紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

その後

2005-01-31 06:08:54 | 2・仕事の周辺
アーサー=ランサムのような物語を書けないかと考えてから、8年後。
私は「子どもたち山へ行く」という題で、一般公募していた、講談社の児童文学新人賞に原稿を送り、新人賞をもらうという幸運に恵まれた。
その時の審査員、佐藤さとる先生から、「アーサー=ランサムを思わせる冒険小説風な味がよかった」といってもらえたのは、私にとって最高のほめ言葉だった。
まさに幸せの絶頂。

ところが、困ったことがおきたのはそれからだ。

新人賞の作品が「ぼくらの夏は山小屋で」と改題して出版されると、全く考えもしなかったことに、「アーサー=ランサム」的発想の物語だという感想(批判?)を、たった一人ではあったが、送ってくれた人がいたのだ。図書館員の人だった。
それは、当然の感想だった。が、私が本を書き続けていこうと思うなら、いったんはランサムから離れることが必要だということだった。
つまり、それまでランサム目指して書いていたけど、それからは、ランサムから離れても、物語が書けるかどうかが、私の課題となった。

そうして、3作目の「パパさんの庭」で、ようやく何とか離れられたか? と思った。

今は、ランサムの世界から離れてから、20年くらいたつ。そろそろ、また再読したいと思う。
今なら、影響は受けても、ちゃんと消化できるのじゃないか・・。でも、まだまだかもしれない。

(3番目に好きなのは「ツバメ号の伝書バト」。写真:登場人物たちはこのような野山を駆け回った。)

◆ランサムの物語に関連して
 「アーサー=ランサムとの出会い」
 「ランサムの物語に出会って」
 「その後」
 「新人賞に応募していた頃」 
 

ランサムの物語に出会って

2005-01-30 09:08:59 | 2・仕事の周辺
「ランサムの物語は、子ども達がイギリス北部の湖沼地帯や、南部の川などあちこちで、帆走、釣り、キャンプ、登山などをして遊ぶ、休暇の話しである。1冊、また1冊と読み進むうちに、私はこの物語と物語に出てくる子どもたちが、ますます好きになっていった。

けれど、十二冊目まで読んだ時、私は非常にショックを受けた。その最後のページに「アーサー・ランサムへの別れのことば」と題する追悼文が載っていたからである。

私は最初から、この物語が十二冊しかないのを知っていた。でも、待ってさえいれば、また必ずいつか続きは書かれ、翻訳され、物語の中で、あの子供達に会えると信じていた。ところが、その物語の世界を創りだすランサムが亡くなったことで、永遠にそのチャンスはなくなってしまったことがわかったのである。すでに書かれている十二冊の物語の中でしか会うことはできないのだと、悟った。私は仕方なく、それらの物語をくり返し読んで、新しい物語が出ない寂しさの埋め合わせをしようとした。

けれども、やがて私は同じ物語を何度も読むことに、限界を感じはじめた。読むたびに面白さは感じるものの、世界はどうしたって、それ以上広がりようがないのだ。

そのことにはっきり気がついた時から、私は自分でも、アーサー・ランサムのような物語を書けないだろうか、と考えはじめた。」
(雑誌・日本児童文学 「創作入門教室」に書いた文章から抜粋)
私が子どもの本を書こうと思ったのは、ランサムの本に出会ったから。
そして、ランサムの本が12冊しかなかったから。

今思っても、図々しい発想だけど、人は自分が思ってもみなかった方向に進むという時には、何かそういう強い理由を心のどこかに持っているものかもしれない。私はそれまで、文章を書くのも大の苦手なら、本を書こうなんて、考えてみたこともなかったのだ。

追記)この話しには、まだつづきが・・。

(写真は2番目に好きな「ツバメ号とアマゾン号」の舞台。コニストン湖)

