さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

豪傑なんだよ鳥居信治郎

2015年02月06日 | 

   

「竹鶴」が思いのほか旨かったので、続けて「山崎」のほうも飲んでみました。日本の
ウィスキー造りを切り開いたこの二人のボトルが並ぶのは感慨深いものがあります。

竹鶴政孝の伝記を読むと、留学して学んできて、自分の理想のウィスキーを造る
苦労話が出てきます。自分が日本で最初のウィスキーを造ったのだと。

一方で鳥居信治郎の伝記を読むと、こちらも自分が日本で最初のウィスキーを造った
という話になっています。竹鶴は自分が雇った、ただの工場長で、ほとんど言及も
されません。

ニッカとサントリーというライバル会社になったわけだし、それぞれ強い個性を
持った大将でしたからねェ…。

         *        *        *

ニッカの初代社長、竹鶴政孝は社員の家に赴くと、雪のなかを歩いてきた長靴のままで(脱ぐのが面倒だから?)畳の部屋まで上がりこんで「オヤジいるか!」と怒鳴ったそうです。こんな社長はたまりませんが、サントリーの初代社長である鳥居信治郎も、古き良き時代の豪傑でした。

大阪のスラム街で貧乏人たちを見かけると、炊き出しだ、餅を配れ、着物も配ってやれと会社の金を使って社員のみならず、社員の奥さんたちも総動員をかける。

社員が失神するほど怒鳴りつけたというのも有名ですが、厳しいのは男の社員だけ。女性社員には滅法あまく、女性の給料を上げても男性の給料は上げなくて、金額が逆転することもあったとか。しかし会社の景気がいいときには、ボーナスが10カ月分も出て、社員は1けた間違っているんじゃないかと思ったこともあるそうです。

「男の甲斐性」もケタ違いで、愛人は常に10人以上もいたとか!毎日通っていたそうで、単純計算でも10人だったら1人につきそれぞれ月に3日程度。…するのでしょうか?いやそっちもだけど、気遣いが大変でしょうー。普通なら、ひとりの愛人でも苦労するのに。

女性は社会的にも経済的にも弱い立場にあるから、助けてやらにゃいかん、と言っていたそうで、相手が離れていかない限り、一生面倒を見たそうです。時代を感じますねェ。