紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

竹富島便り・2

2006-03-31 12:12:37 | 5・旅の日記
■サイクリング

竹富島での二日目は、島内サイクリング。
この日だけは、丸々竹富島にいられる。翌日は他の4人は、朝の船で帰ることになっている。(私は2時過ぎの船)

以前来た時は、島の周遊道路はなかったが、今は舗装された道が集落を囲むように通っている。
1週3.3km。一番南のヴィラ・たけとみからスタート。時計回りに進んで行く。
舗装道路をいくと、そこから海に行く道が出ている。



今にも雨が降り出しそうな天気。でも、空が広々として、のびやかな気持ちになる。
あっという間にコンドイビーチは通り過ぎて、西桟橋へ。
西桟橋は、いつか来てみたかったところ。



3人は水着を着ているけど、う~ん、ちょっと泳げそうもない。半袖に上着が必要。

クヤマの墓や、新里村遺跡などを経て、港にあるゆがふ館目指す。
途中、でいごの花が咲いているので、立ち止まる。



ゆがふ館でお茶を頂く。とこちゃんだけ、熱心に話しを聞いていたが、他のみんなはただお茶を飲む。



その後は、集落の中に入って昼ご飯を食べようということになる。
竹の子でそーきそばを食べる。外で食べようとしていたら、どしゃぶりに。店の中に入ることにした。



ここでもらった地図がとてもよかったので、トップに載せてみた。もうちょっと大きいのは、ここにある。

◆竹富島便り・     

竹富島便り・1

2006-03-30 06:37:11 | 5・旅の日記
■離島巡りツアー
石垣島に着いた翌日は、離島巡りツアーに参加した。
といっても、一日だけなので、西表島のさわりを見て、由布島に渡って昼食。それから竹富島観光。
そのまま、竹富島に2泊した。

船はけっこう揺れた。天候が悪かったのだ。途中ものすごい雨が降り、あまりに揺れるので、酔いそうだから眠ることにした。ところが、あっという間に太陽が出て、海いっぱいの虹が出たそうだ。見そこねてしまった。40分ほどで、西表島着。



仲間川を遡る。港からバスで仲間川河口まで連れていってくれた運転手さんが、船も運転する。途中、植物の説明などもしてくれたり、冗談もいって笑わせたり、観光業のプロだなあと感心した。

珍しいサキシマスオウというの木の前で写真を撮る。このびらびらしたのは、木の根ということである。(左)
この後由布島へ渡る。あきおさんの引く水牛車。(右) 



竹富島では、水牛に乗ったり、バスでビーチを案内してくれる。
そして、ツアーは終了し、めでたく「カンパイ!」



■竹富島の夜

夕方多美ちゃんが来てくれて、夜は、多美ちゃんも一緒に飲むことに。
しかし、世の中、不思議な出会いというのがあるものだ。

夕方、多美ちゃんが来て
「水野さんという人が竹富島に来ている。昼間連絡があって、頼みたいことがあるというので、翌日会うことになった。」という。しかも、
「その人が私(紅蓮)のことを知っている。」という。
「えーっ、水野さん? ってどこの水野さん?」と聞くと、
京都の「この本だいすきの会」の水野さんだという。


その水野さんなら、Blogを始めてすぐに書いたことがある。
あの時のリンゴの木は・・・
で舞鶴に招いてくださった水野さんだ。

その夜、みんなで多美ちゃんの家に押しかけると、水野さんにも連絡をとった。
水野さんは、もう飲んだ後で、ほとんど眠りかけていたところだったらしいが、無理矢理起こして、久しぶりに泡盛を一緒に飲むことに。
そりゃあ、こんな風に会えるなんて、一生に何度もないんだから、来なくちゃね。
ほんとうに久しぶりで会えて楽しい時間を過ごした。


作者のちひろさん本人に本を読んでもらう孫のTちゃん。



「この本だいすきの会」のことは、また別の機会にBlogに書こうと思う。


◆竹富島便り・     

竹富島に行ってきました!(追記あり)

2006-03-29 06:42:23 | 5・旅の日記
一緒に行ったのは、大学のクラスメート3人(淑ちゃん、とこちゃん、カワウラ氏)と、妹さん(石津ちひろさん・絵本などの作家)、私の5人。男女比がビミョーにアンバランス(?)であったが、楽しい、ほんとうに笑いころげて終日を過ごした日々だった。
みんな10代の若者に返って、石垣空港で喜びの再会をしたが、あまりにはしゃいで、初日石垣島に1泊したのに、1枚の写真も撮らなかった。ということに、帰ってから気が付いた。