◆ランサムの物語に関連して
 「アーサー=ランサムとの出会い」
 「ランサムの物語に出会って」
 「その後」
 「新人賞に応募していた頃」 
 

アーサー=ランサムとの出会い

2005-01-29 07:20:03 | 2・仕事の周辺
もしあの時、あの人に出会わなかったら、あの場所にいかなかったら、あんなことをしなかったら・・。
今の自分の人生は違っているかもしれない、ということはたくさんある。そんなことの連続で、人生はなりたっているのかもしれない。

私の場合、もしあの本と出会わなかったら・・。
今本を書いているだろうか。

『アーサー=ランサム』の本との出会いは、私の人生を変えたと思う。

イギリスの作家、ランサムは、12冊の冒険の物語を残した。子ども時代にも何冊か読んでいるのだけど、その時は、おもしろかったものの、他のいろいろな本にまぎれて、さらりと通り過ぎてしまった。

それが、ランサムの世界に思いっきり引き込まれたのは、大学時代に出会った「海へ出るつもりじゃなかった」。
おもしろかったのはもちろんだけど、生まれて初めて、自分も物語の世界に入り込んだ気がした。といっても、その時はすでに大学生だったので、自分が子どもになって、物語の世界に入り込んだといったらいいだろうか。自分が物語の中にいるという、不思議な感覚を味わった。

明日は、私とランサムの物語との関わりについて書いた文章があるので、それを載せたい思う。

今日はここまで。
ということで、ランサムの本で一番好きなのは、「海に出るつもりじゃなかった」

◆ランサムの物語に関連して
 「アーサー=ランサムとの出会い」
 「ランサムの物語に出会って」
 「その後」
 「新人賞に応募していた頃」 
 「物語の長さ、すなわち原稿枚数 」

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(写真はランサム7作目の本「海に出るつもりじゃなかった」)


今年はどの山に登ろうか

2005-01-28 12:36:30 | 3・山の日記
年末、仙丈岳に登りにいったきり、どの山にも登らないうちに、早くも一ヶ月が過ぎ去りそうだ。
一ヶ月間山から離れていると、山に登りたいという気持ちがむくむくとわいてくる。

夫が、今週末、上越の白毛門岳に登りに行く。もちろん、あのようにラッセルが大変な山は、私にはこの時期登れないけど、そばで、いそいそと支度をしているのをみると、うらやましい。どこでもいいから私も登りに行きたくなる。
どこでもいいけど、できれば雪のある山に登りたい。

そんな話しを家でしていたら、娘も行きたいという。それで、来月は奥多摩の雪のある山にちょっと登ろうかという話しになった。友人の良流娯さんも誘って、3人で登りに行くことになった。
そのため、きのうは新宿のカモシカスポーツまで、娘と一緒に山の洋服を買いに行った。
一通り娘も山に行く格好が整ったので、あとは山を決めて行くばかりである。

今年はどの山に登るかなあ。と考えると、どうしても登りたい山は、仙丈岳。年末雪のある時に再度挑戦するために、雪のない時期に一度登っておきたい。その時には、時間が許せば、甲斐駒も登りたいかな。
他にも登りたい山はたくさんあるけど、フリーな時間はたくさんはないので、優先順位をつけて登りに行こうと思う。

(写真は昨年登った奥穂高岳)

スキップ

2005-01-26 07:48:09 | 19.友人との時間
きのう、おとといと、高校時代にスキップしたり、大学時代にスキップしたり、また別の時代にスキップしたり。
中学から大学まで同じ学校に通った、沖縄県・竹富島在住のTちゃんが来京。二日間、いろいろな友だちと一緒に会った。

最初に出会ったのが中学時代。というと、まだ12歳の時なのである。それからウン十年の月日がたつが、どこか根っこの部分は、人は全く変わらないなあと思う。
人生で一番多感な時期に出会ったので、よく考えると、ただ一緒に楽しい時間を共有していただけではなかった。迷ったり、悩んだり、困ったりしたことを話していた方がずっと多かった気がする。
よく、はしがころげても可笑しい、といわれる年代だったかもしれないけど、ほんとうはそれだけではなかった。

