紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

いたずらっ子

2005-02-28 06:41:39 | 9・昔の風景
昨年、写真好きだった父が亡くなり、大量のフィルムが残されたことは、ここに書いた。ダンボールいっぱい分。それも写真ではなくて、すべてフィルムである。

フィルムは、今もスキャナーで取り込み続けている。とにかく、枚数が多いので、すごく時間がかかる。毎日少しずつやったのでは、ほとんどすすんでいかない。ある日、決心して始めると、それこそ朝起きたとたんから、夜寝るまで、仕事や家事をしながらも、それにかかりっきりになる。スキャンしては保存し、スキャンしては保存し・・。
ある日突然、もうイヤって思う時がくるまで、続ける。イヤになると、その後、三ヶ月間くらい、放っておく。

すでに二回いやになって中断し、今回、三回目である。
けっこう時間のかかる作業ではあるが、思いもかけない写真に出会える楽しみもある。

写真を見ると、私は幼少の頃、相当ないたずらっ子だったようだ。これも、もうほんと、猫がかわいそうっていう写真。でも、また他の写真をとりこんでみると、こんな風に片手で猫を抱いていたのには、理由があることがわかるのだ。その時、私は大事なものを手にもっていた。

それは何か? 

答えはこの写真が教えてくれた。

ようく目をこらして見ると、なんとミルキー。(笑)

◆ kenさんのBLOG STATION 「子供の頃の写真」 にトラックバック

カテゴリー

2005-02-27 07:58:49 | 12・Blog・PC・カメラ・家電など
Blogを始めて、いつの間にか10ヶ月目に突入していた。
一体、自分でも何を書くんだろうかと思いながら、カッパ師匠(私のホームページの先生です)に勧められるままに、去年5月にスタートしてみたが、旅、山(スキーも含む)、本(自作)に関することを書くことが多かった。たまに、昔の思い出(古い写真からの記憶)と、連句(俳句)についても書いた。

今回スイスの旅のことを書いているうちに、自分でも記録として残しておきたくなった。それで、カテゴリーを整理した。左カテゴリーの◇プロフィール・著作一覧と◆旅の覚え書きは、おもにこのBlog▼紅蓮の日常▲の「もくじ」にあたるものである。

◇プロフィール・著作一覧

「著作一覧」からは、それぞれの本の◆作品紹介にリンクさせている。おいおい、全ての自作の本について書こうかと思っている。

◆旅の覚え書き 

今までに行った海外の旅と国内の旅(これは主に山登り)のリスト。これも、◆旅のレポート◇山のあれこれにリンクさせている。いずれ、今までいったおもな旅行や山行のことを書いて、記録に残そうかなという心つもりである。でも、Blogを始めるまでは、写真すら撮らないことが多く、下手すると、登った山の名前さえうろ覚えなので、大きな山行だけになるだろう。

あとは、まだほどんど何も書いていないけれど、◆私の好きな本。これは、書くのはもう少し先になる予定。

それから、このところ、自宅でほとんどの時間を昔のフィルムをスキャナーで取り込むのに費やしているが、◆昔の風景についても、もう少し書いてゆきたい。

ただ、分けようとすると、それぞれのカテゴリーにだぶってしまうものも、けっこうあった。海外の旅は、◇山のいろいろに近いかなと思ったが、◆旅のレポートに入れた。その他のは、その時々の気分しだいで、適当に分類した。

(写真は6ヶ月目に突入した日のBlog)

スイスの旅・番外編

2005-02-25 15:42:34 | 8・山と旅の思い出
まだ25歳の若き頃。生まれて初めて海外旅行をした。
何を見ても、感動の連続。飛行機に乗っても、道を走る車を見ても、建物を見ても、列車に乗っても、レストランで食事をしても・・。

その時も、パリから列車に乗ってニューシャテルに行った。写真はその時のもの。
一緒にいったのはS子さん。ニューシャテルで訪れたのもS子さん。二人は同じ名前なのだ。そのS子・No2(二人を区別するために、みんなでそう呼んでいた)の友人がレミさんだった。写真を見ると、みんな若いなあ。あれから倍ほど人生を生きているのだ。

その後、アルプス地方を旅した。3月末なので、雪のシーズンである。
アイガーのふもとを、登山列車で走り、そして、ミューレンにたまたま立ち寄った。

「アルペンルーへエ」はすごく小さなホテルだった。
朝起きたら、窓いっぱいにユングフラウの岩壁が見えて、感動した。

     

