紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

梅雨明け

2006-07-31 08:04:39 | 20・日々のできごと
昨日、7月30日、今年もやっと、梅雨明けした。
昨日山に行っていた人は最高の気分だったでしょう。ウラヤマシイ。

私は行けなかったので、娘が私のパソコンにとりこんだ写真をアップしちゃおう。
山水倶楽部のみなさま、いつも娘がお世話になっています。
(このBlog見ているっていうの、きのう聞いちゃった。フフ……)

去年娘は、夫の属する築地山岳会に入ったけど、今年は、その中の1人が枝分かれさせて作った▲築地・山水倶楽部で活動している。
昨日、山水倶楽部の4人で奥多摩の水根沢に登りにいっていた。
写真は娘が撮影。
いいなあ。気持ちよさそうだなあ。



しかし、この後、どうやって登って行くのだろうか?

となりのトトロ

2006-07-29 14:18:24 | 13・本・映画・演劇・音楽など
昨日、テレビで「となりのトトロ」をやっていた。
娘と母が見ていたので、家事をしながら、Blogのコメント見て笑いながら、返事を書いたりしながら、ちらちらと画面を見ていた。
やっぱりあの映画もノスタルジーを感じさせる。今度またちゃんと見てみよう。

映画を見ながら、急に思い出したことがある。それで、古い新聞を探した。

長い人生のうちには、「あっ!」と驚くことは数々あるけど、その日の朝も、もうすごくビックリした。新聞の日付をみると、1988年4月22日。

ゆったりとした気分で、朝日の朝刊を開き、思わず
「えーーーーーっ。」
と声を上げてしまった。

なんだ、これは……。

朝日新聞の全面に、こんなコマーシャルが。

 
←クリックすると拡大する。


トトロと一緒に写っていたのは、家の息子。

道端で写真を撮られ、いきなりドカーンと新聞に載るなんて経験は、そうそうはない。

後で、担当者から電話がかかってきた。
「坊主頭の子を探していたけど(当時息子は坊主頭だった)、イメージにピッタリなので、使わせていただきました。」
事前に連絡がこなかったのは、別の子が載る予定で、その子の親の了解をとっていたとのこと。

そして、お礼にもらったのは、京セラのカメラ。

昨日引っ張り出してみたら、新聞の色は変質、ところどころ穴もあいている。
こんなに大きく新聞に載るなんて、一生に一度のことだろうから、どこかでコピーしようと思う。

映画会(追写真あり)

2006-07-28 18:26:05 | 9・昔の風景
いつだったかBlogにも書いたが、私が小学生の頃、授業時間を2時間使って、映画会というのがあった。
一学期に一度くらいだったけど、その日、突然映画会がある、とわかると、最高に幸せな気持になった。

ニュー・シネマ・パラダイスでは、町の広場にある教会の映画館は、まだテレビもなかった時代に、老若男女、みんなが集まる、憩いの場所だった。
あの映画を見て、ふと思い出したのが、学校の映画会。

ほんとうに楽しかった。低学年は、前の方のゴザに座る。高学年になると、後ろの長いすに座る。

見た映画は、物語もあったけど、場所が学校だったので、跳び箱に飛べるようになった子どもの話しとか、メガネをかけるのがいやだった女の子が、かけられるようになった話し。など教育的なものもあった。
でも、どんなものでも、みんなで暗い講堂に集まって見る。それだけで、わくわくした。
古いフィルムを借りていたせいか、途中にコゲたあとがあったり、フィルムが切れたりした。先生が急いで、継いでくれた。そんなことも、ニュー・シネマを見て思い出した。

写真トップは、運動会の写真だけど、後ろに写っているのが、その時の講堂。

教室から講堂まで、渡り廊下を歩いていく。歩きながらも、嬉しくて胸がドキドキした。その手前では、トントンがお遊戯をしている。



ついでに、高井戸第二小学校の写真を何枚か載せてみる。

母と。
運動会見物の後なので、疲れてるような母。見物しただけなので、動き足りない私。おそらくトントンを待っているところでしょう。



運動会が終わったトントンと。



別の時の運動会の写真。東校舎。



校庭にあった鉄棒。



映画「ニュー・シネマパラダイス」

2006-07-27 16:59:56 | 13・本・映画・演劇・音楽など
久我山散人さんがDVDを送ってくれたので、早速見た。
この映画がこんなにもなつかしい感じがしたのは、なぜなんだろうか?

