さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

頭ヶ島天主堂

2024年08月14日 | 九州シリーズ


五島・有川港に上陸です。坂本龍馬がマスクをして合掌しています。
「坂本龍馬が長崎のグラバーから購入した練習船ワイル・ウエフ号は、潮合崎で
大暴風雨にあって遭難しました。知らせを聞いた龍馬は「寺田屋事件」で受けた傷を
鹿児島にて療養中でしたが、この地に駆けつけ村役に慰霊碑建立を依頼したと
いわれています」~新上五島町観光物産協会HPより


五島列島にはたくさんの教会があります。隠れキリシタンの歴史です。弾圧を受けて
こちらに逃れてきた信者もいっぱいいたとか。せっかく一週間もいるのだから、
いくつかは見てみようかなと思っていました。まだ午前中だから、今日でもひとつ
行けるかな?

港の観光案内にはいくつか島のパンフレットなどの情報があり、少し汗が引くまで
座って観光スポットを物色。全島のバスの路線と時刻表もありました。細かい字で
びっしり。各路線、やはり本数は少ない。

するとここから頭ヶ島天主堂行きのバスがある。30分くらいで行けるようだ。
出発時間を見て時計を見ると、あと2分後! え、帰りのバスはあるの?
どこから出るの? 港のバス停って、すぐ外??? 迷っている暇はない、と
外に出ると、ちょうどバスが入ってきた。もう乗る!


よくまあ目について気がついて乗れたなー。このバスに乗るしか行けない本数の少なさ。


バスは最初、海辺の集落を過ぎて行きます。


バスで景色を見るのもいい。乗客は老人がひとりすぐに降りたら俺だけになりました。


左側が海の景色で、集落は右側でした。帰りにあっちに座ろう。


お、廃校になったこれは小学校か? 子供がたくさんいたんだな。


お隣は幼稚園か。今や完全なる過疎地ですが。。。


景色は素晴らしい。晴れてはいませんが、この季節雨が降ってないだけ幸運。


集落の終点まで行くと、もうバスの通る道がない。あれ?と思ったら、田舎のバスに
ありがちですが、集落に寄っていくのです。だからここでUターン。


ここは橋の上。「頭ヶ島」ですから、島なのです。いまは橋でつながっていますが、
もともとは小さい離島。つまりもんのすごくアクセスの悪いところ。「隠れ」
キリシタンですから、とにかく追手がそうそう来られないような僻地、秘境に
隠れ住んで、教会も簡単に来られないようなところに建てたわけだ。


島に渡ると急坂を登ります。切り立った山の頂上だけが海の上に出ているような
島なのです。片道2~3時間なら日帰りで歩いちゃおう、なんて私ですけれど、
バスに乗ってきてよかった♪


ついた~w あとで知ったけれど、ここは「要事前予約」なのだそうです。でも
横の事務所に行くと、「30分後のバスで帰りますね?」と確認されて(それに乗る
しかない)、30分だけ中を見学できるカードを渡されました。


車で来ている人がちらほらいましたよ。観光客はレンタカーが普通なのか?


カトリックだからマリア様がいますね。


こんな離れ小島の人が来られないようなところを選んで、こんな立派な教会を建てて
熱心にお祈りをして敬虔な人生を送ったというわけかー。

ちなみに内部は撮影禁止。しばらく座って神様とお話をする。

ニーチェはキリスト教を「ルサンチマン」の産物だと言いました。つまり「恨み節」
ということです。金持ちや美人を見ると「けっ、どうせ性格悪いんだろ」という
性格の悪い考え方です。権力を持つ者、悪を謳歌している者、金持ちは天国に行けない。
清廉な心を持ってお祈りさえすれば(つまり誰でも頑張れば出来る)、貧乏で不幸な
者ほど、永遠の天国が約束されている。いま威張っている奴らは、この世に生きている
のは一瞬で、あとは永遠の地獄が待っている。はっはっは、ざまをみろ!と溜飲を
下げる考え方です。宗教ってのは都合よくすがりつく嘘っぱちの物語だ。

だからそんなルサンチマンは乗り越えて、現実を見て強く生きろ!というニーチェの
主張に私は若い頃共感しました。彼は神学を学んでいて牧師になろうとしていたの
ですが、きっぱりそれをやめて哲学の道に進んだのです。かっこいいヒーローだ!

しかしだな、キリスト教が始まった時代、いきなり異民族が攻めてきて、親や子供を
無残に殺されて、奴隷の一生を余儀なくされている人が、死ぬときにすがりたくは
なるじゃないか?そうじゃなきゃあまりに救いがなさすぎる。

いま平和な日本に住んでいたって、やさしかったばーちゃんが死を前にしているとき、
「あの世でじいちゃんが待ってるよ。俺もそのうち行くから待っててね」と言って
やりたくはなるじゃないか。・・・と思うようになってきてて。。。

最近は、地獄もなきゃあ救われないだろ、と思うこともある。私も思い起こせば人を
傷つけたこともある。そういうことって、謝っても何しても罪が消えることはない。
そこで親鸞聖人に「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」とか言われて
御覧な。まるで善人がずらっと並んでいるのを横目に、切符もないのに裏口から
さっさと入れてもらい、部屋に通されたら金も払ってないのに清らかな人に「さあ
どうぞ♪」なんて立派な料理を出されたみたいじゃないか。のどを通らんよ!

うしろめたい気持ちで天国なんていられるもんじゃない。むしろたっぷり罰を加え
られる地獄に送られたほうが気が楽だ。ダンテみたいに「あら、やっぱりお会い
しましたね^^」なんて善人ヅラしてるやつに再会したり(^益^)w

そう、神様、天国も大事だろうけれど、地獄の存在意義も大事ですよね♪ なんて
心の中で語ったのでした。