その時はシルトホルンに登って、スキーをした。頂上展望台までロープウェイで上り、1日かけて、ミューレン村まで滑りおりた。この頂上にある回転展望台は、映画「女王陛下の007」のロケで有名になったそうだ。

急な斜面を滑っていくと、アイガーが遠くに見えた。

  

ホテルの夕食の時に、「フォンデュー」を頼むと、「1時間くらい用意するのにかかるけど、いいか。」と聞かれた。
その日はスイス最後の夜だったので、「いいです。お願いします。」というと、このような材料が用意された。

おいしいスイス料理とワインに酔いながら、いつかまた、ミューレン村とこのホテルに来たいと思ったのだった。(写真:S子さん)

けれど、その旅で貯金は底をついていたし、帰ってからは仕事も探さなくちゃならないしで、それはほとんど実現不可能な夢に思えた。

8・ドイツを旅する

2005-02-24 07:15:41 | 8・山と旅の思い出
ドイツのフライブルグで、良流娯さんがその後10日間ほど、一緒に旅をする、Dさん一家、Oさんと会った。みんなでそこで1泊した。
私と子どもたちは、その後まだ3日間ドイツにいて、日本に帰ることになっている。

良流娯さん一行は、オーストリアに向けて旅立つことになり、私と子どもたち2人で、どこに行こうかと考えた。その時になって、初めて気がついたが、スイスの旅のことばかり考えていたので、ドイツのガイドブックなど何も持ってきていないのだった。おまけに、ドイツ語など何もわからない。

子ども達2人と一緒に駅にいってから、お城を見に行こうと思いつき、列車にのって、ライン川沿いに進んでいった。列車の中で知り合った、英語の話せるドイツ人の女性と話しをした時に聞いた地名、ザンクトゴアールという駅でおりたのは、もう夕方だった。

それからホテルを探したのだけど、表通りには、空き部屋がない。路地裏の小さなホテルに行くと、英語が全く通じない。最初のうちは、子どもと荷物を持ったまま、探し歩いていたが、だんだん暗くなる。

仕方ないので、息子に、
「じっとして荷物を見てなさい。妹(小学1年)の手を離さないように。」といって、一人で探し歩くことにした。

唯一知っている言葉といえば、列車で会った女性に聞いておいた「ドライ ベット ツィンマー」訳すと三つのベッドのある部屋。
それだけの単語を並べて、ようやく小さなホテルに泊まれるところを見つけた時には、もう真っ暗になっていた。息子のところにもどると、妹の手をにぎって、じっと立っていた。

「Hotel Zurpost」の夕食は、おいしく、ホットプレートを前に、心細げだった子どもたちも生き返った。
(写真:やっと見つかったホテルの前で翌日撮影)

翌日、ライン川を船で渡り、ラインヘルツ城を見に行った。
旅ももう終わりだった。

その翌日フランクフルトにたどり着くと、空港への行き方を調べ、翌朝、日本に向けて飛び立った。

毎回そうだけれど、無事に旅が終わり、ホッとしていた。

◆スイスの旅のBlog
1・スイスへの旅立ち 
2・ニューシャテルへ 
3・プランスモンの田舎の家
4・プランスモン・つづき
5・あこがれのスイスアルプス
6・ミューレン村
7・ルガノで過ごす
8・ドイツを旅する

7・ルガノで過ごす

2005-02-23 06:57:50 | 8・山と旅の思い出
アルプス地方の、グリンデルワルド、ミューレンのあと、ブイリエンツ、カンデルシュテークなど、いずれもスイスアルプス近い、山あいの町や村に行った。

ドイツで、良流娯さんが一緒に旅をする一行と待ち合わせている日まで、もう一カ所くらい回れそうだった。当初は、マッターホルンのふもと、ツェルマットに行こうかと考えていた。
ところが、カンデルシュテークで雨にたたられて寒かったこともあって(写真:左)、急に、山じゃないところにも行ってみたくなった。

思えば、夏休みだというのに、すずしいアルプス地方で過ごしたため、なんとなく夏の気分を味わっていない。そして、目指したのは、イタリア国境近いルガノ。スイス国内にしたのは、スイスパスという、スイスならいくら乗っても同じ料金で乗れるパスを持っていたからだ。そのパスを持っていると、親が連れている子どもたち二人も、列車の運賃はただになった。

湖畔の宿から見える山をみて、鹿児島出身の良流娯さんは、桜島みたいだといっていた。

   

