紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

旅の写真ピックアップ・その1

2007-10-30 06:25:48 | 8・山と旅の思い出
ここしばらく家で整理したり、荷物の移動におわれ、どこへも行けないので、この機会に思い出の写真のピックアップをのせようと思う。

子ども達が子どもの頃、良流娯さん親子と、我が家の3人で旅をしたのは、4回。
子ども達3人が仲良かったからできた旅だったと思う。そのうち息子が、「ぼくはもう行かない」といいだしてからも、息子抜きの4人で何回か旅をした。
息子が参加し、知夏ちゃんが行かなかった時もあった。

昨日は知夏ちゃんと会いましたが、よく考えると、こんなに小さい頃(この2年前にもスイスに行っている)から知っているのだから、長い付き合いだね。もちろん、お母さんの良流娯さんの方がもっと長い付き合いだけど。

そして、外国の旅・覚え書きを見ると、私の海外旅行の大半は、良流娯さんと一緒に行っている。こんなに何回も一緒に行くのは、気が合うということもあるだろうが、それよりも、旅というのは疲れるものだし、朝から晩まで行動を共にするので、お互いに楽に一緒にいられる相手なのじゃないかと思う。

外国の旅・覚え書き

今日のピックアップは前回アムトラックのことを書いた時の、
4・アメリカ、セコイア・キングスキャニオン国立公園など北米の旅 

「巨木の森」はまた行きたいほど、楽しい所だった。

5人でよく同じ部屋に泊まった。




毎日自分の洗濯はそれぞれ自分でしたいたので、部屋にはずらりと洗濯物が並んだ。




夏休み中旅をしていたので、こんな所でも宿題をしていた。




心ときめく巨木・1



巨木・2




巨木・3




倒れた巨木・1。根っこの方に小さく子ども達が写っている。




倒れた巨木・2



巨木の森のレストランで。



◆旅の写真ピックアップ・その1 ・その2

椅子がこわれた!

2007-10-29 12:09:02 | 29・家の工事・リフォーム

ふつう椅子というのは、腰掛けるものだ。
ところが、リフォーム工事中、踏み台に使っていたら、とうとう壊れてしまい、座面がもうちょっとで抜けそうになった。

この椅子と机は、大学卒業して、仕事を始めた最初のボーナスで買ったものだ。考えてみると、34年間、よくがんばってくれた。しかも、この20年近くは、平日はほとんど毎日8時間は座り続けている。
そんなわけで、昨日新しい椅子を注文した。できあがってくるのは、12月22日頃だということだ。自分へのクリスマスプレゼント。それまで、あとちょっとこの椅子にはがんばってもらわなくちゃならない。

机も相当古くなってしまったけど、これはもう長い間苦楽をともにしてきたので、一生使いたい。だから、間違っても、上には乗らないようにしている。

新しいカーテンもつけてもらうことになっているけれど、最後の頃になりそうである。カーテンがないと無防備な感じで、外を通る人が見える。外を通る人も、部屋の中が見えるので、
「あら、ステキになったじゃない。」などと窓から中をのぞいて、声をかけてくれる。カーテンがないと、思わぬ会話が生まれるものだ。(笑)


リフォーム第二段階

2007-10-27 22:18:45 | 29・家の工事・リフォーム

来週から居間のリフォームにかかるので、居間にあった荷物を運びだし、空っぽにする。
大きな本棚を分解、移動するのはかなり大変で、近所のくすの木山の会の和田さん、小笹さんが手伝いにきてくれる。
その他に、リフォーム工事を請け負ってくれているKさんと夫の4人で、四苦八苦して、やっと移動が完了した。
手伝ってくれたみなさま、どうもありがとうございました。

ほとんど何もなくなった居間に、買ったばかりの2人用テントを立てて、具合をみている娘。(写真トップ)
それなら、ベランダでも寝られそうだよ。11月1日が仕事休みなので、、テントを背負って、黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳を目指すそうである。


リフォーム一部終了

2007-10-26 17:29:48 | 29・家の工事・リフォーム

私の部屋のフローリングと壁紙などが今日終わった。ドアは最後なので、とりあえず、一段落。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、ガランとしてきれい。
これから、週末荷物を運び入れると、またゴチャゴチャになってしまう。