昔の景色。昔出会った人々。朝から晩まで好きなことに熱中して、1日がそれだけで過ぎていった子ども時代。今はもう記憶の奥底にしずんでしまった、そんなセピア色の時間を、映画を見ているうちに、ふっとどこかから取り出してみたくなったからか。
最近、一緒に子ども時代の話しをして盛り上がっていた久我山散人さんが、送ってくれたのも、なるほどとうなずけた。

主人公のサルヴァトーレが、ある日、シチリアの母から、アルフレードが死んだとの連絡をもらう。そして、30年ぶりに故郷へ足を踏み入れる。
アルフレードは、トトと呼ばれていたサルヴァトーレが子どもの頃、街での唯一の娯楽であった映画の技師をしていた人だった。トトは、その当時から映画が大好きで、大好きでしかたのない男の子で、映画館に通いつめていた。

ストーリーは、これから見ようとしているトントンのためにも、詳しくは書きませんが、見終わって、一番心に残ったのが、おませで、やんちゃで、無邪気で、賢いトトと、このアルフレードとの交流。アルフレードはものすごくたくさんのものをトトの心に残し、トトの生き方に多大なる影響を与えたのが、最後の頃になってわかるだけど、すばらしく味のある人であった。

映画少年の頃から、映画監督になる間には、青年時代、サルヴァトーレが一目惚れした魅力的な女性との恋がストーリーにからんでくる。
この映画は、劇場公開版と、完全版の二つがあって、その女性と再会しないで終わるのと、再会するのとがあるということだ。私は再会するのがいいと思ったのだけど、いざ再会場面を見てみると、う~ん、再会しないで終わる方がよかったかなあ。

サルヴァトーレのお母さんも、すごく素敵な人だというのが、30年後に訪れた時にわかる。そこもとっても好きないい場面。
ほんとうに心にしみる、とてもいい映画だった。音楽もすてきだった。久我山散人さん、ありがとう♪
「紅蓮さんは強いから(どこが?)泣かないだろう」とのメッセージがありましたが、いや、そんなことなくて、泣けました。やっぱり、泣けるよ。

久我山散人さん(=゜ω゜)ノ!!のコダワリ  さんにトラックバック

連句・夏の巻の反省会

2006-07-26 18:17:50 | 7・連句・俳句・短歌
先日このBlogにも書いたが、せっかち歌仙・その15が満尾した。
それで、昨日反省会をした。反省にもとづき、句は多少変更して、ホームページにアップした。

連句というのは、前の人の句につけて次の人が詠む。けれど、前の前の句からは転じていなくてはならない。付けと転じを繰り返して36句詠む言葉の遊びである。あと、月の定座、花の定座、秋、春は3句続けるなど、いくつかのルールがある。

昨晩は、20句にある「マンザニーリャ」(スペインのシェリー酒)にのっとって、集まったのは、スペイン料理の店「エス・カステリャーノ」

トップの写真。
左手前から、多摩のO脚、茶目猫、晩菊、長者巻、右手前から、良流娯、少艶先生、私(紅蓮)。

スペインの楽器演奏と歌の中で、着々と反省をする我ら。


将棋の大山名人直筆の扇子をもつ長者巻。

「助からないと思っても 助かっている」

含蓄のある言葉のような気がする。


二次会は、渋谷ののんべえ横町で。

こんな看板がかかっているけれど、

みんなでいっぱい飲んだ。


下の写真、左から三番目、二次会から参加の山八訪も一緒に。
連衆のみんながこのBlogを読んでいるのがわかっちゃったので、ちょっと紹介してみた。



エマノン歌仙はただいま進行中です。

連句の部屋

富士山

2006-07-25 06:24:27 | 8・山と旅の思い出
先日の日曜日は、母の介護もあって、どこへも行けないので、山の計画を立てていた。
どこの山かというと、富士山。
今年の9月には、何十年ぶりかで、登ってみようと思う。

