わったことがあるかなあと考えたら、本を読む時間が減った。
仕事と介護の時間は減らすわけにはいかないし、けずれるところといったら、そんなところか。
テレビの「大草原の小さな家」で、主人公ローラのお姉さんメアリーがいうセリフがある。
「現実って、平凡なようでいて、何ておもしろいのかしら。」
その日、学校でとても感動した出来事があったメアリーが、興奮して母さんにそういうのだ。
そして、これは、ちょっといいわけのようになるが、本を読むのも楽しいが、人のBlogを読むのも楽しい。現実を描いていて感動がある。だから、このところ時間ができると、ついBlogを読みにいってしまう。
ところで、今日は本の話し。子どもの本を書いている私は、たくさんの本を読んだ。だから、この1冊を選ぶのはちょっと難しい。
好きな作家を3人あげると、アーサー・ランサム。ローラ・インガスル・ワイルダー。リンド・グレーン。
ちなみに、私の俳号(HN)は、リンド・グレーンからつけた。
一番影響を受けた作家はランサムだけど、一番好きな本はというと・・。ローラ・インガルスの物語でしょうか。テレビのドラマも、すごく好きで、あの長いドラマをほぼ二巡は見たと思う。原作は、もうちょっと素朴な田舎の少女という感じかな。
西部開拓時代に、大きな森や大草原で暮らして生長していったローラ・インガルスの自伝的な物語である。
ローラの目を通して、家族が助け合ったり、自然と闘ったりする姿が淡々と描かれていて、心の奥にしみこんでくる。
ガース・ウィリアムズの絵も、素朴でいい味を出している。
表紙の絵もいいけど、裏表紙の絵もすごくいい。
もうだいぶ前に買ったのだけど、その頃は、まだバーコードがなかった。バーコードは、裏表紙の絵を台無しにしてしまうな、と今日この美しい絵をみて、しみじみ思った。
9冊の本どれも好きだけれど、1冊を選ぶとしたら、それに続く本に出会わせてくれた1作目の「大きな森の小さな家」
これまでずっと、縦長の画像を、うまく本文に貼り付けたいと思っていた。
横長写真は、文章と文章の間にはさんでも、見た感じ間延びしないのだけど、横長は間延びするので、いつもサムネイル表示にて、そこをクリックして大きくするようにしていた。
あともう一つやりたかったことは、私は自分のホームページを開いているので、直接そこの画像をBlogに貼り付けられないかということ。
それで、今日は画像のことを勉強してみました。
tom-chanの「なせば成る」の記事「画像を大きくしたり、小さくしたり してみよう!」 を、すみからすみまで読み、
はじめま略さんの「エディタはじめますた、あぷでーとしますた」で実際にやってみた。
その結果、きのうと、おととい書いたBlogの縦長画像がうまく、右端にのって、その隣りに本文を書くことができました。tom-chanが書いていた通りに、高さも指定したら、ちゃんとうまくいきました。よかった。
・・と簡単なように書いているけど、今朝2時間くらい悪戦苦闘。その結果ようやくできました。くたびれたー。
でも、とうとうできなかったのが、自分のホームページに置いてある画像を、直接Blogに載せること。具体的に、
<img src="http://www.geocities.jp/miwahiro2002/image/raku4.jpg" align="RIGHT"/>(<>は半角)
と書くと、はじめま略さんのエディターでは、プレビューにちゃんと画像が出るけど、それをコピーして、gooの編集画面に貼り付けると、画像は出なくて、×印になってしまいます。
何がまちがっているのか、どうもわかりません。
もし、わかったら、どなたか教えて頂けますか? よろしくお願いします。
◆ tom-chanの 「画像を大きくしたり、小さくしたり してみよう!」
◆ はじめま略さんの「エディタはじめますた、あぷでーとしますた」
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(またまたノッコさんの絵をお借りしました。ちょっとおとといとは、大きさを変えてみました)
夏の巻がスタートした時に「はじまり はじまり」 を書いた。
季節は移り、秋になった。そこで、せっかち歌仙・秋の巻が始まった。
発句を募集したところ、連衆(連句の仲間)から、つぎの句が送られてきた。
朝霧や 川面に鴨の 影静か 明け烏 鳴き交わし飛ぶ 芒原 新涼や 家事する手にも やる気みえ 登頂せり 穂高あおいで 新酒開く 秋ぐみを ほおばる子らの 口赤し 秋蝶を 探して歩く 山路かな 朝まだき 銀杏拾う 二人連れ |
