さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

80 Vecchie Vigne DOP Primitivo di Manduria

2014年10月27日 | 

            

ヴェッキエ・ヴィーニェ DOP プリミティーヴォ・マンドゥリアという実に長い名前。

ビンがデカイ。こんなに厚くて重いのは初めてwww



画像が少し暗いのでアップにします。

イタリアはプーリア州、長靴のちょうどアキレス腱に位置するあたりのワインです。

デパートで人気の「イタリア展」で、試飲させてもらって購入しました。最初は手頃な
値段のものを飲ませてもらいましたが、「もうちっといいやつを…」というと、小声で
「おいくらくらいまで…?」と相談になりまして、これが出てきたわけです^^;
飲んでみて「うまい!」となると、少々値が張っても買わないとなぁ…(^益^;

「80年のワイン」とありますが、80年寝かせたというわけではなく、樹齢80年の古木
を使ったワインなのです。葡萄の木が古くなると、根が地中の奥深くまではるわけ
でして、様々なミネラルなどが吸い上げられ、ワインの味が奥深くなるのです。

たしかに!複雑なアロマ。ふんわりと煙草やココアのような香り?まろやかでバニラの
余韻も残る。長い年月を経たゆえの様々な経験値が凝縮されて熟成されたような…。


 この酒は、酒のみ仲間の友人夫婦と飲みました。良い酒はひとりで飲むよりも、一緒に楽しく飲むほうがずっといいものです。「こんな80年の古木の美味い酒を、毎日のように飲めたらいいだろうなあ~」と私が言うと、友人の奥さんは「すぐにもっと良い酒を飲みたいなあ、ときりがなくなって、いつまでも満足できませんよ」とおっしゃいました。

 う~む、たしかにその通りかもしれません。幸せにはすぐに慣れてしまって、欲望には際限がない。なまじ喜びを知ってしまうと、欲求不満が不幸の元になる?

 先日ちらりと見たニュースで、「日本人の幸福満足度は、世界的に見てかなり低い」ということを言っておりました。「そりゃそうでしょう」と思いました。日本人は、「蛇口をひねれば清潔な飲料水が際限なく出てくる」ということにも、「外を歩いていて襲われる心配がない」ということにも、「○×なんて大嫌いだ」と言ったってしょっぴかれないことにも、幸せは感じません。

 でも職場の同僚や上司に意地悪をされたり、嫌いな奴が年収1000万円だったり、威張っている同級生がはるかに有名な学校に合格したり、友人の彼氏が優しくてイケメンなのに、自分が全然もてなかったりすると、すごく不幸な気分になります。そして世の中にはモノが満ち溢れていて、いくらでも容易に手に入れられる奴がいるっていうのに、自分の手には入らないと欲求不満になるのです。幸福度は「絶対値」ではなく、目にする他人と比較した「相対値」によるものが大きい。

 いま政治は経済を回すことに全力を尽くしています。後押しされている企業は商品を売ることに全力です。「欲しい」と思わせることに、あらゆる手管を利用します。「必要なものを供給する」のではなく、「欲しい」という気持ちを駆り立てて「欲求を生み出す」のです。それは際限がないので、永遠に満足することはなく、永遠の不満足状態になるわけで、それは幸福よりも不幸を生み出すほうが大きいでしょう。蛇口から出る水には幸福を感じることはなく(みんなそうだもん)、新型のスマホが手に入らないことには不幸を実感します(あいつは持ってるのに!)。連れ合いがいることにはそれなりに幸福を感じても、その連れ合いとうまいもん食ったり旅行に行けたりしないと、「幸せだ」という実感はもてないかな?

 まあ私が思ったことは、モノが溢れ競争を煽る経済先進国で、格差を広げてゆけば多数の人々の欲求不満は高まり(まわりがみんなボンビーなら不幸は実感しないのだけど)、普段から「満ち足りていて幸せだ」と感じる人々の数は減るに決まっているということです。繰り返しますが、世の中は欲求不満を煽るのに全力なんだから。

 私も普段安いワインを飲んでいるときは、それほど幸せとは感じません。そもそもワインなんて贅沢ですけど。まあたまにこんなふうに「樹齢80年の古木のワイン」を飲んだときには幸せを感じるわけですが^^;