そこでは、プールで泳いだり、湖で泳いだり、船に乗って、スイスミニアチュールという公園にいった。スイスの建物が何十分の一かの大きさで再現してあるということだった。精巧にできていて、なかなか楽しい公園だった。

そうして、ルガノで過ごした後、ドイツのフライブルグに向かった。列車に何回か乗り換え、ほぼ1日じゅう列車に乗り続けていたが、コンパートメントの座席に、子どもたちは大喜び。あきることはなかった。


◆スイスの旅のBlog
1・スイスへの旅立ち 
2・ニューシャテルへ 
3・プランスモンの田舎の家
4・プランスモン・つづき
5・あこがれのスイスアルプス
6・ミューレン村
7・ルガノで過ごす
8・ドイツを旅する


6・ミューレン村

2005-02-22 06:41:42 | 8・山と旅の思い出
ユングフラウの岩壁を真正面に見る、アルプスの村。
間に深い谷をはさみ、村の家々は、山腹にしがみつくように建っている。
25歳の頃、ヨーロッパ旅行をした時、「一番好きなところは?」と聞かれると、必ず「ミューレン」と答えるほど、好きな村だ。

スイスに行くことになった時に、ぜひその村を訪れて、子どもたちや良流娯さん母子にも何日間か過ごさせてあげたいと思った。

谷底の村ラウターブルンネンから、ケーブルにのって登り、山腹を通っている電車に乗り換えて村に行く。他には、下からずっとロープウェイで登ることもできる。



ミューレンにいる時に、標高2970mのシルトホルンにロープウェイで登り、1日かけて、ミューレンまでおりた。(写真左:上が展望台)

歩き始めてすぐに、けっこう傾斜があることに気がついた。まだそうとう雪渓も残っている。

ただのズックでおりるにはけっこう大変だと思ったが、そのまま下るしかない。雪渓では、みなしゃがんでおりた。子ども達はこわがるかと思ったら、まだ小学生前の知夏ちゃんも、全くこわがらず、楽しんで下った。

下から見上げると、やはり、けっこう急であった。

アルプスの山を見ながら、毎日ハイキングをした。昼は、簡単なサンドイッチとワイン。至福の時だったなあと、今写真を見ても、思う。村には、フニクリフニクラ♪ の歌のような、登山電車も走っていた。

 

ただ、25歳の時にいった時とは、ずいぶん様変わりしていて、建物も新しいのが増えていた。

前と同じ「アルペンルーエ」というホテルに泊まったが、増改築されて、10倍ほどの大きさになっていたのには驚いた。以前は、星など一つもなかったのに、星三つという、その旅行では一番贅沢なホテルだった。

(25歳の時の写真を探し出して、最後に番外編を書こうと思う。)

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2・ニューシャテルへ 
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4・プランスモン・つづき
5・あこがれのスイスアルプス
6・ミューレン村
7・ルガノで過ごす
8・ドイツを旅する

5・あこがれのスイスアルプス

2005-02-21 06:46:02 | 8・山と旅の思い出
小学生の頃から、スイスアルプスはあこがれだった。いつか行ってみたいと思っていた。
ようやく念願かなったのは、25歳の時。でも、その時は、ユーレイルパスというフリーチケットを買っていったため、どこもすばやく通り過ぎただけだった。

もう一度、ゆっくりアルプスを見ながら、歩いてみたい。
レミさんの田舎の家をあとにすると、アイガー、ユングフラウのあるベルナーオーバーラントを目指した。最初に行ったのは、グリンデルワルト。駅からバスに乗って10分ほどの小さな宿「ホテルベッターホルン」に泊まり3日間過ごした。(写真上)

長いリフトに乗って、山の上に行った。そこからトレッキングの開始。もう圧倒されそうな景色である。


気分は、すっかりアルプスの少女。(笑)
グリンデルワルトを皮切りに、アルプス地方の村を何カ所か転々とした。

かわいい登山電車にのって、クライネシャイデックまで行き、電車を乗り換える。




すばらしい景色なので、しばらくあたりを散策し、アイガー北壁を見ながら昼ご飯を食べる。

それから、つぎのミューレン村を目ざした。

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2・ニューシャテルへ 
3・プランスモンの田舎の家
4・プランスモン・つづき
5・あこがれのスイスアルプス
6・ミューレン村
7・ルガノで過ごす
8・ドイツを旅する

4・プランスモン・つづき

2005-02-20 10:10:47 | 8・山と旅の思い出

今日は、もうアルプスに行ってしまおうかなあと思っていたところ、かきのはっぱさんがつぎのコメントを残してくれたので、プランスモンの続きを書くことにした。はっぱさん、ありがとう!