名前を伏せて、せっかち常連の5人で、良いと思う句を選んだところ、一番たくさん票を集めたのが、朝霧の句だったので、それが発句となり、歌仙がスタートした。
連句は5・7・5の長句と7・7の短句を交互に詠んでいく。そして、前の句につけて、次の句を詠む。けれど、前の前の句からは、離れていなくてはならない、というルールがある。ほかにも秋は3句、春も3句続けるなど、いくつか約束事があるので、それを守りながら、句を36句続けていく言葉の遊びである。
連句の部屋 「せっかち歌仙その9・朝霧の巻」 のホームページに、ほとんど毎日のように句をアップしている。Blogを知ると、あまりの簡単さに、新たに連句Blogを立ち上げて、そこでやれたらどうかなあと思うのだけど。でも、全員がBlogにアクセスできるのが前提なので、今はまだ無理か。
もし連句に興味のある方がいましたら、ホームページを見てみてください。自分ならどうつけるか、ちょっと考えながら・・。
(右上の絵は初期の頃発表していた「楽がき帳」という同人誌。長者巻・絵)
きのうのtom-chanの「なせば成る」 を読んだら、5ヶ月目に突入と書いてあった。ということはその3日前からBlogを始めた私も、いつのまに、5ヶ月目に入っていたのだった。こんなに続いたのかと、自分でも驚いた。
最初にBlogをすすめてくれたのは、何度も書いているが、私のパソコンやホームページの先生であるカッパ師匠である。(日々の感想)
それで、すすめられるままに、最初にgooに登録した時は、ちょっとどんなかやってみようと思ったが、いつまでやろうとか、そういうことについては、何も考えなかった。
そもそもBlogという言葉を聞いたのが、その時初めてだったのだ。
それで、自分では当初、日記を書いて、ちょっと知り合いなどに公開して、読んでもらえればいいと考えた。
ところが、Blogというのは、最初に考えていたのとは、まったく違う、ほかのブロガーとの交流が生まれる場所なのだった。参加せずに、ただ見ていた時にはわからなかったが、奥深いところで、楽しい会話や真面目な会話や、ためになる会話、さまざまな会話がなされているのだった。
はじめて一ヶ月半の時に「Blogの楽しさ」について書いた。
あれから、また二ヶ月半がすぎ、思いがけず世界は広がった。
山や山の花の話しをしたり教わったり、
河童や、猫など不思議な世界をかいま見たり、
竹富島の写真をみて、飛んでいきたくなったり、
Blogにのせるやり方など教わったり、
絵便りの世界を知って、自分でも描いてみたいと思ったり、
Blogの句会に参加したり、
百名山に惹かれて、おそるおそるコメントを残したことから、知り合いが増えたり、
カフェテラスでゆったりとした時間を過ごしたり、
生け花の先生をしている友だちの人柄に触れたり、
フェアトレードという新しい世界について知ったり
「古田応援歌プロジェクト」を見て、野球オンチの私でも熱くなったり・・etc
これからもマイペースでBlogを続けながら、少しずつ世界が広がるといいなと思う。
みなさま、これからもよろしくお願いします。
◆カッパ師匠のBlog作成者が増えている。その2
◆tom-chanの 今日から5ヶ月目に突入!
◆お玉さんのあなたが ブログにハマっている本当の理由にトラックバック
右上の絵は、Blogを通して知り合った、ノッコさんの「わたしの日記」 からお借りしました。
1994年「この本だいすきの会」の会報より
これを書いた時から、また10年たった。Kさんだけでなく、たくさんの編集の人たちに、ほんとうにお世話になった。ありがたいことである。
著作一覧に、感謝の気持ちをこめて、担当してくださった編集者のお名前を書かせて頂きました。
「人は、生きている間にぜひ出会いたいものを、心の中にたくさん持って暮らしているのではないかと思う。
心の中に住みついている、そういうものを、何らかの形にとどめておきたくて、私は子どものための本を書いているのではないかと、時々思うことがある。
講談社よりこのたび刊行された「神さまの木」は、アメリカのジャイアントフォレスト(巨大な森)で過ごす、家族の物語である。この本のあとがきにもふれているが、物語に出てくるジャイアントセコイアの巨木に出会ったのは、今から十七年程前、二十五・六才の頃だった。