翌日、離島を巡った後、大学時代(私にとっては中学、高校もだけど)の仲間、M・多美ちゃんが住む竹富島に渡った。
竹富島は、星砂でも有名なところ。
この写真は、みなしゃがんで何をしているかというと、カイジ浜で星砂をとっている。
残念ながら、曇りや雨が多かったが、空は広く、海の色がちがう。空気もおいしい。
これで晴れていたら、もっとエメラルドグリーンが濃いそうだ。



竹富島では三日間を過ごした。
多美ちゃんを囲んで写してもらった写真。私たちが泊まっていたヴィラ・竹富で。



ところで、淑ちゃんの妹さんの石津ちひろさん(右上)のご紹介です。
毎月、第何木曜日かの朝日新聞夕刊で「ちひろのびっくり箱」を連載しています。(ちょうど旅の2日前の夕刊)
「桜開くさ」などの回文(上から読んでも下から読んでも同じ)の達人。
「まさかさかさま」など多数の言葉遊びの本を出版している方です。

という話しを姉のトントンにしたら、早速回文が届いた。

いい波 見てみ 皆いい
  (いいなみ みてみ みないい)    トントン


◆竹富島便り・     

明日から沖縄・竹富島

2006-03-24 10:58:27 | 5・旅の日記
明日から4日間、大学時代の友人たちと沖縄の竹富島へ行ってくる。

本島よりだいぶ南に位置する石垣島から、またさらに船で30分ほど行った所にある小さな島。
そこには、友人のM・多美ちゃんが住んでいる。多美ちゃんとは、中学、高校、大学が一緒だった。

竹富島に行くのは、おおよそ14年ぶり。
前回行ったのは、中1の息子、小5の娘の春休みだった。
その時は、高校時代の友人のFさん一家と訪れた。
あれから月日は流れ、子どもたちはもうみんな大人になってしまったけど、島は今も変わらずにあるような気がする。
時間がゆっくりと流れる場所。

天気はあまりよくなさそうだけど、もしもということもあるので、水着、シュノーケル、マスク持参で行ってこよう。

(写真:前回いった時の)

本棚より 「日本の風土を描く」

2006-03-23 11:16:06 | 13・本・映画・演劇・音楽など
この本は画集である。絵を描いた小笠原先生は、私が高校1年生の時の担任で、英語の専科の先生だった。
残念なことに、癌を患い1997年3月27日に永眠された。

小笠原先生が、型染という技法によって、このようにたくさんの絵を残されたのは知ったのは、私が高校を卒業してから28年もたってからだった。
ある日、NHKの「関東甲信越小さな旅」を見ていて、闘病中の先生と、たくさんの絵が紹介され驚いた。
同時に、放映の2週間ほど前に永眠されたのを知った。


それから、NHKに勤める高校時代の友人に連絡して、その時のビデオを入手して、高校時代のクラスメートに回した。ちょうどその年、銀座で遺作展が開かれるということで、その日にあてて、小笠原先生が担任をした2クラスで、クラス会も開き、なつかしい再会を果たした。

その時に、この画集を買い求めた。先生が日本中を歩き、その人柄のままに優しい色調で描いた四季折々の風景画がたくさん収められている。

あれから、9年の月日が流れた。
今年、最後の展覧会が3月25日~30日まで、杉並区久我山の画廊で開かれるそうである。
私は25日から28日まで留守するので、ぎりぎりの30日には、ぜひ見に行きたいと思っている。

■小笠原賢雄・手彩色型絵展

「Garally 藍」
 
杉並区久我山4-50-1 TEL 03(3247)1730

2006年3月25日(土)~30日(水)

11:00~7:00(最終日は4:00まで)

◆詳しくはこちらをご覧下さい。
 

月曜日はツアーの日

2006-03-22 07:07:21 | 4・テレマークスキー日記
まほろばでは、毎週月曜日はツアーの日となっている。その日によって、初心者、中級者、上級者に分かれて、ゲレンデ外のバックカントリーに出かけて行く。
私はテレマーク初心者なので、初心者のためのツアーに参加申し込みをした。つもりだった。ところが、フタをあけてみたら、中級者に変わっていた。
しかも、いつもはいているカービングの板にシールではなくて、細板でステップカット。(板の裏に、ウロコと呼んでいる模様が入って、ちょっとでこぼこしている)
だいじょうぶかなあと思ったが、とにかく、ついていくことに。

