向ヶ丘遊園駅です。昭和な雰囲気で、ウルトラセブンや仮面ライダーなど、様々なロケにも
使われた遊園地は既に閉鎖になっています。アメリカ資本の全然ほのぼのしてない施設が
日本中の古き良き遊園地を一掃してしまいましたよねえ。
さて今回ここに来たのは、高田純次の「じゅん散歩」で紹介された生田緑地に行ってみようと
思ったら、東日本の古民家を集めた「日本民家園」があるとわかり、それが目的です。
犬山の「明治村」、札幌の「北海道開拓の村」、高松の「四国村」と、このブログでも
紹介してきましたが、私はこういうのが大好きなのです(^益^)b
さて広い生田緑地に入って行くと・・・
日本民家園の入り口はすぐ。ここには25件の建物が移築されています。
いきなりご立派な。。。これはここの地元、川崎にありました原家住宅。明治時代に
22年の歳月をかけて建てられた民家です。さぞや大金持ちだったのでしょうw
しゃー!洋風の照明だよ。「鴨居」っていうの?襖や障子の上にある横の木材、高さが
30㎝以上はありそう。
やっぱり木造の建物はどっしりと落ち着いていていいなあ。
次は奈良県にあった「井岡家」。油屋だそうです。
入り口すぐには帳場。商家ですからね。
こういう土間にも憧れるなあ~~。
油屋だけに仕事に使われていたのかな? 何十人分もご飯が炊ける感じですけどw
ちなみに私はいつもご飯を1合ちょっとくらいしか炊きません。5合炊きのジャー
なのですが、2合炊きみたいんでいいような気もする。でもさ、あんまり小さいやつ
じゃあ、あんまり美味くなさそうだよねェ。親子3代8人家族みたいだと、こういう
釜で大量消費すればいいんだろうなあー。そういえば私のかあちゃんは「サトウのゴハン
でもおいしいよ」と言っていました。老後はそんなふうになったりするのかーww
というわけで、私が王子様に見るのは、「旅人」です。旅人というのは自分が住んで
いるところから移動して、自分が社会的に組み込まれていない場所にやってくる
「アウトサイダー」であり、「観察者」です。他所から考え方や価値観の違う人間が
やってきて、とある場所の人間を眺めると、とても新鮮に見えます。そこに住む人間が
あたりまえだと思っていることが、とても不思議でおかしなものに見えたりするわけ
です。
王子様はバラのいた自分の星を去って、いろんな星を巡ります。最初に行った星には
王様がいました。次はうぬぼれ屋です。権力に固執したり、崇拝されることにとらわ
れていたりします。商人は金儲けがすべてで、点火夫は公務員のようにひたすら
自分の仕事に没頭しています。みんな限られた自分の生活圏の世界観だけで生きて
おり、特定の価値観に埋没した人生を送っています。王子様から見れば、みんな
「わけがわからないな」という存在です。
酔っ払いは、私が若干親近感を覚える人物です。王子様が「どうしてお酒を飲むの?」
と聞くと、酔っ払いは「忘れたいからだ」と言います。「何を?」と聞くと、
「恥ずかしいことだ」と答えます。「何が恥ずかしいの?」と聞くと、「酒を飲む
ことだよ」と答えます。
ここが私と違うところですねー。私は酔ってとても恥ずかしいことを数知れずやらか
してきましたが、酒を飲むのはそれを忘れるためではありません。むしろ忘れるから
また飲んじゃうんですー。
最後に会ったのは学者です。王子様は、ようやく少しまともな人がいた、と思います。
しかしこの学者は地理の専門家なので、山や海には関心がありますが、王子様が
大切に思う一輪のバラには関心を示しません。この人も狭い価値観のなかで生きて
いる人なので、王子様は理解できないのでした。
王子様は地球にやってきて、孤独を味わいます。5千本のバラを見て悲しくなって
しまいました。それを目の前にして、たったひとつの特別のバラの大切さに気づいた
のです。
旅をしながらの様々な出会いを通じて、王子様は自分にとってほんとうに大事なもの
を見つけます。それは宝探しのようにいろんな場所を探して見つけ出すのではなく、
いろんな出会いを通じて、目に見えない、自分の心の中にあるものを見つけたの
でした。
さて来年になったら、また旅をしないとなあ。。。
心理カウンセラーをしている知り合いは、王子様の話し方には発達障害の特徴が見られると
言っていました。この作品は広い砂漠の真ん中で主人公が王子様と出会い、やりとりが
始まりますが、たしかにその会話はなかなかかみ合いません。
最初に王子様は主人公に「羊の絵を書いて」と要求したのでした。
それにしても・・・君はここで何をしているんだい?
ねえ・・・羊の絵を描いてよ。
主人公はいろいろ聞き出したくても、王子様はなかなか答えてくれません。
王子様はあれこれと質問するくせに、こちらの質問はいっこうに耳に入らないらしい。
王子様は自分に関心のあることにはとてもこだわりますが、相手の気持ちを汲んだりすること
はできないようです。コミュニケーションでの配慮が欠如して、特定の物事に対する過剰な
こだわりを見せる様子などは、社会生活での問題が生じたところで顕在化する「発達障害」と
定義されるものを連想させる、というのもわかりますね。こりゃまた「ケアラー」とは大違い
です。
小説の登場人物に対して、読者は自分の知識や経験に照らし合わせて感情移入することが
あるようです。つまり人間にはいろいろな面があるわけで、王子様には「ケアラー」の面も
あるし、「発達障害」の面も持っている。そして読者は自分の関心のある面や共通点などに
注目するので、その解釈は自分を映す鏡となるわけです。