この木が「地球上で最大の生物」といわれているのを知ったのは、日本に帰ってからのことだ。けれど、とにかく何の知識もなく、ついふらっと立ち寄った国立公園で「シャーマン将軍」という巨木を一目見た時の衝撃を、私は今でも忘れることができない。大きいとか、圧倒されたとか、月並みな言葉では説明できないほど、不思議な存在感があった。一目見た時から、私は巨木のとりこになった。
けれども、その巨木の印象とともに、忘れられないのは、私が(うわーお、何てでっかい木だ)と思っている横で、本当に祈らんばかりにして、木と対面している人々がいたことであった。「昔々、おじいさんからこの木のことを聞いて、ぜひ会いたいと思っていた」人とか、「イエス=キリストの生誕をこの木は知っている。そのほかにも、地球上で起こった二千年のできごとをじっと見守り続けた。本当にすごくて、すばらしくて、美しい」と感激していたクリスチャンだという人。など
など……。その人たちとの出会いが、この本を生んだともいえる。
一冊の本は、著者の思いを受け止めてくれる編集者がいて、絵描きさんがいて(子どもの本の場合)それで、一つの世界を作り出す。そういう意味で、この「神さまの木」は、とても幸運な本だと思う。この本は巨木にすべてがかかっているのだけれど、浜田さんの絵は、力強さと存在感と、そして、あの神々しさが、ほんとうによく出ていて、思わずなでまわしたいくらいだった。
・・中略・・・・
もう一人、「神さまの木」の編集をしてくださったKさんのこと。出会いの不思議ということをよく感じるのだけれど、十何年か前、セコイアの巨木と出会って、この本は生まれた。でも、この本も含めて、わたしのこれまでの本のすべては、Kさんと出会わなければ、生まれなかったと思う。この本で、私の担当を離れてしまったけれど、(えらくなってしまったのね)あの時、七年前に出会えたことをありがたいと思っている。
私は不器用な人間なので、みんなが楽しく乗りこんでいく列車に、どうも一人乗りおくれてしまうことがある。たいていの場合は、まあ放っとけよ、ということになるのだろうが、Kさんは無理やり私の手を引っ張って、乗せてくれた。おかげで、こうして、本を書いている。」
これを書いた時から、また10年たった。Kさんだけでなく、たくさんの編集の人たちに、ほんとうにお世話になった。ありがたいことである。
著作一覧に、感謝の気持ちをこめて、担当してくださった編集者のお名前を書かせて頂きました。
私の好きな巨木の森の話しです。
1993年4月
絵・浜田桂子
講談社(絶版)
小学上級から
「絵かきの母さんと千夏は、ロサンゼルスに住む知り合いの招待で、楽しいアメリカ旅行をする…はずだった。
ところが空港で待っていたのは、知り合いのむすこのジョージだけ。
成りゆき上、三人でジャイアントフォレスト〈巨大な森〉のキャビンに泊まることになったが・・。」
★神さまの木「あとがき」
1993年4月
絵・浜田桂子
講談社(絶版)
小学上級から
「絵かきの母さんと千夏は、ロサンゼルスに住む知り合いの招待で、楽しいアメリカ旅行をする…はずだった。
ところが空港で待っていたのは、知り合いのむすこのジョージだけ。
成りゆき上、三人でジャイアントフォレスト〈巨大な森〉のキャビンに泊まることになったが・・。」
「2500年以上も生きているという、ジャイトフォレストでもいちばんの巨木“シャーマン将軍”の前で、母さんは長いあいだ立ちつくしていた。その目にはうっすらとなみださえうかべて。そして、やがて、この木が母さんに生きる力をあたえてくれたのだと、千夏たちに語りはじめた。・・・本文より」★この本に関するBlog → 「神さまの木」のこと
★神さまの木「あとがき」
きのうは、日野までお墓参りにいった。今年父が亡くなったので、お盆に引き続いてのお墓参りである。こんな私でも、父が亡くなると、そういうことをマメにするようになるんですね。
お彼岸ということで、彼岸花にまつわる話しを。
1995年の出来事だから、もう9年前のことになる。
その年、杉並区の西宮中学5期生の私たちは、初めて同期会を開こうということになった。私も幹事をして、先生の担当になった。住所がわかる先生に連絡をとり、出欠をお聞きする係りである。
ほぼ30年ぶりに、突然、いろんな先生に手紙を書いた。先生は、返信のはがきに当時の思い出だの、いろいろ書いてくださって、幹事っていうのは、多少やっかいでも、いいこともあるなあと思っていた。