10月アタックするキナバル山の、高度順化トレーニングの一貫である。
私のBlogを読んでくれているmalikさんと変愚院さんにすすめられなければ、もう一生登ることなどなかったかもしれない。

20歳の成人の日に登り、そんなメデタイ日だというのに、山頂に登った直後かなりひどい高山病にやられた。
もう1人、成人の日を迎えた山仲間の女性は、その日、凍えそうな山からの下山途中でみんなにはぐれ、もうちょっとで命を落とすところだった。頂上は零下30度くらい。息もマツゲも凍るほ寒く、全山、氷の滑り台という感じだった。

その人が、なぜはぐれたかといえば、高山病になった私のために、先に御殿場口、今の新五合目の小屋に下って、小屋の中を暖めてくれようとしたのだ。

友人がその日助かったのは、今でも奇跡だと思っている。でも、奇跡をおこすための体力、知力、精神力、自立心、いろいろ備わった人だったのだ。
寒風がビュービューと音をたてて吹きすさぶ中、一晩中その人の帰りを待った、あの時ほど長い夜を過ごしたことは、それ以後一度もない。
その日から、富士山は遠くから眺める山だと心に決めた。

もちろん、今度は夏。といっても、9月と言えば、もう秋か。

その時助かった友人は、今は岩手県の中学校で仕事をしている。ということを、何年か前に「この本だいすきの会」で出会った岩手支部の方が教えてくれた。

(写真:小林純氏撮影「雲の峰より」)

この本だいすきの会

2006-07-23 07:46:49 | 2・仕事の周辺
もう15年ほど前から、「この本だいすきの会」という子どもたちに本の読み語りをするグループの末席に連なっている。教師、お父さん、お母さん、保育士、いろんな人たちが、日本全国の学校や保育園、病院さまざまな場所で、子どもたちに読み語りの実践を続けている。

大きな集会があると、私も作家として、その会に招かれる。作家や絵描きさんも大勢くるので、ふだんあまりそういう人たちと接することがない私は、お話しするのも楽しみな集まりであった。
けれど、この7-8年ほど、両親の介護で忙しく、ほんの少しあるフリータイムは全て山登りに行ってしまったため、ほとんど会合に行くことがなかった。その間、心の中でずっと、気にし続けていた。

それが驚いたことに、今年3月沖縄の竹富島を訪れた時に、京都支部の水野さんと出会った。あんな遠くの離島で。そして、友人の家で一緒に泡盛を飲んだ。

竹富島便り・1

帰ってから、代表の小松崎進む先生に、ご無沙汰していたお詫びかたがた、近況報告、水野さんと出会った報告などしたため、その頃刊行された本と一緒にお送りした。
そうしたところ、温かい、ほんとうに温かいお便りが来て、感動した。
そして、また「この本だいすきの会」の人たちは皆、とても熱心だけれど、コマ先生の求心力が働いているからだと思ったりした。コマ先生にはいつまでもお元気で、みんなを引っ張っていってほしいものである。

そんな縁で、先日「この本だいすきの会」の会報に、「きっとどこかの空の下で」に関する文章を書かせて頂くことになった。


←クリックすると大きくなる。

この文章に載せた感想を寄せてくれたのは、いつも私のBlogにコメントを残してくれるさとさん。
この場を借りて、お礼を申し上げます。どうもありがとう♪

白馬岳の花

2006-07-22 07:20:18 | 3・山の日記
今年も、ずいぶんたくさんの花に出会った。
高山でしか会えない、可憐で、強い花たち。
やはり、一年に一度は出会わないと、何かし残したような気分に陥る。