おまけに来週から2週間は居間と廊下にとりかかるので、居間の荷物がどっさりと私の部屋に運び込まれる。あっという間に、また究極の狭い場所となる。


ひさしぶりにチャリで・・

2007-10-25 16:59:25 | 22・両親のこと
今日は母の面会、その他もろもろの用事があって、高井戸のY病院に行った。
リフォームでバタバタしているので、このところ、いつもトントンが行ってくれていたのだけど、風邪が長引いているので、私が行くことにした。
たまに外に出ると、いい気持ち。

そのついでに、インフルエンザの予防接種を受けた。
今年は、リューマチ性多発筋痛症にかかったり、中国旅行で、急性胃腸炎になって点滴を受けたり、あまり体調が万全じゃない気がするので、こういう時はインフルエンザまでかかってしまうかもしれない。そう思って受けることにした。
今日はあまり無理な運動をしないようにとのことである。

Y会の庭は、少し秋色。そして、カメは全く姿が見えない。もう冬眠体勢だろうか。





母と一緒に庭を散歩していると、ダダダダッと大きな音が聞こえてきた。空を見上げると、20機くらいのヘリコプターの編隊が頭上を飛んでいった。
何かあったのだろうか。




今日はシティーでいったのだけど、今年5月に買って、総走行距離が、700kmを越えた。今年じゅうに、1000km行けるかな?




究極の狭い空間

2007-10-24 06:14:20 | 8・山と旅の思い出
居間で寝起きしていると、便利なこともあり、困ったこともある。
便利なことは、朝眼がさめたら、手をのばして、パソコンのスイッチをいれ、テレビのリモコンを操作して、テレビをつけるのだけど、その間、寝そべったまま。すごい、グータラ。このまま朝食が食べられたらサイコーだけど、そうはいかない。(笑)

困ったことは、私は、仕事はもちろんのこと、メールでもブログでも、テレビの音がする所では、全く書いたりできない。ながら族というのがダメなタイプなのである。だから、朝も夜も、テレビがついている限り、テレビを見るしかない。そうすると、パソコンに向かう時間が減ってしまう。

そんな生活を始めて、こういう究極の狭い場所で過ごしたことがあるのを思い出した。
その昔、1990年のこと。私と小3の娘、小5の息子、良流娯さんと、娘さんの小2の知夏ちゃんと5人でアメリカ横断旅行をした。
その時のことは、このブログにも書いたが、ほとんど子ども達の夏休みを全て旅に費やした。

アラスカやカリフォルニアを旅した後、ロスアンジェルスからセントルイスまで、2泊3日間、アムトラック(アメリカの長距離列車)の寝台車に乗って行った。我が家は3人だったので、2人用個室。2段ベッドがあって、トイレ、シャワー室までついた部屋だった。
その時に、良流娯さんは、知夏ちゃんと2人なので、1人用個室。
あの部屋は、あとあと考えても、究極の狭い空間に、うまいこと全ておさまっていたなあという印象。
個室で椅子を伸ばすと、部屋中がベッドになる。ベッドにすると、立っているところがないので、ドアをあけて、外でベッドに組み立てる。洗面台は、横にちょっとついていて、トイレに行くには、そのベッドをたたまないとダメだった。
日本式にいうと、畳一畳分が一人のための空間。そこで2泊3日過ごす。その時も、このくらいの空間があれば、人は生活していけると思った。

けれど、その後、何回かアムトラックに乗ったが、その個室すらなく、たいていは、リクライニングシート。そこで寝袋に入って寝たりしたが、それはそれで、十分な空間だった。

ふだんは、2人用の個室に5人みんなでいた。




娘は、その前に熱を出した私の風邪がうつり、寝台車で寝て過ごしていた。
夜には、この上に2段ベッドが組み立てられる。そういうお世話をしてくれる人は、ずっと同じ人で(なんと呼ぶんだろう?)、最後には仲良くなった。