藤沢先生という、国語担当の先生から、突然電話がかかってきたのは、そんな頃だった。「同期会は結婚式があって行けないけど、ぜひ遊びにいらっしゃいよ。」といって下さったのである。先生は埼玉県の高麗に住んでいて、近くには巾着田という彼岸花で有名な所がある。今真っ盛りだから、ぜひにと、強引とも思われるほどの口調で誘われた。
実は、私はどう返事をしたらいいか困ってしまった。中学1年の時、たった一年間教わった藤沢先生は、おそらく私のことを覚えていないだろうと思われたのだ。国語の成績は3で、全く目立たない生徒だった。
それに、口の悪い生徒たちは、陰で「山猿」とか「オールドミス」とかいっていた、その先生である。
でも、せっかくの申し出なので、幹事のTさん、Sさんを誘って一日でかけることにした。
一面彼岸花が咲いていた。あんなにたくさん、いっぺんに見たのは、初めてだった。先生は足が達者で、巾着田から、ご自宅まで、4キロくらい一緒に歩いた。途中で、栗を拾ったり(誰かの家のだと思うのだけど・・)、とても楽しい時間だった。家には、ご主人もいらして、栗ご飯をごちそうになった。
それが、藤沢先生に会った最後の時になった。先生は、1998年の6月に交通事故にあい、その年の暮れに亡くなられたのだ。翌年、お墓まいりに行こうと、ご主人に連絡をとろうとしたところ、ご主人も肺ガンで、1999年の年明けすぐに、後を追うように亡くなられたのがわかった。
今になって思うと、あの時藤沢先生は、私に会いたいというよりは、私を通して同期の人たちや、当時の同僚である先生方に、会おうとされたのだ。相変わらず、毒舌家だったけれど、中学生の頃には、あのようにさっぱりとして、自己主張のある、キリッとした人だというのは、わからないものである。あの時、行ってよかったと思う。そして、もちろんその年の同期会では、いろいろな先生や友人に、藤沢先生の写真をお見せして、一緒に彼岸花を見た日の話しをした。
◆anikobeさん「カフェテラス」 あぜ道の彩り
◆「たそがれロ~ド、たそがれ浪漫」の100万本の彼岸花
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ps)どうも新しいテンプレートが見にくいので、まだ元にもどしました。ちょっと色を変えたけど。
お彼岸ということで、彼岸花にまつわる話しを。
1995年の出来事だから、もう9年前のことになる。
その年、杉並区の西宮中学5期生の私たちは、初めて同期会を開こうということになった。私も幹事をして、先生の担当になった。住所がわかる先生に連絡をとり、出欠をお聞きする係りである。
ほぼ30年ぶりに、突然、いろんな先生に手紙を書いた。先生は、返信のはがきに当時の思い出だの、いろいろ書いてくださって、幹事っていうのは、多少やっかいでも、いいこともあるなあと思っていた。
藤沢先生という、国語担当の先生から、突然電話がかかってきたのは、そんな頃だった。「同期会は結婚式があって行けないけど、ぜひ遊びにいらっしゃいよ。」といって下さったのである。先生は埼玉県の高麗に住んでいて、近くには巾着田という彼岸花で有名な所がある。今真っ盛りだから、ぜひにと、強引とも思われるほどの口調で誘われた。
実は、私はどう返事をしたらいいか困ってしまった。中学1年の時、たった一年間教わった藤沢先生は、おそらく私のことを覚えていないだろうと思われたのだ。国語の成績は3で、全く目立たない生徒だった。
それに、口の悪い生徒たちは、陰で「山猿」とか「オールドミス」とかいっていた、その先生である。
でも、せっかくの申し出なので、幹事のTさん、Sさんを誘って一日でかけることにした。
一面彼岸花が咲いていた。あんなにたくさん、いっぺんに見たのは、初めてだった。先生は足が達者で、巾着田から、ご自宅まで、4キロくらい一緒に歩いた。途中で、栗を拾ったり(誰かの家のだと思うのだけど・・)、とても楽しい時間だった。家には、ご主人もいらして、栗ご飯をごちそうになった。
それが、藤沢先生に会った最後の時になった。先生は、1998年の6月に交通事故にあい、その年の暮れに亡くなられたのだ。翌年、お墓まいりに行こうと、ご主人に連絡をとろうとしたところ、ご主人も肺ガンで、1999年の年明けすぐに、後を追うように亡くなられたのがわかった。