いくつになっても、一緒にスキップできる。なおかつ、同じ時代を一緒に歩いて行ける友人、仲間がいることの幸せを、しみじみと感じた二日間であった。
つぎは、ぜひ竹富島で会いたい。

注)スキップ・・北村薫・著の小説 (新潮社刊)

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時間の流れ

2005-01-24 12:04:25 | 9・昔の風景
昔は時間がゆっくりと過ぎていった。
まだ小学生になる前の子どもの頃。
家の近くを井の頭線が走っていた。
吉祥寺と渋谷を結ぶ、わずか25分の短い電車。
家は途中の久我山にあったので、渋谷まで、たったの20分。
その20分が、がまんできないほど長かった。死にそうなほど退屈した。

時は過ぎ、小学6年生の頃、遠足で渋谷のプラネタリウムに行った。
同じ電車に乗って驚いた。あんなに長かった電車が、うそのように短く、退屈もせずに、渋谷の駅に着いてしまったのだ。

歳が上になるにつれ、世界は広がり、時間の過ぎるのは早くなる。

(近くの橋から、井の頭線を見る。真ん中が私)

シャンソンのコンサート

2005-01-23 10:41:45 | 13・本・映画・演劇・音楽など
あっという間に、今年も20日以上過ぎてしまった。
早い。早い。早すぎる。
歳をとるとともに、月日の過ぎるのが早くなるって、ほんとうだなあと、しみじみ思う。

以下はきのう、1月22日(土)の日記。
(きのうアップしようとしたけど、gooにアクセスできず、あきらめた)



最近では、朝5時前に起きて仕事をしているけど、今日は、仕事はしないと決めていたので、6時起床。ちょうど娘が仕事に出かけて行くところだった。娘は夜も、寝た時間も知らないほど、おそくまで起きているけど、若いからあれでだいじょうぶなのだろう。私なら、あのような生活、1週間ともちそうにない。夫もその後、仕事に行く。
8時に母が起きてきたので、注射をし、一緒に朝食。

9時半に、久我山の家に帰る母を車で送っていき、帰ってから、自転車で、調和小学校のプールへ。
いつもは深大寺のプールにいくけど、改装工事中なので、そちらのプールに行くことにした。
自転車で片道20分。深大寺よりちょっと遠いけど、大好きな野川沿いの道を行くので、苦にならない。
まだ二回目だけど、深大寺よりずっとすいている。ゆっくりと、気持ちよく1キロ泳ぐ。

先週一回目は、雨だったので、車でいった。その時、駐車場がないのを知り、泳ぐのをやめて帰ろうかなと思ったら、職員の人から、車をみていてあげるから、泳いでいらっしゃいといわれ、助かった。以後自転車でゆくことにする。

午後は、姉が母をみてくれることになり、友人Kさんのシャンソンのコンサートへ。
「森のテラス」という民家を使ってのコンサート。バイオリンのYさんとの共演。
もう10年ほど前から、毎年Kさんのコンサートを聴きにいっている。
何回も聴きにいっているうちに、Kさんの友だちとも知り合いになり、そこで会えるのも楽しみの一つ。
聴きにきている人はみな、KさんやYさんの職場の同僚や友だちなので、リラックスした中で、行われた。
こうやって、仕事以外で、輝ける時間を持つっていい。人生が豊かになるなあ。と毎回思う。

  「生きる時代」
愛する あなた 私達は同じ時代を生きている
歴史の中のほんのわずかな とても短い今を
時が過ぎるあまりに早く 限りある命限りある時間
・・・略

うっとりと、Kさんの歌に酔った。

終了後は、いつものごとく二次会。三次会と、盛り上がった。

(写真は、二次会。 真蘭さん、Yさん、Tさんと)