個室にあきると、展望車にいって、外の景色を眺めていた。何時間もほとんど変わらない景色が続いていった。



あの時の旅は、何回か子連れ海外旅行をしたけれど、一番楽しくて思い出深い旅だったと思う。旅というより、放浪者のようだった。

リフォーム工事

2007-10-22 09:10:12 | 20・日々のできごと
今日から一ヶ月間、家のリフォームするため、週末は、ダンボール詰めと荷物運びに追われた。
週末ごとにこれをするのだから、けっこう大変だね。
私の部屋の荷物を、全部居間に押し込めるので、チョー狭い。
と書きつつ、机とパソコンの場所も確保できたし、寝るところもある。ベッドに座って、パソコンができるし、電話もかけられるし、テレビも見られるし、ごはんも食べられる。これでも大して困らない、究極の便利生活かもしれない。

昨日は娘が家に来ていて、ここに寝ていたが、ながら族の娘は、テレビを見ながら、パソコンで仕事をしているし、気が付くと、ベッドの上でごろりと寝ている。その間、歩く距離といえば、最大3歩。人はわずかなスペースで一日にすべきことの大半はできるものだ。

ドイツのなおこさんのご質問にお答えして

2007-10-20 16:33:04 | 11・健康
なおこさんから、ステロイドと病気に関して、次のようなコメントを頂いた。

私も去年の6月からずっとステロイド剤を飲んでいます。Prednisolonという薬です。最初は50mg、だんだんと減らしていき今では6mgとなりましたが、全身の痛みがもどってきてCRP値が100mg/lまで上がり、様子をみているところです。

実を言うと医者から”リューマチ性多発筋痛症”という診断はでていないのです。私の病歴をご紹介しますと、はじめの症状はのどの痛みでした。それから肩の痛み、1週間後には全身の痛みがひどく寝返りもうてない状態になり、入院しました。40度近い熱が続いたのもあって、疑われたのは”リューマチ熱”。
血液検査では、膠原病にはなにひとつ引っかからなかったので、抗生物質だけを処方されましたが、効果が無くステロイド剤にてようやく普通の生活に戻れました。魔法の薬だと思ったものです。

2ヶ月たっても病名は不明のまま。検査のため再入院しました。全身をくまなくチェックしてもらったところ、見つかったのが悪性リンパ腫でした。幸い早期に発見できたので化学療法、放射線療法でつぶせました。

ガンの治療から半年がたちましたが、いまだに”痛み”は続きます。もしかしたら原因はまだほかにあるのかもしれないと、症状から調べていくうちに偶然このサイトに出会いました。これだ!って胸がどきどきしてしまいました。来月膠原病科へ行ったらぜひドクターに聞いてみるつもりです。

皆様のご意見も聞かせていただけたらうれしいです。

同じように痛みと闘ってるみなさま、これからは寒くなりますのでお体を大切に。


私が全身の筋痛・関節痛を感じてからの経過は、「病気の経過(主症状=全身の関節の痛みと周辺筋肉のこわばり)」に、
またその後のことは、右カテゴリー、13・健康生活に書いている。

私は医学の知識がないので、知っている範囲のことだけ書こうと思う。

まず最初に、私は自分が膠原病と診断されて初めて知ったのだけど、病名というのは消去法で特定される。
私の場合は、全身の関節・周辺の筋肉がいたく、筋肉のこわばりがあるとうことで、最初は関節リューマチが疑われたが(今でもその疑いは完全に消えてはいない)、指の関節が痛くもなく、腫れてもいないことから、「リューマチ性多発筋痛症」ということになった。

その場合でも、お医者様は、CRPがこんなに高いのは、癌の疑いもないことはないとおっしゃった。けど、全身の検査をするより、かなり「リューマチ性多発筋痛症」の可能性が高いことから、その治療をしましょう、ということになった。その時でも、膠原病値は+1で、それは病気じゃない人でも、その位になることはあるということであった。
「リューマチ性多発筋痛症」には、ステロイド剤が劇的にきくということで、1日プレドニン10mgを飲むと、2週間後に行った時には、CRPが3.62→0.3になっていた。そこで初めて、「リューマチ性筋痛症」と診断された。
(CRPの単位は、多分私のはDLあたりだと思うけれど、今家のリフォーム中で、資料がどこかの段ボールに入ってしまい、見つからない。)

なおこさんの最初の、CRPの値が高かったのは、私の主治医の言葉からすると、悪性リンパ腫でも高くなるので、そのためかなと思う。

今CRPが高いのは、私にはわからないけど、ステロイド剤を減らしたことで、どこかの炎症が出てきたとも考えられるか(?)