ホイッスル山の会には、花の「博士」N氏がいて、一緒に山に行くと、いつも花の名前を教えてくれる。(今年は体調を崩されていて、8月の剣岳には参加されませんが、一刻も早いご快癒を祈っています)

そのおかげもあって、ずいぶん花の名前を覚えたのだけれど、なんせその花たちに出会うのは、一年に一度のこと。翌年には忘れてしまっていたりする。(泣)
何回も何回も教えてもらって、やっと頭の中にインプット。

今年出会った花のいくつか。

天狗の庭のあたりから上で見た花。キヌガサソウとタカネバラ。ちょっとピントがぼけてるのは、いい方のカメラを娘に貸しちゃったから。



シャクナゲ、オオバミゾホウズキ



ミヤマアズマギク、ゴゼンタチバナ



稜線にでると、
シナノキンバイとハクサンイチゲ、イワカガミとアオノツガザクラ



写真には撮れなかったが、いつもみるチングルマ、ミヤマキンポウゲ、チシマギキョウもたくさん咲いていた。

高山植物の女王、コマクサ、イワベンケイとウルップソウ。



まだ他にもたくさんの花が咲いていた。今年もいくつか花の名前を覚えた。

<山行記録>
1日目 
2日目
白馬岳の花
計画表

2日目:白馬山荘~蓮華温泉

2006-07-20 21:23:29 | 3・山の日記
前夜、翌日のことを話し合った。もうとにかくひどい暴風雨で、山小屋の外からはうねるような音が、絶えず聞こえてくる。
朝日岳は、とても魅力のある山だけれど、おりようという意見が多数占めた。
ただリーダーのW氏だけは、行きたがった。そりゃあそうなのだ。白馬までは何回も登ったことがあって、今回も、朝日岳に登りに行くために、通過地点として、そこまで登ってきたようなものだ。
サブリーダーの夫は、朝日どころか、こんなんじゃ、下山も無理で、停滞かもしれないという。
結局、決定は翌朝にもちこされた。

■7月17日

朝、少し風はおさまった。が、猿倉までの道は閉鎖されたとか、はっきりとしない情報が流れてくる。
車も蓮華に置いてきているし、同じ道を下るのが一番よいということになった。

7:00 白馬山荘出発
風は相変わらず強かったけれど、身体を低くかがめないといられない程ではない。

7:20 白馬岳山頂
休みもとらず、足も止めず、どんどん進む。

7:45 三国境
ガスが薄くなって、前方が見えた。

8:30 小蓮華
前日が大変だったので、あっという間に小蓮華に着いた感じがした。
雨は降っていたものの、視界は前日より広い。



しばらく進むと、白馬大池と小屋が見えてきた。



10:05 白馬大池


休憩と食事。

10:50 白馬大池発
ここまでくれば、もう安心。休みもとらずに下り続けた。

1:30 蓮華温泉ロッジ着
温泉に入った後、食堂に行くと、malikさんはすでに到着していた。

malikさんとは、初日に会わなかったので、とりやめたか、日にちがずれていたかだなあと思っていた。
だから、2日目の朝、白馬山荘で、声をかけられて、ビックリした。
Blogを開いていなければ、会ってもすれちがうだけだった人と、出会ったり話しもするのだからおもしろいなあと思った。

malikさんもその日は同じロッジに泊まることになっていたので、くすの木の6人と一緒にお酒を飲んだり、食事をしたり、蓮華温泉の露天風呂めぐりをしたりした。



(写真トップ:白馬大池の小屋)

<山行記録>
1日目 
2日目
白馬岳の花
計画表