紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

リフォーム工事最終段階

2007-11-18 21:33:45 | 20・日々のできごと
いよいよリフォーム工事も最終週を迎える。
今週は、最後に和室の工事をして、すべて完了。
大工さんや、壁紙職人さん、ペンキ屋さん、建具屋さんにお願いすることは、今週中にしなくちゃならない。
フックや、玄関ドアの色など、その場にいないとダメな工事も多いので、今週は終わるまで、長い間家をあけられない。

それで、今日は天気もよかったので、午後から母の病院に、チャリ(シティ)でいった。
女子マラソンが始まった頃でかけ、病院で昼食を食べる時も見て、最後はお茶を飲みながら、母と見て、途中抜けた時間もあったけれど、全部見てしまった。

外はもうすっかり秋の気配。工事が始まった時は、まだ夏の名残のようだったのに、一ヶ月はけっこう長く、季節も変わった。

病院の裏の道




病院の庭




たまには飲みに・・

2007-11-15 17:53:29 | 19.友人との時間
工事中は、ほとんど家に釘付けになっている。
出かけてもいいとはいわれているけれど、工事して下さっている人が、いつ私に質問したいことが出てくるかわからない。
それをいちいち待ってもらうのでは申し訳ないので、なるべく家にいるようにしている。
夜は夜で、物を動かしたり、片づけたりで、けっこう忙しい。

それでも、今週は台所の工事で、料理ができないため、きのうは久々に近所の友だちと夜飲みにいった。
娘の保育園時代の仲間で、12月には、一年に一度、先生や、引っ越した人も各地から集まって、忘年会を開く。その下見をかね、夕飯を作ることができない私につき合ってくれたのだった。

話題は、連句のようにころころと移り、あっという間に時間が過ぎ、夜も更けていった。


昨日の日記

2007-11-14 07:16:58 | 11・健康
昨日は一ヶ月に一度の、リューマチ性多発筋痛症の受診日で、都心のT病院にいった。

先々月は、CRP(炎症値)が少し上がった。
3.62 → 0.4 → 0.3 → 0.3 → 0.3 → 0.62 →0.82(2ヶ月前)
先月は、病院に行く時に、左腕、首の後、足も少し痛かったために、もう少し上がっているだろうと思ったら、0.18と下がっていた。

あんなに痛かったのに、どういうことだろう。
前々から思っていたのだけど、自分が感じる痛みと、CRPの値との間には、微妙にズレがあるような気がする。

そして、ステロイド(プレドニン)の量である。
「昨日は左腕に違和感があるだけで、ほとんど痛みはない。」といったのだけど、「今年いっぱい5mgで行きましょう」ということになった。「ゆっくり減らしましょう。お正月に痛くなったらいやでしょう? 」と先生にいわれた。
病院も開いていないので、それは困るなあと納得。去年はホウカシキ炎で、像のように手首が腫れたのだった。下手すると正月にも入院するようなことをいわれた。あれが今年、体調を崩す前触れのできごとだった。

そういうわけで、今年じゅうに、ステロイドが切れることはなく、やっと半分(5mg)になって終わることが判明。ステロイドが長引くことで、副作用として骨粗鬆症になるおそれがあるため、今回もボナロン錠35mgを週1飲むよう処方された。

帰ってきてから、三鷹のセオサイクルに自転車(シティ)の電気をなおしてもらいにいった。
最近は日暮れが早く、夕方おつかいに行くと、帰りには野川沿いの道はもう真っ暗になる。電気がついたので、これで安心。

今年は柿のなり年かな?

2007-11-12 17:47:07 | 20・日々のできごと
昨日は、叔父さんが自宅の庭でとれた柿を、トントンの家に持ってきてくれるというので、私も午後ちょこっとチャリで叔父さん一家に会いにいった。叔父さんは、叔母さんと一緒に、息子(従兄弟)の運転でやってきた。

持ってきてくれた柿は、なんとダンボールにいっぱい。とてもチャリでは運べないので、今日私の家までトントンが車で届けてくれた。

叔父さんが住んでいるのは品川区の荏原。ここは母の実家でもある。
この柿の木は、母が子ども時代からあったそうだが、そんな木が、今も健在で、こんなに実をつけているなんて驚きだ。

たくさんの柿も嬉しかったが、叔父さんが、まだこんなに大量の柿をとれるほど元気だったのも嬉しいことだった。

あと2週間

2007-11-11 18:24:32 | 20・日々のできごと
昨日は本棚を組み立てた。ものすごく重いので、これが一番大変な作業だった。
またまたくすの木山の会の和田さん、小笹さんに来てもらって、男の人4人で組み立てた。




本を棚に戻して、あ~きれいになったと思ったのもつかの間、今日は台所の物を全て居間に運び込んで、ごちゃごちゃになった。
今週は台所が使えない。それでも、電子レンジはあるし、電気ポットはあるし、コーヒーメーカーもあるし、卓上コンロもあるので、そんなには困らないのじゃないかと思うけど、始まってみないとわからない。

ただ今工事中

2007-11-09 06:09:49 | 20・日々のできごと
リフォーム工事が始まってから、3週間近く過ぎた。




毎日、このような工事現場のまっただ中で暮らしているようなものだけど、だんだんきれいな所が増えていくのが嬉しい。
といっても、きれいになった所に、次の工事にじゃまな物を運ぶので、完璧にきれいになるのは、全て終わってからということになるのだけど。

だけど、先週はガックリきた。
工事は一ヶ月で終わると知っていたのだけど、なぜか、一ヶ月というのは、4週間だと思いこんでいた。それが、計算しても、どうも終わりそうもない。
そこで、はたと気がついた。一ヶ月というのは、5週間だったのだ。(泣)
それでも、半分が過ぎて、だんだんと終わりが見えてきた。

ぽち袋って知ってる?