今になって思うと、あの時藤沢先生は、私に会いたいというよりは、私を通して同期の人たちや、当時の同僚である先生方に、会おうとされたのだ。相変わらず、毒舌家だったけれど、中学生の頃には、あのようにさっぱりとして、自己主張のある、キリッとした人だというのは、わからないものである。あの時、行ってよかったと思う。そして、もちろんその年の同期会では、いろいろな先生や友人に、藤沢先生の写真をお見せして、一緒に彼岸花を見た日の話しをした。
◆anikobeさん「カフェテラス」 あぜ道の彩り
◆「たそがれロ~ド、たそがれ浪漫」の100万本の彼岸花
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ps)どうも新しいテンプレートが見にくいので、まだ元にもどしました。ちょっと色を変えたけど。
以前郷隼人さんのことを、Blogに書いた。
◆歌人「郷隼人」さんのこと
◆「LONESOME・隼人」
その郷さんの歌が、朝日新聞9月16日付の「折々の歌」にのった。
「人はみなヌード写真を貼り競えり我が独房に桜島山」
今年ヨセミテに行った時に、何度か郷隼人さんのことを考えた。郷さんが収監されているサリナスという所には、以前行ったことがある。セコイア・キングスキャニオン国立公園からドライブして、カリフォルニア州を旅した時のことだ。
今回、サンフランシスコからフレスノまで、国内線にのった。飛行機は、通路を隔てて、片側2席、もう片側1席で、バスといっていいほど小さかった。カリフォルニアのそのあたりには雲一つなく、下の景色が地図のように広がっていた。高速道路もはっきり見えた。あの茶色の土っぽい大地のどこかにソルダットの刑務所はあるのだと思った。
帰ってきてから、郷隼人さんの公式ホームページ「窓光・郷隼人歌集」 を見たら、郷さんからの最新の手紙が掲載されていた。
「カリフォルニアからの便り 9月6日発信」
カリフォルニアには、もう4ヶ月雨が降らないと書いてあった。ヨセミテでのほこりっぽさ、カラカラに乾いていたのは、そのせいだったのだ。
「あの山の向こうに太平洋が在る夕日の彼方に日本が在る」
「ジャンボ機が真綿を曳いて通り過ぐ西へ向かえば乗りてゆきたき」
帰りの飛行機に乗って飛び立つ時、郷隼人さん歌を思い出していた。
と、ここまで書いて、今日(9月20日)が月曜日なのを思い出して、朝日歌壇を開いた。郷隼人さんの句がのっていた。
「<豆腐屋>の彼の訃報を知りし夜に彼の自筆の手紙読みけり」
選者の島田修二さんの訃報を1週間ほど前に見たばかりだった。島田さんの最後の仕事だったと書いてあった。
郷さんは、この夏、二人の大事な人を亡くされたのだ。
郷さんが力をもらったという松下竜一郎さんの「豆腐屋の四季」をぜひ読んでみたいと思う。
◆歌人「郷隼人」さんのこと
◆「LONESOME・隼人」
その郷さんの歌が、朝日新聞9月16日付の「折々の歌」にのった。
「人はみなヌード写真を貼り競えり我が独房に桜島山」
今年ヨセミテに行った時に、何度か郷隼人さんのことを考えた。郷さんが収監されているサリナスという所には、以前行ったことがある。セコイア・キングスキャニオン国立公園からドライブして、カリフォルニア州を旅した時のことだ。
今回、サンフランシスコからフレスノまで、国内線にのった。飛行機は、通路を隔てて、片側2席、もう片側1席で、バスといっていいほど小さかった。カリフォルニアのそのあたりには雲一つなく、下の景色が地図のように広がっていた。高速道路もはっきり見えた。あの茶色の土っぽい大地のどこかにソルダットの刑務所はあるのだと思った。
帰ってきてから、郷隼人さんの公式ホームページ「窓光・郷隼人歌集」 を見たら、郷さんからの最新の手紙が掲載されていた。
「カリフォルニアからの便り 9月6日発信」
カリフォルニアには、もう4ヶ月雨が降らないと書いてあった。ヨセミテでのほこりっぽさ、カラカラに乾いていたのは、そのせいだったのだ。
「あの山の向こうに太平洋が在る夕日の彼方に日本が在る」
「ジャンボ機が真綿を曳いて通り過ぐ西へ向かえば乗りてゆきたき」
帰りの飛行機に乗って飛び立つ時、郷隼人さん歌を思い出していた。
と、ここまで書いて、今日(9月20日)が月曜日なのを思い出して、朝日歌壇を開いた。郷隼人さんの句がのっていた。
「<豆腐屋>の彼の訃報を知りし夜に彼の自筆の手紙読みけり」
選者の島田修二さんの訃報を1週間ほど前に見たばかりだった。島田さんの最後の仕事だったと書いてあった。
郷さんは、この夏、二人の大事な人を亡くされたのだ。
郷さんが力をもらったという松下竜一郎さんの「豆腐屋の四季」をぜひ読んでみたいと思う。