あの頃

2005-01-21 15:14:06 | 15・心に残ること
中学生の頃、おとなになった自分など想像したこともなかった。
高校生の頃、そろそろ大人になる準備をしなくちゃなあと、心のどこかで思っていた。
大学生の頃、いつの間にか、もしかしたら、もう大人になっているのかもしれないと思った。

だけど、ふと考えると、心の中味は、いつまでたっても変わらないなあ。生長がないというか。(笑)

中学生の時から大学まで、同じ学校に通った友だちのTちゃんが、沖縄の竹富島から、東京にやってくる。多分会うのは、十何ねんかぶり。
久しぶりに会えるのが、ほんとうに嬉しいし、楽しみ。
いくつになっても、会いたいと思う友だちがいるって、すごくしあわせなことだなあ。

(写真:高校水泳部で一緒だった)

連句始め

2005-01-20 15:06:36 | 7・連句・俳句・短歌
せっかち歌仙・冬の巻が、先日スタートした。
最初に発句を募集したところ、次の句が送られてきた。

かさこそと 枯れ葉踏み行く 二人連れ

冬の朝 真白き富士の 凛として

成人を 祝うて交す 親子酒

振袖の 娘肴に 祝い酒
 
新雪を 踏みて 高みを目ざすかな

雪まとい まばゆく光る 駒の山

さくさくと 霜柱踏む 老いの坂


参加希望者5人で、よいと思う句を投票したところ、全員がそれぞれ別の句を選んだ。すべて1票ずつでどんぐりの背比べ。
それで、仕方なく私が独断でクジをひいたところ、
発句  さくさくと 霜柱踏む 老いの坂         少艶
に決まった。つけと転じの連句の世界。今年も楽しみつつ、歌仙を巻きたいなと思う。
もし興味がありましたら、せっかち歌仙・その10「霜柱の巻」をごらんください。

先日、連句関連のホームページを検索していたら、「ISB WEBSITE」四国インターネット・サービス・プロジェクト の「リンクのページ」に、このBlog▼紅蓮の日常▲ と私がせっせと句を載せているホームページ「連句の部屋」がリンクされていて、ビックリ。

そのリンク集のページの一番上に「猫蓑ホームページ」が載っていた。その連句の集まりの主催者は、東明雅さんで、その方の「連句入門 芭蕉の俳諧に即して」(中公新書)は長い間、私の教科書にさせて頂いている本である。

(上の絵は、以前歌仙を発表していた同人誌の表紙)

ミルフォードトラック・その4

2005-01-19 06:31:40 | 8・山と旅の思い出
最終日は、これぞミルフォードというような大雨に見まわれた。

道は平坦だけれど、22kmと、一番長い行程だった。
山小屋で、荷物を飛行機で運んでもらうことができるといわれたが、大した荷物でもないので、頼まなかった。が、途中あまりにすごい雨に、運んでもらえばよかったと、ちょっと後悔した。

氷河でけずられた岩壁全体に、たくさんの滝となって、雨水が流れ落ちていた。みんな、びしょぬれになって、ひたすら歩く。ひざの上まで水につかるので、靴も靴の中も、ずぶぬれだった。

午後3時頃、やっと、最終地点のサンドフライポイントに着いた時は、ほっとした。船にのって、ミルフォードサウンドにあるホテルまで行った。船の中で気がついてみると、軽登山靴の底が半分縫い目が破れて、ばっくりと口をあけていた。
山を歩いている時に、あかなくてよかった。


その日、ホテルで完歩証をもらった。(写真上は、ツアー客の代表が、ガイドさんにお礼をいっているところ。)
その後、10人くらいずつに分かれて、テーブルを囲んで、ディナー。

翌日、船でミルフォードサウンド観光をした後、また最初に泊まったテ・アナウのホテルまでバスでもどって、解散。仲良くなったみんなとの別れが惜しまれた。
今思い出しても、楽しい旅だったなあと思う。


世界一美しい遊歩道

太古の森

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