2007-11-07 06:20:46 | 20・日々のできごと
ぽち袋というのは、お正月にお年玉なんかをいれたりする、あの可愛い袋のことです。



そんなぽち袋のグループ展が開かれています。

名付けて「これっぽっち」






実は、姪=トントンの娘が仲間と一緒に作品を展示しています。
場所は、銀座の月光荘・1画室。
お近くを通りかかることがあったら、ぜひのぞいてみてください。
叔母からのCMでした。




地図をアップ。




◆トントンのShiki彩々・ぽち袋展「これっぽっち」

ハッピーバースデー♪

2007-11-06 07:09:23 | 20・日々のできごと
なんと今日は私の誕生日なのである。
もうこの頃になると、全くめでたいような年齢ではないのであるが、今回は、しみじみめでたく、嬉しい。
何歳になったかというと、56歳。この際だからバラしてしまおう。
なぜ嬉しいかというと、55歳は私にとって、関門のような年齢であった。厄年といったらいいか。
リューマチ性多発筋痛症という、生まれて初めて大きな病気をし、ほんの数メートル歩くのも辛く、床に落ちている物を拾うこともできないほどの痛みを味わった。
今も病とは共存の生活ではあるが、秋には、長い間ずっと登りたかった五竜、鹿島槍ヶ岳にも登ることができた。多少の痛みをかかえながらも、できることとできないことを見極め、これからも自分らしく生きて行こう。とりあえず、いろいろ難問が押し寄せてきた55歳から抜け出せて、ホッとしている。

娘からのプレゼントは、いせひでこさんの本。「ルリユールおじさん」「絵描き」「旅する絵描きーパリからの手紙」



起きあがるのも辛かった時、これからも本を読むこと、本を書くことだけはできると思えたのは、幸せであった。


山形に住む息子からはラ・フランスが送られてきた。誕生日だと覚えていたわけでもないだろうが・・。



起きあがるのも辛かった時、食欲だけはあったのも、幸せであった。
けれど、ふつうに食べていたのに、ふだんは減らすのにすごく苦労する体重が、みるみる減っていったのには驚いた。痛みというのは、体中のエネルギーを消耗させるようだ。

旅の写真・ピックアップその4(追記あり)

2007-11-05 17:38:23 | 8・山と旅の思い出
今日のピックアップも、
外国の旅・覚え書きの中の
8・フィジー島 タベウニ島と無人島クルーズ

タベウニ島には6泊した。
目の前の海で泳いだり、歩いて近くの村に行ったり、川で遊んだり、大体自力で行ける所で遊んでいることが多かった。
それでも、たまにはタクシーを頼んで、島の反対側の海に行ったり、山の上に行ったりしたこともあった。
私たちが4人だったので、トモさんも加わって、一台に乗っていった。

トモさんと一緒に車でぐるっと回って行った海。





ホテルの従業員の人に連れて行ったもらった村。
トモさんのコメントによると、
「ホテルで働いている男性にあちこち連れて行ってもらった時の写真ですね。
後で彼の家にカヴァ(木の根をパウダーにしたお茶のようなもの。人の家を訪ねる時の贈り物として必須アイテム)を持って訪ねたのを思い出しました。
丘の上に建っていて、傍らにレモンの木が生えていました。絨毯のような草原が海まで続き、太陽が降り注ぐ教会の中から、美しい讃美歌が聞こえていました。」




山には、ホテルで働いている人も一緒だったところを見ると、ホテルの車で連れて行ったもらったのか? 湖が見えるということだったけど、ガスっていて、何も見えない。




こんな車に乗っていった。娘と知夏ちゃんとトモさん。





そして、貴重な一枚。
これはトモさんが写してくれたもの。後にフォトライターになる人が私たちを写してくれた!
カメラは、私のコンパクトカメラ。ピントも合わせる必要のない簡単なもの。この頃はまだデジカメではなく、ふつうのカメラだった。
それでも、今あらためて見ると、やっぱりプロの手にかかると、何かがちがう。
写真の写りか? みんなの表情か? 生き生きとして写っている。一瞬を切り取っている感じがする。




今日の記事は、久しぶりに「Bula Fiji Bula」のCDを聴きながら、書いた。「Isa Lei」の曲を聴いたら、島に別れを告げる時の切ない気持ちを思いだした。

◆フィジー島・旅の写真ピックアップ

その3・その4・その5その6

旅の写真ピックアップ・その3

2007-11-04 11:23:28 | 8・山と旅の思い出
今日のピックアップは、
外国の旅・覚え書きの中の
8・フィジー島 タベウニ島と無人島クルーズ

この旅は、息子が高1、娘が中2、知夏ちゃんが中1で、誰も受験にからまない 年の夏、またみんなで海外に行こう、それも、初めて海に行こうということになった。
部活などを少し休み、やっと行けた日数が13日間。高1になった息子は、自分の生活に忙しく、参加しなかった。

ナンディ空港から、バスのように小さなプロペラ機でタベウニ島に渡る。



タベウニ島。




ホテルからボートを出してもらい、目の前に見える無人島に行き、思う存分泳いだ。残念なのは、その頃はふつうのカメラで、防水もなく、ほんとうにきれいな海の中を撮ることができなかった。シュノーケルをして、海で泳ぐと、イルカが遠くを泳いでいたり、透明なイカが目の前を通り過ぎていった。



島の子、ラベニアちゃんと、トニーと仲良くなって、海でも川でもしじゅう一緒に遊んでいた。




◆フィジー島・旅の写真ピックアップ

その3・その4その5その6