「リューマチ性多発筋痛症」の痛みについて書くと、いわゆる筋肉痛とは、全く別の痛みである。筋肉痛は足だと、身体の前の方に出るけれど、筋痛症の痛みは後ろに出る。手も筋肉痛の部位とはちがって、もう少し上の外側。痛みも全身痛い時はあちこち痛いのだけど、痛みがやわらいでいる時は(今現在も)奥深いところの、点が痛い感じがしている。うまく説明できないが、今まで1度も感じたことがない痛みの種類である。

それと、なおこさんと違っているのは、熱は出たけど微熱だったこと。痛みは身体の後ろと、外側に限られているので、前になるのどは痛かったことはないこと。
この記事は、また思い出したら、追記する予定です。

なおこさんの痛みが一日も早く改善されることを祈っています。

甲斐大泉周辺を歩く

2007-10-18 16:59:34 | 5・旅の日記
ホイッスルで小楢山にいった翌日。
若月さんの家に、小笹さん、古賀さんと泊めてもらった私たちは、翌日は、若月さんのダンナ様の運転で、今は北杜市となった甲斐大泉周辺をハイキングすることにした。

八ヶ岳倶楽部の横に車を止め、歩き始める。
そのあたりの地図。クリックすると拡大する。



塩山より、だいぶ気温が低く、紅葉も見られた。




滑りそうな山道を進み、中止(なかどめ)の滝を見に行く。
残念ながら水は流れていない。




そこから、約4km。牧場の横を通ると、山椒がたくさん植わっている山椒ロードがあって、古賀さんが喜ぶ。




山越え谷越え、けっこうアップダウンもきつく、歩きでもある。




そして、やっと吐竜の滝に着く。




その後は、山道を戻らず、林道を歩いて、甲斐大泉の駅まで行くことにした。けっこう長く1時間くらいかかる。そして、パノラマの湯に到着。

前日の、ぷくぷくの湯もパノラマの湯も、露天風呂からの眺めがすばらしい。晴れていたら、富士山が見えるそうだけど、残念ながら、見えなかった。


ところで、その日、甲府のある高校では、「強行遠足」というのが行われていて、いろんな色のジャージを着た生徒たちが、歩いていた。
若月さんのダンナ様の出身校で、若月さんが高校の頃も行われていたそうである。



男子:朝5時出発    学校~韮崎~若神子~高根~大泉~清里~野辺山  55.4㎞
女子:朝7時30分発      須玉~高根~大泉~清里~野辺山         30.3㎞

けっこう大変だね。恩田陸さんの本「夜のピクニック」を思い出してしまった。

ステロイド剤5mgの壁

2007-10-17 17:58:55 | 11・健康
リューマチ性多発筋痛症と診断されて、すぐに処方されたのが、ステロイド剤・プレドニン10mg。
それを一ヶ月飲み続けたところ、全く痛みはなくなった。
その後、毎月1mgずつ減らしていって、やっと、8月に半分の5mg、9月には、4mgに減らして3週間がたった。

五竜~鹿島槍ヶ岳に行くときは、心配なので、5mg飲んでいた。その後4mgに減らしたのだけど、いつものリバウンドの期間、1週間がすぎても、痛みはおさまらず、きのうは、かなり全身に広がった気がしていた。

それをお医者様にいったところ、しかも先月の炎症値・CRPが0.82とわずかに上がる傾向がみられたので、昨日からまた5mgのプレドニンに逆戻り。

しかし、すごいなあと思うのは、今朝、5mg飲んだところ、きのうまで、かなり全身が痛かったのが(といっても、3月の痛みの2割くらい)、ほとんどおさまった。こんなにきく薬って、やっぱりコワイ。

でも、昨日は、このまま痛みが増していったら、もうそろそろテレマークスキーシーズンなのに、また滑れないかもしれないと思ったりもしたが、クスリで炎症をコントロールすれば、滑れることがわかった。お医者様からも、痛みをがまんしてまで、ステロイドを減らすことはないといわれた。

ステロイド5mgの壁。ここを越えられるのはいつだろう。