■栂池自然園

朝は快晴。だけど、白馬連山は見えない。上は風が強いという。
もしロープウェイが動いていたら、栂池自然園まで上がって、そのあたりの斜面に登って何回か滑っておりることになった。
その日の参加者は8人。娘と私以外、もう長い間テレマークをしている人たちばかり。それも、革靴、細板の人もいる。
私はひろ先生からお借りして、初めてビーコンを携行した。雪崩にあった時に位置を見つける機械である。

ゴンドラに乗り、一番上で、ロープウエイに乗ったのが、10時。その後、すぐにロープウェイは強風のために止まってしまったので、登れたのはラッキーだった。

標高約1900mの栂池自然園に着くと、係の人から、中部山岳国立公園での注意事項の説明がある。
■雪崩発生地域、立ち入り禁止区域には入らないように。
■ここでは何か起こったら、ヘリコプターの要請など、自己負担で行う。

外に出てみると、強風が吹きまくっている。
少し歩いて、ヒュッテの近くまで行き、そこの深雪の斜面を登っていく。


石木田先生が写真を撮ってくれた。左は娘。
こんな風に立って滑っている時はほどんどなく、大半はころんで起きるのに体力を費やした。下が私。




バックカントリースキーは、難しいと実感。けど、楽しい。

その日の風の強さといえば、時折身体を低くして、2本のストックにつかまって、じっとしてなくてはならないほど。
娘は、あっという間に、風に倒された。
じっとしていると、そのまま雪に埋まってしまいそうである。


こういう時のために、ツエルトは必ず持参するようにいわれる。
ためしに、娘と一緒にかぶってみると、防風の役目をしてくれて、とても暖かい。
ベンチレーターから顔が出せるツエルトを、早速買うことに決める。


そんな風にして、帰りは、神の田圃でも、何本か斜面を登り滑る。私には全く歯が立たない。
本当に大変な一日であった。でも大変だったが、このままでは今シーズン終われないという感じにもなっていて、どうするか?・・。

3時頃解散。4時にタクシーを頼み八方のアルピコバスターミナルまで行き、5時の高速バスで帰ってきた。

栂池に行ってきました!

2006-03-21 10:54:13 | 4・テレマークスキー日記
今シーズン2度目の栂池。
今回は、「まほろば」の石木田ひろ先生から、センスアップの講習を2日間にわたって受け、翌日は一日ツアーにも参加するという、欲張った計画でいってきた。

でも、この週末、八ヶ岳、谷川連峰でも遭難が相次いだように、栂池でも、リフトやゴンドラが止まる日もあって、天気はよくなかった。

初日は、昼頃着いて、午後1人であちこちのゲレンデで滑っていたけれど、ガスが濃い上、前夜は雨だったとのことで、コンディションはよくなかった。
ゲレンデはがらがらだったけど、どこもかしこも濃いガスで、自分がどこにいるかわからなくて、リフト係の人に、場所を聞いてしまったほど。そのうち、上に行くと、ガスの上に出てしまうのがわかり、上の方で滑ることにした。

■センスアップ講習

初日は、午前、午後。2日目は午前中、講習があった。最初は、ひたすら歩く練習。テレマークスキーは、ヒールフリー(かかとが上がる)なので、歩くことが可能な道具。最近スノーシューがはやっているけれど、アルペンスキーよりは、そちらに近い道具だとのこと。

その後、ターン練習に入る。その際に、柳刃包丁で、刺身を切るように、やわらかく雪面を切っていくようにといわれる。
また、今までは、ターンの時に、前に行く足(谷足)を先に出すことでモーションをおこしていたが、今回覚えたのは、逆に、軸になる足の前の部分(台形部分と呼んでいた)でまず体重を支え、そこを起点に回ることで、ターンの行動を起こすのがわかって、目からウロコ。
それと、ターンのたびに上下動をしないこと。

今までと滑りを変えたので、ごっちゃになり、コケまくったが、たまにうまくいくと、これがその滑りかと納得。アザと打ち身で、今日はガタガタである。

今回11人の方達と一緒になったが、いろんなテレマーク歴の人がいて、話しを聞くだけでもおもしろかった。夜はみんなで一緒に食事をとる。まほろばに泊まっていたKさんもまじえて、カンパーイ♪



食事のあとも、飲みながら、延々と何時間もテレマークの話しだけで盛り上がる。



もうみんなすごいテレマークスキーにのめりこんでいるのである。(下の写真の一番右が、オチャメな石木田ひろ先生。)



(写真トップ:悪天候にもめげず、講習を受ける。全部で11人の生徒)