・・・「花の館に」を借りてきました。表紙をめくってびっくり。あの写真の時計が最初のページの絵になっていたんですね!

「花の館に」は、プランスモンのおうちの庭にたどりついたところまで読みました。パソコンと合わせて読みすすみます。・・・・

歴史のある家には、ほんとうに古いものがひしめきあっていた。
ちょっとゆがんだ食器棚には、グラスや陶器類がたくさん置いてあって、よく今まで、こわす人がいなかったと思うほどだ。感動したのはリネン類。おばあさんが嫁入りした時に持ってきた刺繍いりのものなどが、ぴしっと戸棚にしまわれていた。もちろん、がさつな子どもたちと一緒に泊めてもらう私たちは、そのような大事なものを使わせてもらうわけにはいかず、シーツ類は持参である。(瑠美子さんからお借りしました)


本には登場しないが、レミさんのおじさんの模型も圧巻だった。スイスのいろいろな鉄道模型がそろっていて、走らせてみせてくれたのだけど、列車は暖炉のトンネルに入って見えなくなったりする。細かい細工もほどこされていて、贅を尽くしたという感じ。

息子は、古いピアノをひいたり、部屋では、学校の宿題をしたり。
物語との落差がありすぎではあるが、いせひでこさんのさし絵は、これら写真からおこしてくれた。

いせさんの絵は、全編、ほんとうにすばらしく、「花の館に」は私にとって宝物の一冊である。

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6・ミューレン村
7・ルガノで過ごす
8・ドイツを旅する

3・プランスモンの田舎の家

2005-02-19 08:21:49 | 8・山と旅の思い出

こういう家は、スイス人と知り合いじゃないと、見られないなあ。
家を見た時には、思わず、レミさん、友だちでいてくれて、ありがとう。と心の中でつぶやいてしまったほどだった。(写真左は庭。リンゴ、すもも、なしの木などが植わっていた)


家の中に1歩踏み込むと、わくわくというか、ゾクゾクした。そこには200年の昔からずっと時がつながっているような空間が広がっていた。

古い家具。燭台のついたピアノ。由緒正しそうな時計。1860年代に作られた食器。すすで真っ黒くなった暖炉。旧式の台所用具、ストーブ・・etc。

家の中は古く、しじゅう改装されてきたせいか、迷路のようである。子どもたちは、もうあちこちを見て喜んだ。中でも一番楽しかった場所は、屋根裏部屋である。みんな驚喜した。

そこでの三日間、家の中を見ているるだけでもあきないほどだった。それでも、日中はスイスの田園地帯を歩いたり、今までどんな人たちが、このキッチンを使って料理したのだろうと思いながら、食事の支度をした。息子も料理を手伝った。


方向がわからなくなるので、苦労して家の間取りを書いた。それをもとに、いせひでこさんがさし絵を描いてくれた。(トップの絵)

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2・ニューシャテルへ

2005-02-18 06:26:38 | 8・山と旅の思い出
スイスのチューリッヒ空港に着いた私たちは、まずレミさんが住んでいるニューシャテルに行った。レミさんの家に遊びに行ったり、朝市を見にいったりしながら、レミさんの会社が休みになるのを待った。

安い航空チケットを購入したため、成田から香港を経由して、チューリッヒまで20時間も飛行機に乗ったので、相当くたびれていた。ニューシャテルの街でゆっくりできたおかげで、疲れもをとれた。

最初に出会った時には、独身だったレミさんも、私も知っている日本女性の瑠美子さんとめでたく結婚して、ニューシャテルのアパートに住んでいた。私が多少なりとも英語がしゃべれるようになったのは、レミさんが1年間、日本に滞在していた時に、英会話を習っていたからだ。英語ができるようになったというよりは、何とかして通じさせようと思えば、通じるということがわかったという程度だけど。

レミさんが休みになると、プランスモンにある田舎の家を目指した。その家に、私たちは3日間滞在させてもらうことになっていた。

到着した日に、もう一度駅までおりて、近くのスーパーまで買い物にいった。駅までは、片道40分もかかるので、一度で、3日分の食糧やビールなどの飲み物を全部買うことにした。7人もいるので、けっこうな量になりそうだった。みんなでリュックを背負って行った。
スーパー(写真)は、いかにもスイスの田舎らしく、趣のある建物だった。

そうして、食糧もそろうと、あとは迷ってしまいそうな家の中の探索と、家のまわりを散策して楽しめばいいだけになった。

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