続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若い男。

2010-11-13 07:12:01 | 日常
 相模大野駅から、間違えて小田原方面行き、しかも急行に乗って海老名駅まで行ってしまった。
 茫然自失・・・やむなく再び相模大野駅に戻り、大和駅で相鉄線に乗り換え横浜駅に、そして馴染みの京急三崎口駅行きに乗り安心したのも束の間、座席の隣の男が烈しく咽込んでいる。
 あまり治まらないようなので、わたしは持参の飴を出して勧めてみた。すると、
「いやぁ、ヴィックスを口に入れていたんですけどね、反ってそれに咽まして」という。
(ああ、それはそれは・・・)と済ましていたら、
「どちらまで行かれるんですか」と聞いてきた。
「北久里浜駅です」と返事をすると、「わたしは三崎口、最終まで、つまり、行きは始発ですがね」と笑った。
 ふと思い出して「『くるり・赤い電車』で、三崎口駅からの映像が映りますね」と言うと、
「ええ、ええ。わたしは週に三日ほど東京に通っているんです。中国にもたびたび行きますし・・・」と、延々話は続き、話題もあちこち飛び火・・・。
「5才の息子が、その海南神社で七五三をやりまして・・・」
(5才の息子?孫じゃなくて?)
「わたしは、孫の祖父母会の帰りです。オペラ歌手も見えて、それなりの盛り上がりでした」
「それはそれは。わたし、3回結婚しましてね、5人子供がいるんです」(納得!)
「『VAN』の石津さんなんかともよく飲んだもんです。○○○って、わたしが作った会社です。13ほど会社作りましたから」という。
 下を向いて話していたわたしだけど、初めて顔を上げて、男を見た。
「66才です」と、男は笑った。
「東京の真ん中にも世田谷にも住みましたけどね・・・ちょっと失敗して今のところへ・・・でも良いとこです。野菜も魚も旨くて」と言う。(順応性、適応性・・・フットワークが軽い)

ヴィックスってロングセラー商品なんだ・・・。血気盛んだった時代への懐古の語り・・・「自分を知ってもらうには」と、男は言った。自分の人生への尽きぬ執着・・許容範囲かもしれない。

 垣間見た男の目には《さあ、やるぞ!闘うぞ》という活気が静かにみなぎっていた。
(若いということは、こういうことだ)と、同時代を過ごしたわたしに懐古の風を吹かせた電車内での見知らぬ男との会話。

Re『武蔵野』108。

2010-11-13 06:46:04 | 国木田独歩
即ち野やら林やら、ただ乱雑に入り組んでいて、忽ち林に入るかと思えば、忽ち野に出るという様な風である。

 即野林乱雑入組忽林入思忽野出様風

☆測(推し量ること)は、八/多い。
 燐(鬼火、死者の魂)を、覧/広く見ると、像(すがた)は、柔(はっきりしない)。
 蘇る骨の燐(鬼火、死者の魂)の、新しい姿に惚/うっとりする。
 八(多く)を、推/推し量り、要を、譜/物事を系統的に書き綴る。

『城』274。

2010-11-13 06:27:14 | カフカ覚書
この塀によじ登った少年は、ごくわずかしかいなかった。Kも、まだ一度も成功できないでいた。

 塀/mauer→meinung/見解。
 少年/Jungen・・・Junge新しい。
 よじ登る/erklettert→erklaren/解説する、説明する。

☆この見解を説明する新人は、ごくわずかしかいなかった。
 Kも、まだ為しえないでいた。